敗退魔王軍の革命戦線

アメリカ兎

第1話 異訪人


 「依頼屋」と呼ばれる組織がある──かつて、世界同時多発テロを引き起こした史上最悪の非合法民間軍事会社。

 当時、国際連盟人理統治機構の政策である管理国家体制加盟国の過半数で起きた人類史において最悪の事件から半世紀。

 人々は薄氷の安寧の中で過ごしていた。その水面下では国際テロ組織「依頼屋」と人理統治機構との衝突が世界中で絶え間なく繰り返されている。




 依頼屋幹部、マスター・ハーベルグのもとへ舞い込んできた一件の依頼があった。


 差出人──人理統治機構考古学保全部。

 内容──古代遺跡調査及び、遺跡盗掘集団の排除。

 報酬額に関しては見向きもしなかった。夏季長期休暇中でもなければ引き受けることなどしなかったことだけは確かだ。

 二つ返事で請け負うことにして、旅支度を進める。


 目的地は一桁台の管理国家ファーストナンバーとの国境沿いで新たに発見されたという古代遺跡だ。

 鬱蒼とした森林地帯のど真ん中。つい先月の土砂災害によって出土した遺跡の一部から、神暦黎明期に建設された物だと事前調査によって判明している。

 神様が大地に息づいていた時代に建てた古代遺跡に、テロリストを雇ってまで文明保全を優先するとは世も末。その胆力には恐れ入る。

 どうせその手柄は全部“なかったことにされる”というのに。


 苔むした遺跡の中で、銃声がけたたましく鳴り響く。

 遺跡盗掘集団トゥームレイダー──金銀財宝の類を盗掘しては売りさばく「モグラ」達だ。当然、丸腰などではない。人理統治機構の調査団ないし、考古学研究者達を排除するために武装している。


 暗闇の中を駆ける獣の姿があった。

 壁を走り、天井を蹴り、武装モグラが一人、また一人とに倒れていく。


 神々のいた時代から人の時代へと暦を改めた現代「国暦」において、近接武器というのはあくまでも護身用として一般的に知れ渡っていた。

 間違ってもそれは、銃弾飛び交う現代戦において無用の長物である。

 ──そのはずだった。


「ッ、なんで……! なんでテメェがいやがる! 【蒼魔】ぁぁぁッ!!!」


 銃弾が、暗闇の中で弾ける。火花を散らして。甲高いを奏でて。男の悲痛な叫びが暗い虚空の中へ吸い込まれるように響く。


「あー? なんでって、仕事以外でこんなところにいるかよ。常識的に考えろ」


 暗闇の中から声が反響して返ってきた。低いトーンで、呆れた口ぶりだ。


 また一人、短い悲鳴を挙げて倒れる。

 足元に転がるサイリウムの光を遮るようにして。


「テメェらみてーなのがのさばってるからこっちまで迷惑してんだ。死んで詫びろ」


 静寂。

 足元に転がるランタンが照らす遺跡内部の空間は広く、ぼんやりと輪郭が浮かび上がっていた。

 遺跡盗掘者の男は生唾を飲み込み、目だけで左右を警戒する。

 呼吸を深く、長く。リラックスするように吸い込み、吐き出した。

 腰だめに構えた短機関銃を暗闇へ突きつける。


「な、なぁ……ここらで身を引く。それで手打ちにしてくれねぇか?」


 男の震えた声に返事はなかった。

 倒れている仲間が視界に入り、横目で見やる。

 目を開けたまま口をだらしなく開き、顔の半分が血に染まっていた。

 自分もこうなるのかと思うだけで舌の根が乾く。欲望よりも、死にたくない気持ちが勝った。


「──死んで詫びろって言っただろうが、人の話聞いてねぇのか?」

「へ」


 音もなく、背後から首に当てられる凶刃。

 それが男が見た最期の景色となった。




 遺跡盗掘集団トゥームレイダーの最後のひとりが息絶えたことを確かめてから、マスター・ハーベルグはバイザーを押し上げる。

 オオカミを彷彿とさせるヘルメットとハーフマスクを外し、長剣の血振りをしてから納刀した。

 柱の影に隠しておいたケースに収納すると肩紐を通して担ぎ上げる。

 ──棺。そう呼ぶ他にない形をしていた。


(さて、と。古代遺跡調査も業務内容に含まれてたな。このクソボケ共がいなけりゃもっと早く済んでたんだろうが……)


