第11話 好きなおかゆの味とかある?
翌日。
俺は本格的に風邪を引いていた。
熱はそれほどではないものの、頭痛も倦怠感も昨日よりひどい。
ベッドから起き上がりたくない。
朝、目を覚ましてからずっとベッドの上で体を横たえていた俺だが、空腹感を覚え時計を見れば正午過ぎ。
カップラーメンぐらいはあるだろうと、のそのそと起き上がり俺はリビングの扉を開ける。
葉月が昼食を食べていた。
葉月が俺を睨んでいる。
「掃除」
「……あ?」
「掃除、慶太が担当のはずだけど」
「……あぁ」
体がだるくて怒りも沸いてこない
そういえば掃除は俺の担当だったか。
「風邪引いたから出来そうにない」
「え?」
俺のぼそぼそとした呟きに葉月が目を丸める。
ずるずると体を引きずるように台所へ向かいながら俺は続ける。
「だから、どうしてもって言うなら葉月がやってくれ」
「……なんで私が」
葉月が表情をゆがめる。
それが癪に障った。
俺の口から怒りがこぼれる。
「だからどうしてもって言うならって言っただろ。そうじゃなければ俺が明日やるから。というか俺風邪引いてんだよ。出来るわけないだろ」
「なんで怒ってんの。別に私やれって言ってないし」
いややれって言ってるだろ、とか。
怒ってるのはおまえの方だろ、とか。
いくらでも言葉は湧いてくるがため息と共に吐き出して、俺はお湯を沸かしてカップラーメンに注ぐと自室へ持って上がる。
今日は葉月が俺の睡眠を妨げないことを祈ろう。
*
黒で塗りつぶされた空間に俺は一人で座り込んでいた。
どこにも縁はなく、手足を動かしもがいても何も掴めない。
ただ浮遊感があるわけではない。
強いて言えば何もない。
五感が死んでいる。
酷く気持ちが悪い。
俺は独りだ。
ずっと独りだ。
学校でも家でもどこでも独りで過ごしている。
こんなに気持ちの悪いところに来るのであれば独りなんて止めるべきだった。
けれども後悔は何の意味も持たない。
ただ苦しくてどうにかここを抜け出したくて足掻くが何も変わらない。
動いているのかすら分からない。
そんな地獄に喘いでいると、ふと、頭の横に温度を感じた。何かがそこに置かれたのを感じた。
その現実世界とのつながりは黒の世界を消し去り、俺を再度深い睡眠へと誘った。
*
同日。
目が覚めた俺は窓の外に目をやると、月が昇っていた。
時刻を確認すれば20時。
昼はカップ麺を食べた直後に寝たからずいぶん眠っていたようだ。
それもあってか頭痛などの風邪の症状はかなりましになっている。
空腹を感じた俺は起き上がり手元のリモコンで部屋の電気をつける。
「?」
枕元にスポーツ飲料が置いてあった。
当然俺が置いたのではない。
スポーツ飲料で喉を潤しながらぼんやりと考える。
……誰が置いたのかなんて考えるまでもない。
しかし、どうして?
理解できない状況に、複雑な感情を抱えながら俺は階下に降りてリビングに入る。
葉月がいた。
スポーツ飲料のこともあり、何か言うべきか扉の前で立ち尽くしているとこちらを振り向いた葉月が言った。
「ご飯?」
「まあ」
「ちょっと待ってて」
「は?」
葉月はそれだけ言うと立ち上がり、コンロの前に立つ。
その姿を呆然としながら見ていた俺は、少し離れて隣に並んで手元をのぞき込む。
おかゆだった。
葉月がスマホでレシピを見ながらおかゆを作っている。
何を言えば良いのか分からない。
「……何? 見られてるとやりづらいんだけど」
「あぁ」
俺は頷きつつもその場を離れられない。
何かしなければならない気がして動くことが出来ない。
「もしかして、好きなおかゆの味とかある?」
「いや、ない……けど」
「じゃ中華風ね」
何やら手慣れている風のことを言う葉月を怪訝に思いつつ、その場に立ち続けているのも気まずかったので台所を離れソファに座る。
妙な居心地の悪さを感じながら待っていると、声をかけられたので食卓に着く。
俺の前に出されたのはお茶と、卵がふわりと輝くおかゆ。
いただきます、と呟きスプーンを手に取ったところで葉月が言った。
「器、シンクの中に置いといて。洗っとくから」
「え、ああ」
言って葉月はリビングを去って行く。
そういえば葉月はどうして自室ではなくリビングでくつろいでいたのだろうか。
しかし、それに関して思考を進める余裕は俺にない。
なぜなら目の前のおかゆが非常に魅力的だったからだ。
まず第一に俺は極めて空腹だ。
朝ご飯は抜いたし、昼も小さなカップラーメンのみ。一日中ベッドに横たわっていたとはいえ、俺は食べ盛りである。腹が空いて仕方がない。
第二におかゆが極めてうまそうだ。
ゆらゆらと漂う香りは、ごま油を使用しているのか香ばしく、鶏ガラスープの匂いが俺の食欲を刺激する。ふっくらとした米の間に浮かぶ金糸のような卵はきらきらと電灯を照り返し見た目にもおいしそう。
俺はスプーンに大きくおかゆをすくうとそのまま口に含んだ。
うまい。
俺はぱくぱくとおかゆを食べ進める。
絶妙な塩加減に丁度良い塩梅の水分量。優しい中華風の味付けに俺のさじが止まらなかった。
あっという間に器の中が空になり、ごちそうさまでした、と俺は呟く。
誰かに作ってもらったおかゆを食べるのは記憶の中では初めてだった。
自分で作って食べたことはあるが、父さんは作らないし、俺を産んだ母親に看病してもらった記憶はない。
体の内部が暖かく、風邪の症状が和らいだ気すらする。
やはりうまいものを食べるのが一番健康には良いのだろう。
俺は葉月に言われたとおりに、シンクで器を水に浸しリビングを後にする。
歯を磨いて再度布団に横になってぼんやりと思う。
もしかしたら葉月は俺におかゆを作るためにリビングで待っていたのではなかろうか、と。
なぜなら葉月は普段リビングでくつろぐことはあまりないし、俺におかゆを作り次第自室へ戻ってしまった。
そしてスポーツ飲料を枕元に置いてくれたのも疑う余地なく葉月だろう。
……礼を言うべきなのだろうなぁ。
全く言える気がしないが、腹の膨れた俺は早々に再度眠った。
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