第5話 同棲系ラノベの一番おいしいところ
俺と葉月が、つまり年頃の男女が一つ屋根の下に住むにあたって、暗黙の了解的に整備されたことがある。
脱衣所のバッティング回避だ。
もちろん例えば入浴後の葉月が脱衣所で服を着ている間に、俺が間違えて入るハプニングなどを防ぐためだ。
行われている対策としては実にシンプルで「入浴中」と書かれた札がかけてあるだけ。
しかしそれだけでも効果としては十分で今はハプニングが起こる気配すらない。
それに、いらぬ疑いをかけられたりして居心地が悪くなるのは絶対に嫌なので、ハプニングが起こってほしいとも思わない。
そんなことを年頃の男女が一つ屋根の下で住むことになった系マンガを読みながら思い出していた俺は飲み物を取りに階下へ向かう。
時刻は22時過ぎ。
脱衣所からは光が漏れており、リビングからは父さんと母親の声が聞こえてくる。
どうやら葉月が脱衣所を使用中らしい。
そんなことをぼんやり認識しながらリビングに入った俺に父さんと母親が気づいた。
「お、慶太。どうかしたか?」
「飲み物飲みに来ただけ」
「あ、慶太くん良かったらジュースが」
「大丈夫です」
「そう……」
しゅんとする母親にぺこりと腰を折った俺はそのままリビングを退出する。
リビングからは父さんが母親を慰めている声が聞こえる。
『慶太は歯を磨いたからジュース飲まないだけだって』『……だといいなぁ』なんていう会話から少しだけ二人の声のトーンが落ちていることが分かる。
胸中に広がった罪悪感に似た感情を短い呼気とともに吐き出す。
新しい母親に素っ気ない反応をしたことを悪いとは思っているが、俺はあれ以外のコミュニケーションの取り方を知らない。
「あ」
「……」
俺がリビングの扉を閉めたところで脱衣所の扉が開き葉月が顔を覗かせた。
上気した頬に湿り気を帯びた髪。
化粧を落としているからかいつもより幼く見える葉月が俺をぽかんと見つめている。
「……」
「……」
当然話すことなどないので適当に会釈をして俺は葉月を横切る。
「待って」
「……なんだ」
と、俺の手首が捕まれた。
風呂上がりだからか、いつもより高い体温が俺にじんわりと伝わってくる。
俺を引き留めたはいいものの何を話すべきか決めていなかったのか、しばらく言葉に迷っていた葉月が言う。
「えっと、……何してたの」
「水飲んだだけだけど」
「ふーん……」
「……」
「……」
「じゃ」
「待って待って待って」
会話が終わったのを察して歩き始めた俺の手首を再度葉月がつかむ。
気づかれない程度に小さく息をついた俺は再度立ち止まる。
廊下はしんと静まっていた。
リビングからかすかに父さんと母親の声が漏れ聞こえてくるが、何を言っているかは分からない。
こんなに静寂を意識したのは久しぶりだ。
なぜなら俺にとって静寂は当たり前で、意識するほどのことでもないから。
しかし、手を掴まれるている現状で何も会話が起こらないというのは不自然極まりなく否が応でも気まずさを自覚する。
10倍ぐらいに引き延ばされた10秒を待っても、葉月が口を開くことはなかったので俺はそっと葉月の手を引き剥がそうとする。
「友達にならない?」
「……は?」
葉月が何の脈絡もなくそういった。
あまりに予想外なそれに気まずさも忘れて俺は葉月を凝視する。
葉月に言い間違えた様子はない。
どうやら本当に「友達になろう」と言ったらしいが、意図が読めない。
よく知らないが、友達って『友達になりましょう』『分かりました』で成立するものなのか?