 都合よく灯りも運んできてくれたことに感謝……はせずとも、活用する。

 マスターはランタンを掲げて遺跡の広間を照らした。

 等間隔に並ぶ柱は神殿のようでもある。

 儀式用の祭壇は苔に覆われていた。人の立ち入らない空間に加えて、地下の空気は冷え切っている。


 依頼は依頼、仕事は仕事。

 割り切って石畳の階段を登ると、マスターは祭壇を調べ始めた。

 苔に覆われているせいで神代文字が中々読み取れず、腹を立てながら。

 文字が欠けているだけでなく、銃撃戦によって祭壇の文字が弾痕でかき消されて解析に時間がかかると判断して早々に切り上げた。読めるかこんなん。


 祭壇の周りを照らすと、一箇所だけ深く窪んだ場所を見つけた。

 好奇心に負けて押し込んでみると、それはあっさりと動き出す。

 祭壇が振動したかと思うと、その下から隠し階段が現れた。


「……通れっかな」


 背負った棺を担ぎ直してマスターは慎重に隠し階段を降りる。ひと一人が通るので精一杯の階段は狭く、途中からは劣化で崩れかけていた。亀裂の入った段差を見てからサイリウムを折って投げる。それはしばらく放物線を描いて落ちていき、地面と思わしき場所で転がった。

 高さにしておよそ三階分といったところだろう。


「ふんっ!」


 となれば、律儀に階段を降りる必要もない。

 左右の壁を蹴るようにして駆け下りる。


 ──ずるっ。


「あ、やべっ」


 バランスを崩したのが感覚でわかった。マスターはすかさず態勢を整える。

 思った以上に壁が脆かったのか、転がり込む形で地面に着地すると先程投げたサイリウムのささやかな反抗によって足を滑らせて膝をぶつけた。おのれスロウド。


 膝をさすりながら周りを見渡すと、そこも広間だった。

 しかし──なにか、異質な空気を感じる。

 幾重にも折り重なった円盤状の扉。その傍らには青い光を放つ水晶台があった。

 マスターは手をかざし、空気の流れを確かめる。じっとりとした感触の空気に口をへの字に曲げながら光る水晶に触れる。

 熱は感じられなかった。──LEDか? なんてマスターはバカな考えを自嘲気味に鼻で笑い飛ばして手を離す。


 ──手を離すはずだったが吸いつくように水晶は手から離れない。

 まるで自分を取り込もうとするかのように。


「っ……なん、だこれ……!?」


 水晶から放たれる光が徐々に膨らむ。目を開けていられないほどの光量が広間を満たし、やがて波が引くように光が収まっていった。

 なんだったのかと疑問に首を傾げていると、土埃を落としながら円盤状の扉が開いていく。

 その扉の奥は、また暗闇が広がっていた。


「宝探しに来たんじゃねぇんだけどな……」


 ぼやきながらもマスターは開いた扉の中に足を踏み入れて──。


 ──そこに足場がなかったことに気づくのに遅れた。


「……は?」


 当然、足場がなければ人は真っ逆さまなわけで。

 マスター・ハーベルグは深淵の中に落ちていく。


 ──そのはずだった。

 それが一体全体どういう理由で──放牧地さながらの大草原の真っ只中に放り出されているのか。

 当人でさえ視界に広がる青空を見て「はぁ?」と、呆然とするしかない。

 当事者が状況を理解していないのだから、他の誰にも説明しようがなかった。




「……空が青いってのはどこも共通してんだなぁ」


 現実逃避したくもなる。

 だが弱冠齢にして依頼屋幹部にまで昇り詰めているのは伊達ではない。すかさず状況を確認する。

 自分の身格好に異常がないことを確かめて、それから商売道具である刀剣を確認。

 悪友に大枚叩いて作らせた『複合兵装』は問題なく稼働する。それさえわかればまずは一安心。自分の身体ひとつあれば、あとはなんとかなる。


(さて、と……此処は何処だ。管理国家側でもなけりゃ、三鼎大陸でもなさそうだが……となるとアレか。異世界ってやつか? とんだ仕掛けを作ったもんだ古代人)


