ぶつかりさん

光杜和紗

ぶつかりさん


 突然ですが『ぶつかりさん』ってご存知ですか?

 あの、ぶつかりおじさんみたいな迷惑な人の類の話じゃないですよ。

 怪異の『ぶつかりさん』の方のお話です。


 私、以前に『ぶつかりさん』の夢を見たんですよ。

 それからもう結構な時が経ってるのに、内容が全く忘れられなくって。

 だからこうして今回初めて、お話してみようと思ったんです。



 ――これは私が何年か前に、夢の中で『ぶつかりさん』に出遭ってしまった時のお話です。



 その日、私は人気もまばらな夕暮れの住宅街を歩いていました。

 この時の私は勿論、自分が今夢を見ている状態とは気がついていませんでした。

 ただ私は友人に会いに行く途中だったんです。その友人が誰だったかというのがハッキリしないのが夢の奇妙なところです。


 夕日に照らされたオレンジ色のコンクリートを歩いていた私は、ふと背後から強烈に視線を感じました。

 振り返りはしなかったんです。

 でも、不思議とその視線をぶつけてくる相手との、距離どころか、その姿までがまざまざと脳裏に浮かんだんです。……夢だからですかね。

 

 ――あ……『ぶつかりさん』だ……。

 すぐに私は、それが『ぶつかりさん』だと気がつきました。『ぶつかりさん』という名前だと何故か分かったんですね。


 『ぶつかりさん』は見た目はさほど怪異めいておらず、一昔前の女学生の姿をしています。

 膝下まであるスカート丈のセーラー服は彼女がやせ細っていてるためか、酷くぶかぶかした印象です。

 首を竦めて、猫背状態。典型的な幽霊のように髪は足元までも伸びていて、ただ前髪の隙間から覗く片目だけがギラついている。

 彼女は瞬きひとつせず、私をじっ……と見ていると感じたんです。


 ――彼女と目が合うとマズイ。

 そうなればいっかんの終わりである事が分かりました。不思議と『ぶつかりさん』がどんな存在なのかが、私の中に流れ込んでくるんです。


 彼女は寂しくて、寂しくて、友達を探している。

 だからもし、私が彼女の存在を認識していると気づかれたら……。


 でも目さえ合わなければ平気なんです。

 だから私は振り返らず、友人に会うために再び街を歩き出しました。


 『ぶつかりさん』は

 まるで瞬間移動のように突如現れて、ただじっと立ち尽くしたまま対象と目が合うまで凝視するんです。

 そして、自分は認識されていないのだと悟ると、また自分を見つけてくれる人を探して次の場所に赴くんです。


 目は合わせないようにしたのに、何がまずかったんでしょうか。一瞬だけ立ち止まってしまったのが良くなかったのかもしれません。

 歩き続け住宅街からやがてビル街にやってきた私は、だんだんと増えてゆく人混みの中でも、まだ時折、背後や、真横から『ぶつかりさん』の視線を感じていました。

 ふとした瞬間に彼女が近くに現れるものですから、私は目を合わさないように必死でした。

 人混みの隙間に彼女らしき姿があっても、決して目だけは合わせないようにと焦点をぼかし、すぐに目を反らしました。


 『ぶつかりさん』の何が厄介かって彼女は幽霊ではないんです。実体のある怪異なんです。

 目さえ合わなければ道行く人には彼女が本当にただ雰囲気の暗い女学生にしか見えていなかったでしょう。でも危険を教える事はできませんでした。見えてると気づかれるわけにはいきませんでしたから。

 そして、活気あふれる街池袋に到着した時に『ぶつかりさん』はその恐ろしい本質を発揮しました。


 「ギャア!!」 という叫び声と、ぐちゃっという肉の潰れるような音がしたのはほぼ同時でした。


 誰かが『ぶつかりさん』と目が合ってしまったんです。

 寂しい寂しい『ぶつかりさん』は、自分の存在を認めてくれた人を見つけると、まるで強力な磁石のように猛スピードでその人間に向かってゆくんです。ひとつになりたがるように!


