第9話 他人と一緒に住めば当然起こること

 ゴールデンウィークが始まり、両親が旅行に出かけた。

 朝起きたときにはすでに両親は出かけており、家の中は妙に静かだった。

 どこかに出かけたのか葉月もおらず、家には俺だけ。

 妙に頭が重いが、昨日連休だからといって遅くまで起きていたのが原因だろう。

 ただ、体調がそれほど悪い訳でもないので俺はいつも通り、適当に朝食を済ませる。

 食後にコーヒーをすすりながらスマホの電源を入れるとメッセージが入っていることに気がつく。

 葉月からだった。


『夜までには帰るから』


 だからなんだよ。

 飯作っとけってか……。

 まあ家事の分担は話し合って決めたので今更文句はない。

 ゲームをしてマンガを読んで数日分の食料を買いにスーパーに出かけて気づけば夕方。

 朝はそれほどではなかった倦怠感が体中を満たしている。風邪を引いたのかもしれない。 しかし夕飯は作らなければならないので、のろのろと立ち上がった俺は適当にレシピを見ながら料理を作る。

 別に葉月を待って一緒に食べる必要もない。

 早々に一人で夕飯を済ませて早く寝よう。

 調味料をすべて加えて食材と馴染ませていると玄関が開いた。


「ただいま」

「……っす」


 リビングに顔を覗かせた葉月がキッチンに立つ俺に気づいて寄ってくる。

 ソファの上にバッグを置いた葉月は俺の隣に並ぶとすんすんと鼻をひくつかせた。

 どうでもいいが葉月から良い匂いがする。香水だろうか。


「もうご飯? 早いね」

「別に今食べなくても良い。俺は先に食べるけど」

「食べるからちょっと待ってて」


 食欲をそそられたのか、そう言った葉月はバッグを持って自分の部屋へ戻っていった。

 俺はちょうど炊き上がるようにセットしていた白米を器に盛り付け、主菜のなすと豚の中華炒めも器によそう。

 味噌汁は面倒だったのでインスタントの素にお湯を注いで準備する。

 それに納豆を添えれば完成だ。

 二人分の夕飯をリビングの食卓へ並び終えたと同時に葉月が戻ってきた。


「へーおいしそうじゃん」

「……そりゃ良かった」


 部屋着の葉月と対面に腰を下ろし、俺と葉月は合唱してから食事に手をつける。

 今日作ったのは俺の得意料理らしきものだ。

 これまで何度も作ってきたし、味についても俺はかなり気に入っている。父さんもいつもうまそうに食べているからまずいということはないと思う。

 そんなどうでもいいことが俺の頭の中をよぎったが、俺はいつも通り食事をする。

 

「ん、おいしい」

 

 油がつやつやと光る葉月の唇から一言漏れた。

 葉月が口に運んだのは主菜だ。

 少し濃いめの味付けだからか、それと合わせるように葉月が白米をかき込む。

 もぐもぐと満足げに口を動かし飲み込んだ葉月はお椀に手を伸ばすと味噌汁をすすった。

 そしてふぅと息をついて言った。


「慶太って料理上手なんだ」

「……レシピ通り作っただけだけどな」


 俺の呟きにぱちぱちと葉月が瞬く。


「そうなの?」

「まあ。誰でも出来るよ」

「ふーん……?」


 言いながら葉月は味噌汁をすする。


「特にこの味噌汁すごくおいしい」

「フッ」


 それはインスタントだアホ。

 なんて何やら得意げな葉月に言うのは憚られたので言葉を飲み込んだ俺だが、鼻で笑ってしまった。

 葉月が少しむっとする。


「なんか馬鹿にした?」

「いや?」

「……ふーん?」


 ポーカーフェイスで首を振った俺に葉月は疑うような視線を向けてくるが、俺が反応しないでいると追及は終わった。

 そのまま俺たちは会話らしい会話もなく食事を終え、各々の食器をシンクへ運ぶ。


「じゃ、洗い物頼むわ」


 食器洗いは葉月の担当となったのだ。

 葉月は頷くとスポンジを洗剤で泡立て食器を洗い始めた。

 コーヒーを飲むためにお湯を沸かしていた俺は特に理由もなく葉月の手元を見つめる。

 かなりスムーズに手が動いているあたり、いつも食器は洗っているのだろう。


「おい、ちょっと待て」

「?」


 俺の制止に葉月が手を止める。

 こいつは何をしている?