 悪友、スロウド・マクウェル辺りであれば大歓喜待ったなし。その姿が脳内でありありと想像できたので空想上でぶん殴っておく。悪は去った。

 草原で寝転んでいたところで果報が舞い込んでくるとは思えない。マスターはひとまず街道を探すべく腰を上げた。


 ──地平線に覗く山岳に、その奥では瓦礫が浮き上がっている風景。なんとも幻想的で牧歌的な光景に欠伸をこぼす。案の定と言うべきか、通信手段である携帯電話は電波がないのでガラクタ確定。文化レベルとしては三鼎国よりも更に下であろうことは想像できる。


 草原を進み、街道と思わしき道を探すがとんと見当たらない。人の手の入らない大自然の真っ只中。何をどう間違えれば苔むした遺跡の中からこんな場所に転移させられてしまうのかマスターは甚だ疑問だった。


 街道であれば、それを頼りに沿って移動することで集落なり村なり見つかるだろうと思っていたのだがそもそもその街道すら見つからないのであれば話は変わってくる。仕方なくマスターは森の中へ向けて歩き始めた。


 足を滑らせないようにブーツでしっかりと木の根を踏みしめる。フィールドワークも依頼屋の業務内容で扱うことがあるためか、マスターの足取りは慣れたものだった。背負った複合兵装をガチャガチャと鳴らしながら木の幹を足場代わりにして跳ねるようにして悪路を踏破する。


「よっ、ほっ──っと」


 小川を飛び越えた辺りで、足を止めた。なんとも心地よい環境音に混じって、耳を澄ませれば話し声のようなものが聞こえてくる。どうやら川の上流からのようだ。


「……話通じる相手だといいんだけどな」


 不安の入り混じった声でつぶやく。




 ──マスターが向かった先で見たのは、野営中の一団だった。木々に姿を隠し、息を潜めて様子を観察する。

 装備はチグハグ、身なりも種族も。背格好も、男女問わずの混合部隊。

 狼の獣人がいた。ハーピィもいた。亜人もいた。鞍を着けられたグリフォンもいる。少なくともそれらの種族が現代文明に存在しない幻想種であることに驚きつつも顔には出さなかった。


 その一団の中に、小綺麗な身なりの少女がいることに気づく。気を遣われていることから、やんごとなき身分の相手である事は察しがついた。お付きの従者が二人ほど見える。

 旅に慣れていないのだろう。薄汚れた服は明らかに舞踏会に向いている。


 状況を鑑みるに……恐らく彼女達は、追いやられているのだ。この辺境の地に。いや、なにも、マスターとてこの土地に来たのは初めてのことだがどっからどう見ても見るからに大自然の真っ只中。どう見てもド田舎のド辺境だ。人間試すにしても限度というものがある。

 そんな場所で物資の補給も何もあったものではない。自分が知らないだけでもしかしたら拠点があるのかもしれないが……可能性は低いだろう。


(さぁて、どう接触したもんかな)


 両手を挙げて「わたしはてきじゃありませーん」なんて馬鹿正直に? それこそバカ言え。寝言にも程がある。

 見る限り、彼女たちの中に人間と思わしき種族は存在しない。敬われている少女が一番近いかも知れないが、丁重な扱いから恐らく魔人の類だ。となれば、友好的な出会いから始まるとは考え難い。


 あれこれ悩んだところで問題が解決する糸口は頭の中に留まるばかり。出たとこ勝負、マスターは思い切り複合兵装を持ち上げてわざと音を鳴らした。


 そらみろ、と言わんばかりに警戒態勢に移る相手に向けてマスターは茂みの中から姿を現して歩み寄る。案の定、自分に向けられる数十名からの敵意と警戒心に思わず鼻で笑ってしまった。