 そして、ものすごい勢いでぶつかったその人と『ぶつかりさん』は、本当にひとつの肉塊に……。


『ぶつかりさん』の恐ろしいところはそれだけではありません。

『ぶつかりさん』にぶつかられた人は、彼女の寂しさとひとつになってしまい、寂しさに侵され、んです。

 彼女の寂しさは誰も癒せやせず、それどころか広がるばかりなんです。


 ……地獄の惨劇が幕を開けました。

 人があふれかえる夕闇の街で、悲鳴と肉同士が激しくぶつかる音がどんどんどんどん増えてゆく。

 例えば誰かひとりのぶつかりさんと目が合えば、無数のぶつかりさんがその人にぶつかってゆき、圧死させるんです。そしてまたぶつかりさんが増える。


 増える、増える、ぶつかりさんが増えてゆく。

 身体を突き刺すような視線が増えてゆく。


 私は彼女と――いえ、と目を合わさないようにただひたすらに自分の足元だけを見つめて、進みました。

 走って逃げてはいけません。動揺していたら、見えていると気づかれてしまう。


 ……やがて周囲から聞こえる悲鳴もほとんど消えた頃、夢の中の私は駅にある大きな軒下へと隠れました。

 なんで駅に軒下があるのかは分かりません。夢ですから。


 頭を下げた状態の匍匐前進でやっと進める程度の狭さの中、ずりずりずりと、ただひたすらに友人に会いにいくために進みました。

 半ばほどまで進んだ頃、強烈な視線を後方から複数感じました。『ぶつかりさん』は軒下に逃げ込んだ私に気がついていたのです。

 振り返らなくても分かるんです。

 数十人の『ぶつかりさん』が私が逃げ込んできた入口にビッシリと這いこんできていると。


 ――もう戻ることはできない。

 私は吐き気と嗚咽を耐えながら、ひたすら這って進みました。


 不気味なのは、『ぶつかりさん』達は追いかけてきてはいないのに、視線だけがどんどん迫ってくるように感じるんです。まるですぐ背後にいるかのように。


 ずりずり、ずりずり。あと少し、あと数メートルで出られる!

 軒下の淀んだ空気の流れが変わってきたのを感じ、私は顔をあげようとして――脳裏に突如浮かんだ光景に凍りつきました。


 泥だらけになった私のつむじ。それを見つめる……――次の瞬間、前方から無数の視線を強烈に感じました。

 出口から差し込んでいたはずの僅かな明かりは消えて、私は暗闇の中にぼんやりと浮かぶ自分の拳を見下ろしているしかできませんでした。


 私は悟りました。

 もう前に進む事も、後ろに戻る事もできない。

 延々俯いたまま限界までここで縮こまって、そしていずれは――……。

 

 ……こんな恐怖にはもう少しも耐える事はできない。

 終わり方が分かっているなら、いっそ早いほうが……!!


 ――そうして、私は顔をあげました。


 すぐ目の前にあった長い髪の隙間から覗く瞳と目が合ったその時、四方からめがけて私に向かってくる彼女たちとぶつかる寸前、彼女達から私の全身に流れ込んできたのは、自分以外の存在と交わる事ができたという――恍惚とした強烈な歓喜。



 …………私が見た『ぶつかりさん』の夢はここまでです。


 いやとんでもない夢を見たなと。それで、あまりにもできすぎた夢だったなと思ったんですよ。

 見た目から設定から展開から、まるで作られたような内容だなと思って。

 そもそも『ぶつかりさん』って名前があまりにも自然と思い出されたんです。夢ってのは複雑で支離滅裂なものなのに、こんなの妙じゃあないですか。

 私も小説を書いたりする身でこそあるんですけど、ホラーは専門外ですし、じゃあこれどっかで見た事あるんだなと思って『ぶつかりさん』をネットで調べたんですよね。

 最近の『怪奇』とか『怪異』って知られれば知られる程、力を増すみたいなのもよくあるじゃないですか。そういう系で漫画や記事で見た事があって今さら影響されたのかな~って。


 でも、どこにも情報がないんですよ。『ぶつかりさん』っていう怪異は。

 

 ……あの夢を見てから数年経つのに、一向に記憶が薄れないんです。

 って本当に私の脳みそがたった一晩で作り出した存在なんですかね。

 それとも――本当はどこかに『ぶつかりさん』がいて、寂しくて自分の存在を知って欲しくて私の中に入り込んできたんですかね。

 私が最初のひとりで、それで――……。


 だとしたら、この話を口にしちゃった時点で……始まっちゃうのかもしれないですね……。


 ごめんなさい『ぶつかりさん』の存在を、あなたに教えてしまって。


 ひとりで、抱えきれなかったんです。

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