一本道の人生

@chisarinn

一本道の人生

「キャーーーーーーーーーー!!!」

甲高い声が聞こえて目を開けた。家の横にある保育園からのようだ。嗚呼、まだ10時なのか、起きて損した。もう少し寝ていようか。そう思っていたら別方向からまた甲高い声が聞こえた。

「翔太!あんたいつまで寝てる気なの?もう昼なんだからいい加減起きなさい!お母さん仕事行くからね。あ、掃除機かけて洗濯ものも畳んでおいて頂戴。せっかくの高2の夏休みなんだからお手伝いでもしてよね〜」

バタン、とドアが大きな音を立てた。

「起こすんじゃねぇよ、うっせぇな....」

そう吐き出して目を閉じた。高2の夏なのに大した予定もない。最近別れたため恋人もいない。数少ない友人は部活で忙しく予定が全く合わない。今俺が持ち合わせているものなんて、馬鹿みたいに多い宿題だけ。始まったばかりなのに微塵も心が躍らないなんて何なのだ、この夏休みは。いやそもそも何なのだ、この人生は。俺には大した夢もない。別に入りたい大学があるわけでもない。勉強する意義も見出だせない。

「隣の子どもらは人生楽しそうでいいよな」

ぼそっとつぶやいてもう一眠りすることを決めた。今日は風が強いらしい。カーテンが眩しすぎる光とともに激しく揺れていた。

 「しょうちゃん、おはよう。朝だからお母さんと起きよう」

普段聞くより柔らかい声がして目を開けると、妙に若々しくシワの少ない母の顔があった。というか近い。無視して目を閉じると体が宙に浮いた。

「こーら。もう準備しないと保育園遅れちゃうよ」

母に抱きかかえられているようだった。保育園って?意味がわからない。呆気にとられる間もなく母は俺の荷物の準備を済ませていく。とりあえず用意されている服に袖を通しておくことにした。

「あら、今日は一人でお着替えできるのね、偉いわしょうちゃん。もう年中さんだもんねぇ、体も大きくなったわねー」

違和感が強く、洗面所に行き愕然とした。サラサラな髪と荒れのない肌。丸っこい顔に小さな手。何より台に登らないと鏡が見れない事実。やっぱりそうか。若返っている。タイムリープってやつだろうか。

「やったー!」

声変わりのしていない可愛らしい声で俺は叫んだ。母が怪訝そうな顔をしてこちらを向いたが気にするものか。普通の人なら驚き戸惑う場面なのかもしれないが、俺にはどうでもよかった。学校の面倒な人間関係からも、勉強からも、将来からも、ついでに口うるさい母からも逃げられる。最高ではないか。のんびり気ままに生活させてもらおう。

 十数年ぶりに訪れる幼稚園。懐かしい景色をぼんやり見つめていると

「しょうちゃんおはよう!今日はおうちごっこしようよ!」

「よぉしょうた!今日もヒーローごっこしようぜ!」

「いつもヒーローごっこばっかりじゃん!今日はおうちごっこがいいよ!ゆうくんは赤ちゃん、しょうちゃんはお父さん、りかがお母さんね!」

「やだよおうちごっこなんてカッコ悪いもん!」

これまた騒がしい声が後ろから聞こえてきた。どこか聞き馴染があるような。振り返ると、幼なじみの梨花と雄介であることに気付いた。小学校、中学校と年齢が上がるにつれいつの間にか疎遠になっていたこの二人。思えば梨花とは女子とベタベタ話すのが恥ずかしいような気がして離れたっきりだっけ。雄介はみんなから好かれる明るいタイプで、一緒に過ごすことを俺の方からやめていった気がする。近所に住んでいるはずなのに、高校生の今彼らの現状を知るツールは母のご近所付き合いネットワークとSNSしか存在しない。そんなことを考えていると

「というかしょうちゃん、今日はママと離れて悲しくないんだね」

「ホントだ!泣いてねぇ!」

とまた二人が口々に話しだした。不意に母の顔が浮かび、昔よくした話を思い出した。『しょうちゃんはねぇ、小っちゃいときはものすごい甘えん坊さんで、いつも私にくっついていて、泣き虫で。大変だったのよ』

と明るく話すのを。全く覚えていなかったがこの頃の俺はどうやらとても手のかかる子どもだったらしい。いや、こんなことを考えるために保育園に来たわけではない。久しぶりの自由な生活を楽しまねば。