「そのスポンジ、フライパン洗ったやつだろ」

「え、うん」


 俺の指摘に葉月はだからどうした、とでも言うように瞬く。

 その反応を俺は怪訝に思いながら続ける。


「なんで普通の食器も同じスポンジで洗おうとしてるんだよ。油で汚れるだろ」

「え?」

「……は?」


 首をかしげた葉月に俺は首をひねる。

 葉月に話を聞くと、葉月の母親がスポンジを分けずに食器を洗ってたらしい。

 俺からすると信じられないがそういう家もあるらしい。

 ともかく。


「油物とそれ以外でスポンジは別の物を使ってくれ」

「いや、大丈夫でしょ」


 葉月はそんなことを言いながら、油でベトベトになったスポンジで食器を洗い始めた。


「いや、良くないから。スポンジこれ使え」

「……えぇ?」


 平然と俺を無視する葉月にキレそうになったが、怒りを飲み込んだ俺はシンクの下から新品のスポンジを取り出し葉月に手渡す。

 葉月はわずかに表情をゆがめながらも受け取ると、新しいスポンジを用いて新たに洗い始めた。

 お湯が沸くまで暇だったので、俺はふきんを手に取り葉月の洗い終わった食器を拭き始める。


「いや、なにしてんの」

「……拭いてるだけだけど」


 手を止めた葉月が目を細めて俺を見ていた。

 何やら不満げだが、全く意味が分からない。


「食器は自然乾燥でしょ」

「はい?」


 葉月の口から飛び出した知らない概念に俺はあっけにとられる。

 そんな俺を小馬鹿にするように葉月は短く息を吐くと続ける。


「食器なんて置いとくだけでもすぐ乾くし、逆にふきんで拭いたりしたらふきんの汚れがせっかく洗った食器につくでしょ」

「いや、水滴残ってる方が汚いだろ」


 俺の明快な反論に葉月ははぁ、と息をつくと言った。


「ともかく、食器は置いといて。私が乾かしておくから」

「……」


 語気を強めた葉月に俺は反論ごと感情を飲み込んで、コーヒーを持ってキッチンを去る。

 不毛な争いになる予感しかなかった。

 しかしそれから俺と葉月は度々いがみ合った。


「コンロの周りが汚いんだけど」

「毎回綺麗にする必要ないだろ」


 妙に潔癖な葉月と、綺麗にする負担を考えて掃除は最低限で済ませたい俺が衝突したり。


「洗濯物これまだ畳んでる途中だよな?」

「え? 畳み終わってるけど」

「……ちゃんと畳めよ」

「……文句言うなら慶太がやれば」


 適当に折りたたんだとしか思えない洗濯物を注意すればキレられたり。

 両親がいる間は気にすることのなかった習慣のズレが頻繁に目についた。

 当然だ。

 俺と葉月は他人なのだ。

 以前は俺たちと同様に他人であった両親は、しかし夫婦だからこそ、折り合いをつけて何事もなく共に暮らしているが、俺と葉月はそうではない。

 本当にただの他人なのだ。

 ただ互いの親が夫婦になっただけの他人だ。

 たいして相手のことを知らないし、知らない他者に向けるほどしか思いやりも持つことが出来ない。

 そんな俺たちが唐突に一緒に住むなど出来るはずがない。

 互いに苛立ちを抱えた俺たちはそれを相手にぶつけることはせず、しかし険悪な雰囲気を漂わせ互いに自室へ引っ込んだ。

 頭が痛い。

 体がだるい。

 元々体調が良くなかったところに神経を逆撫でされ悪化した気分だ。

 俺はそのまま電気を消すとベッドに倒れ込む。

 普段ならまだまだ起きている時間帯だし、せっかくの連休なのにもったいないという思いもあるがただ動画を見ることだって出来そうにない。

 俺は毛布をかぶりまぶたを閉じる。

 幸いにもすぐに眠ることが出来た。

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