「いや失礼、怪しいもんだが。ちょっと道を尋ねてもいいか?」


 とても正気とは思えない物言いに、従者のひとりが難しい顔をしている。


「お前、自分が何を言っているかわかっているのか?」

「バカみてーなこと言ってる自覚はある。それと、言葉が通じることに一番安心感覚えてるよ。今のところ敵じゃない、武器を下ろしてくれねぇか? 話がしたい」

「……姫様、どうされますか」


 不安そうにペンダントを握る少女に声を掛ける眼鏡の従者は、マスターに向けて赤い短剣を突きつけたままだ。警戒心があるのは大いに結構。


「貴方が、私達の敵ではないという証拠はあるんですか?」


 その言葉に、複合兵装のベルトを振り上げて一団へ放り投げる。鈍重な音を立てて横に倒れるとマスターは肩をすくめて両手を頭の高さまで挙げた。


「俺の装備一式がそれ。今は丸腰、これでいいか?」

「……アーシュ。彼の話を聞いてみましょう」

「わかりました。おいお前、名前は」

「マスター・ハーベルグ。眼鏡のねーちゃんの名前は?」

「……アーシュ・ガルグラントだ。いまいち調子の狂う奴だな」

「どうも。それで? ──そっちの、事情知ってそうなお姫様のお名前は?」


 マスターが手を挙げたままゆっくりと歩み寄るが、両手にハンドアクスを持った狼男が道を阻んだ。犬歯をむき出しにしている顔を見て、視線を逸らさずに一歩二歩と後ろに下がる。野生動物と出会ったら背中を向けてはならない、鉄則だ。


「私は……私は、ミレア・ヴァン・ヴェーグロード。かの大魔王、デミトゥル・ヴァン・ヴェーグロードの娘です」

「……その大魔王様の娘さんが、こんなド辺境の地で一体なにを? 観光、というようには見えないが」


 ピクニックにしたって物騒すぎる。マスターの疑問に言い淀んでいた。

 しかし、なんとなしに空気で察することはできる。それを口にすることは憚られるが、それでも見えている地雷を踏み抜く。


「俺には敗残兵の集まりに見えるが?」

「ッ……」

「おい貴様! 口を慎め! 見て分かることならわざわざ口にする必要はないだろう!」

「状況が飲み込めてないんでね。気を悪くしないでくれ、その辺りの説明も頼む」




 ──マスターがミレアから聞いた話をまとめると、魔族を支配していた魔王デミトゥル・ヴァン・ヴェーグロードが勇者に討たれたのを皮切りに魔族の土地へ人間軍が雪崩込んできた。その娘であるミレアは従者達を引き連れて首都を離れ、逃亡を繰り返して此処まで辿り着いた、ということ。


 事情は把握した。首都陥落、指導者不在のままでは魔族全体の士気低下に繋がり、敗戦を繰り返すことになるのは明白だ。かといって反転攻勢に打って出る策も兵力もない。マスターはその話を聞いて、すでに自分がどう動くべきか算段をつけていた。


「なるほど」

「……マスター・ハーベルグ。貴方のような人は、私達の言葉で〝異訪人〟と呼ばれます。異界からの訪問者、という意味で──」

「その口ぶりじゃ、俺以外にも〝異訪人〟というのがいるんだろう? それも一人二人じゃない、だが気になるのは。なぜ魔族の土地に存在するのか、だ。違うか?」


 先んじて放たれた言葉に、ミレアが言葉を詰まらせる。宝石のように輝く赤い瞳を右往左往させて泳がせるとぎこちなく頷いた。

 アーシュが眼鏡を押さえながらマスターに鋭い視線を投げつける。


「なぜそう思う」

「あー……なんつうか。その、予備知識?」


 ──マスター聞いてくれよちょっとさぁ最近異世界転生っての流行っててさぁ! 異世界転生させるための運動エネルギーを発生させられるトラック作って特許申請したら俺これボロ儲けとかできると思うんだ! 拳を振り上げているのはアレですね、俺の意識を異世界にぶっ飛ばすとかそういう頭お花畑の俺をゔぁあああああ!!!


