第12話 情けは人のためならず

 ゴールデンウィーク連休合間の平日。

 ほとんど風邪から快復した俺は学校に行く支度をしていた。

 当然葉月とは何度も顔を合わせる。

 朝食の時間も被っていたし、洗面台でも出くわした。


「……」

「……」


 けれど、いつも通りのことではあるのだが、俺と葉月の間に会話はない。

 お礼を言わなければ、とは思っている。

 些細ではあるが看病をしてくれたのだ。

 しかし、その直前のいがみ合いが尾を引いている。

 その喧嘩とでも言うべきものの決着をさて置いて、俺が感謝を伝えるのは嫌だ。

 感覚として件の喧嘩においても俺が自身の非を認めたような気になるからだ。

 しかし、礼を伝えないのも気持ち悪くどうするべきか悩んでいるうちに時間は過ぎ去り、学校にてホームルームの時間が訪れた。

 教壇に立った担任教師が言った。


「委員会決めるの忘れてたから、今日急ぎで決めるよー」


 ざわつく教室。

 教師が親しみやすい性格をしているのもあって、おぉーいなんていうツッコミも聞こえてくる。

 委員会か……。

 まあこの手のものは役職数が限られているので、俺が担当しなければならないという事態にはならないだろう。

 やかましく騒ぎ立てるクラスメイトをよそに、先ほどの授業で与えられた課題を坦々と俺は進める。


「はじめにクラス代表を決めまーす。出来れば二人、最低一人です!」


 えー、というブーイングを無視して担任がクラス代表なるものの説明を行う。

 曰く、仕事はそれほどない。

 まれに全クラスの協力が必要な行事で生徒会と連携してクラスを取り仕切る。

 また、ホームルームの仕切りも行ってもらうことになる。

 だが、基本的には一番仕事が少なく楽な役職です、云々。

 一番楽な役職は無職なんだよなぁ。

 そんなことを思いながら聞き流していると教師が言った。


「立候補する人~!」


 静まりかえる教室。

 どうやらこのクラスには仕切りたがりはいないらしい。

 もらえる内申点だって高が知れてるしな。

 内申点目当てにクラス代表になるぐらいなら、その時間を勉強に充てた方が有意義だろう。

 そんな自明の理に気がついている我が賢明なクラスメイト諸君は先ほどとは打って変わって口を閉じている。

 困ったように眉をかすかに寄せる教師が苦渋の末に言った。


「誰もいなかったらくじ引きで決めるけど良いかな?」


 反応はない。

 いや、俺の視界は葉月の肩がびくりと跳ねるのを捉えた。

 そういえば葉月は人前で話せないのだったか。

 そんな葉月からすればクラス代表なんて地獄でしかないだろう。

 ただ、こんな極低確率のくじなんて当たらない。心配する必要なんて皆無だ。

 しばらくして無言の生徒達に教師は少し落胆したように息をつくと、ごそごそとくじ引き用の箱を用意し教室左前方から一つずつ生徒にくじを引かせていく。

 どうも外れくじには何も書かれていないようで、一人また一人と喜びを口に出す度にまだくじを引いていない生徒達の緊張感は高まっていく。

 そして当たりくじがついに引かれた。


「じゃ、クラス代表は葉月さん! よろしくね~」


 親しみやすいようにと生徒を下の名前で呼ぶ教師の明るい声が教室内にむなしく響く。

 貧乏くじを引いたのは俺の姉たる葉月であった。

 目を丸め唇を引き結んだ葉月は教師に促されるまま教壇に上がる。

 いつも堂々としている葉月の身体は縮こまり、うつむいたその顔からは完全に血の気が引いていることが見て取れる。

 葉月の友人達が気遣わしげに視線を送っているが助けてやることは出来ない。


「……に……ぃじ……ぅ……ぃ……ぃ、す。り……した……ますか」

 

 葉月がおそらく何かを言った。

 ただ誰も聞き取れていない。

 むしろ何か言ったかすら定かでない。

 それぐらい小さく不鮮明な何かだった。

 教室は静まりかえっていた。

 役割をこなそうと足掻いているのが見て取れるからこそ、その意思を尊重しているのか教師は口を出さない。

 普段は気の良いクラスメイト達も、葉月が悶え苦しんでいることを理解しているはずだが態度を決めかね動けないでいる。

 では俺はどうか。

 

 「……めに……ん、ぃ……ぃぉ……と……ぃます。りっ……ぅ……ぃ、とは……か」


 葉月が真っ青な顔で、苦しそうに喘ぎながらそれでも何事かを言っている。

 俺は葉月のことが好きではない。

 正確に言えば嫌いでもないし好きでもない。

 何か感情を抱けるほど葉月のことを知らないからだ。

 だから今でも俺は可能であれば葉月やその母親と住むのを止めたいと思っているし、それが出来ないのであれば会話を止めたいと思っている。

 俺にとって葉月はその程度の存在でしかない。

 知り合いでも友人でも親友でも、まして恋人でも夫婦でもない。

 ただの他人だ。

 この前だって知らない価値観を押しつけられて怒りを覚えたばかりだ。

 だから本当は葉月のことなんてどうでも良くて、俺とは関係のないところで生きている彼女を気にする必要なんてない。

 だが、けれど、しかし。


「クラス代表俺やっても良いですか」

 

 俺は葉月に看病に対する礼をしなければならないのだ。

 唖然としながらも教師が許可を出したので、俺は「あいつ誰?」とクラス中から突き刺さる視線を気にせず葉月の隣に立つ。

 そして言う。


「はじめに文化祭実行委員を決めたいと思います。立候補したい人はいますか」

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