 話しているうちに保育士からの挨拶と出席があり

『自分が大きくなったときの姿を絵で書いてみよう』

というお代が与えられた。ただのお絵かきだったら楽しめたのだが。周りの園児たちは拙いながらスラスラと作品を描き勧めていく。俺の手は止まっていた。そういえば昔は何になりたかったんだっけ。そうこうしているうちに発表の時間になり、梨花は

「保育園の先生になりたい!だってまゆ先生かっこいいしかわいいもん!」

と担任を指さしながら堂々と話した。雄介は「ぱいろっとがしたい!オレ、空飛びたいんだよね」と笑顔をみせる。いまだに梨花は保育士を目指していて、保育科のある高校に通っているそうだ。雄介の方は飛行機の整備士の方に方向性をシフトチェンジして、一生懸命勉強中だと母が話していた。窓から差し込む光が彼らを照らしていて眩しかった。

 自分の番が来てしまった。

「書けていません」

敬語で話したのは不自然だろうか、とも思いながら席に座ろうとした時、横からまた甲高い声が響いた。

「しょうちゃんピアニストなりたいっていっつも言ってたじゃん!」

訴えるように梨花が叫んだ。この頃から今まで趣味程度に習っているピアノだが、ある時に聞いた音楽で生きていく難しさや、音楽大学の学費の高さ、自分への厳しいアドバイスなどから諦めていた夢だった。どうして思い出せなくなったのだろう。そもそも今、将来をうまく思い描けないのはなぜだろうか。他人の言葉で諦めた経験からか? いいや違う。自分への自信のなさや信念の弱さ、実現性の低いものだからと声を大にして言うのが恥ずかしかったからだ。そんなことを考えているうちになんの夢も見られなくなっていたからだ。思えば俺はいつからか自分の気持ちをはっきり示すことに羞恥心を覚えるようになっていた。心にいつの間にか蓋をしていた。彼らやこの頃の自分のように、気持ちを素直に出せたら今も真っ直ぐ生きられていただろうか。

 今日は半日日課だそうで、考えているうちにお迎えの時間になっていたらしい。

「しょうちゃん、帰ろうか。お昼はしょうちゃんの好きなカレーよ」

母の声がして家路についた。帰ると香辛料の良い香りがした。昼ご飯を食べていると、昔使っていた水玉模様の可愛らしい布団が敷かれている事に気がついた。

「今日は保育園でお昼寝の時間なくて眠かったよね、全部食べたら寝ようね」

別に昼寝が必要なほど疲れていなかったので、なんとなく母の動きを眺めていることにした。朝の様子と比べると、シンクからは食器が消え、ベランダには洗濯物が干されており、床からはホコリが消えていることに気づく。どうやら買い物にも向かっていたようで、エコバックがキッチン横に置かれていた。そして今は母は洗濯物を取り込み丁寧に畳んでいる。きちんとしながらも素早い母の手つきを見るうちに、意識が遠のいていった。

 軽快なリズムの着信音が鳴り響き、目を開けた。窓の外を見るともう園児の姿はなく、日は西に傾いていた。

「3時か、寝すぎたかな」

顔を洗いに洗面所に向かう。そこにはボサボサでおでこにニキビのある肌。寝ぼけた顔でゴツゴツした手の俺がいた。とっくに捨てられているので小さい子用の台なんぞは置かれていない。先程まで見ていた景色は夢だったのか。それにしては随分五感が働いていたような。

「まぁ、なんでもいいや」

遅い朝ごはんにすることにした。

 先程の着信は雄介からだった。

『小中で仲良かったみんなでこの夏遊ぼうって話してるんだけど、久しぶりに会わね?良い返事待っている!』

何度も誘われていたが、なんとなくきまずくてずっと断りを入れていた馴染みのメンバーでの集まり。梨花やその他多くの旧友も集まるらしい。毎度のくせで

『ごめん、夏はちょっと忙しくて』

と入力しかけてやめた。

『行くよ、また会いたいし』

それだけ打ち込み送信すると直ぐに返事が来た。

『翔太が来るなんて珍しいじゃん!嬉しい、楽しみにしてるわ!』

相変わらず雄介は明るいな。

 ガチャリ、と鍵の回る音がした。

「翔太、ただいま。あら、家事全部やっておいていてくれたの?珍しいじゃない!」

「別に、なんとなくやっただけ。あと母さん、いつも、ありがとう」

「ええ?何よ明日雪でも降るのかしら」

軽口をたたきながらも穏やかな笑みをこぼしていた。母の言葉に反して外は晴れやかだ。久しぶりにピアノでも弾こうか。

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