そんなことを考えながら困惑していると、葉月は自分でも発言のおかしさを自覚しているのか、頬を赤く染めてつっと視線をそらす。
「知り合いでもいいからさ」
「……はぁ?」
ぼそりと呟いた葉月の意図がますます分からず俺は眉根を寄せる。
友達になろうはまだしも知り合いになろうって、なんだ。
聞いたことがない。
葉月が説明を加えようと口を開く。
「えっと、だから――」
「葉月ー? お風呂上がったのー?」
と、廊下にいる俺たちの気配に気がついたのだろう、母親がこちらに向かってやってくる。
俺は実のところ新しい母親がそれほど得意ではない。
いい人なのは分かっているが、露骨に気を遣われているし、何より何を話せば良いか分からない。
母親が来る前に退散しようと俺が足を自室に向けると、腕がぐいと引っ張られた。
「おい!?」
「いいから……!」
されるがままに葉月に引っ張られ俺は脱衣所に連れ込まれる。
そして扉がピタリと閉められた。
「あれ、葉月がいた気がしたんだけどな-?」
「ん? 葉月ちゃんが?」
なんていう両親の会話が扉越しに聞こえてくる。
ただそんなことに意識を向けられないぐらいに、どくんどくんと俺の心臓が鼓動を早くしていた。
「なんで隠れるんだよ……!」
「静かに!」
俺の抗議に葉月がぴしゃりと言い放ち、俺は押し黙る。
俺は葉月と脱衣所で密着していた。
俺たちの家の脱衣所は現状、とても狭い。引っ越し直後ということもあり多くの段ボールが積まれているのだ。結果として、一人が着替えられるスペースぐらいはあるものの二人同時にゆったりと存在できるほどのスペースはない。
その上今は脱衣所の電気が消えており真っ暗だ。
うかつに動けば物が崩れ、外にばれる可能性がある。
脱衣所に飛び込む前であれば両親に見られてもなんともなかっただろうが、さすがにこんなところで密着している現状を見られるのは大変まずい。
というか両親に見られなくても大変まずい。
有り体に言って俺の性欲が刺激されていた。
葉月から漂う甘い香りは俺の胸を高鳴らせ、俺との間で潰れた大きな胸が葉月が身動きを少しでも取るたびにむにむにと形を変え俺の性欲を刺激する。
さらに悪いことに葉月の細いが肉感のある太ももが俺の股下に割り込んできているせいで、俺の股下にぶら下がっているものが定期的に刺激を受ける。
ここで勃起するのは非常にまずい。
家の中で気まずくて死ぬ。
「動くな……!」
「そんなこと言ったって体勢が……!」
ゼロ距離で俺と葉月は会話する。
暗いから何も見えないが、葉月の吐息が俺の首を撫でる。
まずい、股間への血流が……!
「慶太くんもさっきまでいたから二人で話してるのかなーって思ったんだけど、もう戻っちゃったのかな」
「どうかした? なんか残念そうだけど」
「あ、……うん。慶太くんと葉月まだ仲良くなれてないみたいだから」
「あー……まあね」
両親は俺たちがここにいるなんて思っていないのだろう。
俺と接するときよりもリラックスした口調で母親が話している。
「慶太くん、ちゃんと家の中でリラックスできてるかなーって不安なの。私と葉月と急に住むことになって負担になってないかなって。いつも楽しくなさそうな顔してるから」
「慶太はいつもあんな顔だよ。だから気にしなくていいと思うけど」
「そうかなぁ? ……私最近思うんだよね。再婚して良かったのかなって」
葉月が息をのんだのが分かった。
扉越しに聞こえてくるシリアスな話に俺の内部も徐々に冷えていく。
「……それはどうして?」
「私たちは幸せだけどね? 一緒に暮らすことになって、慶太くんと葉月にはただ負担を強いただけなんじゃないかって思っちゃう」
「……うん」
「そうやって悩んでたらね、私の考えていることに気づいた葉月が言ったの。『慶太が家族に馴染めるよう私が仲良くなるから安心して』って」
それを聞いた俺の内部が再度熱を取り戻す。
怒りだ。
俺はその種の哀れみを憎悪している。
葉月の母親の話は続く。
「でも、それからしばらく経つけどあんまりうまくいってる様子じゃないから心配で……」
「……うん分かるよ。オレも再婚していいのか迷いはあったからさ。でも、まだ結婚して一ヶ月も経ってないんだから、それが良かったのかどうか判断するには早すぎるんじゃない?」
「……そだね」
それを最後に二人の声が遠のいていく。
リビングの扉が閉まる音が聞こえたと同時に、葉月がそろりと脱衣所のドアを開け俺と葉月は外に出た。
俺は無言で自室を目指して歩き出す。
「待って」
「……」
葉月の声に俺はピタリと足を止める。
一拍おいて葉月が言った。
「私は慶太と友達になりたい」
「……」
葉月の唇が引き結ばれていた。
リビングから届く弱い光源が葉月の瞳の中できらりと反射する。
「別に、恋人になろうとか、親友になろうとか言ってるんじゃない。なれるとも思ってない。ただ友達になろうって。まずは知り合いぐらいにはなろうって。だって私たち、家族なんだから」
はらわたが煮えくり返りそうだった。
かわいそうだから友達になってやろう、ってか?
何様だよ。
俺は友達なんかほしいと思わないし、ましてそんな哀れまれた末の友達なんて絶対にいらない。
怒りの乗った言葉が喉まで出かかっていた。
ただ、俺は怒りだけを呼気とともに深く吐き出してから、無感情に言う。
「もう俺に気は遣わなくていいから」
俺はそれだけ吐き捨て自室に戻る。
血のつながっていない異性のきょうだいが出来たからって期待なんてしてはいけない。
幼なじみだったり元カノだったり運命の人だったりはしない。
ただの他人だ。
知らない他人と同じ家に住むメリットなんてあるはずがない。
煩わしいだけだ。
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