 ちょっと前にしこたまぶん殴った悪友の顔を思い出す。直後に忘却の彼方にぶん投げておく。二度と思い出すものか。


「こいつはあくまで俺の仮説なんだが。その勇者ってのも俺と同じように〝異訪人〟なんじゃねぇのか?」

「──たしかに、そう、言われていますけれども」

「ふむ。なるほど……? となると、此処は外の世界から定期的に人間を集めてるってことか。それで、どういう理由か知らんが俺が魔族の土地に召喚された、と」


 マスターの視線はミレアに集中していた。ずっと握りしめているペンダントに向けられていることに気がついたのか、息を整えてから差し出すように見せる。

 冶金技術の粋を集めて作られた複雑精巧な装飾の中に、ピタリとハメられているのは三日月型の宝石。その中で複雑に光を乱反射していた。


「貴方が魔族の土地に呼び寄せられたのは、恐らく私のせいです……」

「思いのほか元凶が早く見つかって助かった。なんでそんなことしたのか理由を教えてもらっても?」

「……私達を助けてくれる方を、探していたから」


 それは、人間たちが長年行ってきた儀式。

 〝勇門の儀〟と呼ばれる、異訪人召喚のために行われる催事だった。当初は人類の技術発展のために、異なる世界の存在を召喚していた。だがいつしかそれが魔王と顔を合わせるための旅路となり、今回それが思わぬ事態を引き起こしてしまった。


「なぜ魔族はこれまでその〝勇門の儀〟を執り行わなかったんだ?」

「我々は技術の革新などに興味はなかった。それに、人類との約定でもあったしな」

「なるほど」

「あの、なにか気になることでも?」

「……俺の疑問は後回しにして。とにかく帰る方法を見つけるのが先決、どうすりゃ帰れるんだ? まさか呼んでおいて「帰れません」なんて、言わないよな?」


 何かを言いかけたミレアが息を呑み、それから深く息を吐き出す。

 マスターの目を真っ直ぐ見つめ返して改めて口を開いた。


「貴方の言う通り、帰る方法はあります。ですが、そのためには魔族の首都スレイベンブルグを人間軍から取り戻さなくてはなりません」

「……へぇ? それで」

「改めてお願いがあります、マスター・ハーベルグ。魔族の政権復興のために、貴方のお力添えをお願いします」


 ──なにもマスターとて、バカではない。

 ミレアが嘘を吐いていることくらいわかる。魔族が行う初めての〝勇門の儀〟で、召喚と返還の方法を熟知しているはずがない。ましてや、それが首都でしか行えないなんてこともないはずだ。何故なら自分が召喚されたのが魔族の領土の中でもド辺境の片隅なのだから。


 さて。

 かといって他に方法がない。この場で敗残兵の魔族を皆殺しにして姫様の首を手土産に人間軍に取り入る、という選択肢もある。

 黙り込むマスターにミレアがアーシュともう一人の従者へ目配せしていた。答えを待っている時間が拷問のように感じられるのか、緊張した面持ちで身体を強張らせている。


「お願いします、なんて言われて素直に首を縦に振るとでも? だが他に当てもない。それに人間側につくより面白そうだ」


 その言葉に、顔を明るくするミレアだがアーシュは違った。言葉の裏を探るように疑心の眼差しを向けている。


「なにを企んでいる」

「こっちの台詞だ。仕事を引き受けるにあたり、お互いの目的と報酬を明確にしておこうか、お姫様──」


 マスターが仕事の話を持ちかけたその時だった。森の小川を激しく荒らす足音に肩をすくめる。

 鎧の擦れる音。軍馬の駆け足、数にしてそう多くはないが騎兵隊による追撃。それが敗残の魔王軍をここまで追い詰めてきていたことは想像に易い。森の中を選んだのも騎馬隊の追撃を避けるためだったのだろう。だが水辺を選んだのは失策だった。


「姫様!」

「っ、もうここまで追っ手が……」


 数にして二十名ほどか。軍馬に跨った騎士甲冑の人間が四名、他は全て軽装の兵士達。小隊長と思わしき相手は大柄な大剣を背負っている。マスターはそれを一瞥してから商売道具に目を向けた。狼男のすぐそばに置かれている。


「まだ商談の途中だってのに、空気読みやがれよ」

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