第13話 進展

「最深層の、攻略?」


 アデライドが首を傾げると、エルバンスの面々は揃って頷いた。


「ああ。最近になって第八階層への別の入り口が見つかってな。先行調査によると、行き方の分からなかった深層へ続いているらしい」

「なるほど?」


 それでその探索に誘われているのか、と思いつつ、アデライドはまだ腑に落ちない思いだった。

 これまでエルバンスがアデライドを戦力に数えた事は一度も無い。つかず離れず、協力関係にあったのはあくまでも迷宮ダンジョンの外だけだ。


「お嬢、そこにはな、が棲んでいる痕跡があるって報告が出たんだよ」

「えっ、竜? 本当に?」

「こんなんで嘘ついてどうする。銀竜は小型だが、竜の血ってのは魔力の含蓄においては抜きん出たものがあるんだろ? 魔力定着どころか、の付与が出来るかもしれねえってよ」


 思わず耳を疑うほど、今のアデライドにとっては都合の良い情報だった。


「至上の霊薬……」


 魔素吸引の付与は、魔力定着などよりずっと難しい。

 迷宮外でそれをやろうとすれば、その触媒には魔力の濃度・密度共にカーバンクルの宝玉を遥かに超えるような何かが必要になる。


 そしてアデライドが知る中では唯一、至上の霊薬と呼ばれる竜の血だけが、その基準を満たせるものだった。

 本当にそれが手に入るとするならばやらない選択肢は無い。


「竜なんて、この国ではおよそ百年ぶりかな。こんな機会にちょうど巡り会うなんて、まるで神のお導きみたい」


 なにしろ血の主である竜そのものが、あまりにも希少だった。


 迷宮の最奥のみに生きる、伝説の存在。知恵を有し、鱗に覆われた強大な体と、数多の魔術を扱う莫大な魔力を有する、特別な生き物。

 それが竜というものだ。


 たとえ血が得られなくとも、鱗や髭、爪や牙だけでも魔力定着が年単位で行えるだろう。


 ――その頻度であれば。王子の妾にされた後でも、貴族議会の管理下でなら、ルキアスに会えるかもしれない。

 伯爵家の子息の命が掛かっているとなれば、妾一人が一年に一度出歩くくらい許されるのではないだろうか?


 好きなのだと自覚して、それでも状況は一つも変わらない。

 2国の王位の継承者であるベネディクト王子の望んだことを、真の意味で潰すような力は、アデライドにも、ルキアスにもありはしないのだから。


「……分かった、連れて行ってほしい」


 物思いに伏せていた顔を上向けて、アデライドはきっぱりとそう言い切った。

 やはり、できる限りのことをしたいのだ。自覚の有無が違うだけで、ルキアスへの気持ちは何も変わっていないのだ。


「いつでもいいが、早い方がいいだろうな。他の探索者シーカー共と睨み合ってる状態なもんでな」

「夫に話をつけて、どうにか時間を作ってみる。深夜帯でも大丈夫?」

「お、おお。深夜帯は他の連中が少ねえからな。寧ろやり易いくらいだぜ」


 アデライドは微笑んだ。

 深夜帯の迷宮は、アデライド一人が彷徨けるほどにひと気が無い。魔獣は夜に活発化すると探索者達の間では伝えられており、命の惜しい者は必ず日のあるうちに迷宮へと潜り、日の沈む前に這い出してくるのだ。


 熟練の探索者揃いであるエルバンスとて、その例外ではなかった。アデライドが一人、家を抜け出して迷宮へと潜るようになるまでは。


「そう。……ありがとう」


 はにかみ混じりの穏やかなお礼の声に、エルバンスの面々は「ようやくお嬢が常の調子を取り戻したか」と胸を撫で下ろした。

 そうして「その血みどろの酷い有様をどうにかして、とっとと帰って寝てしまえ」と全員で大合唱をして、やっとアデライドを迷宮から追い返したのだった。



 エルバンスの拠点で浴室を借り、染みついた血と脂の匂いをどうにか落としきって、伯爵家へと戻る。


 少し迷ってから、ルキアスの部屋へと忍び込んだ。

 もう明け方間近という時間帯であったため、部屋の主はアデライドの予想通り、ポツンと置かれた寝台の中で静かに寝入っている。


 魔力や魔素の欠乏状態が改善され、身体中の炎症や不調が治まると、それに比例するようにルキアスの眠りは深く穏やかになった。

 今ではアデライドが近づく気配だけでは目を覚ますような事も無い。


 嬉しいような、安心するような、少しだけ寂しいような。


 血の色が透けて見えそうなほど白い頬をそうっと撫でる。肌の状態も一月前とは比べ物にならないくらい良くなって、触り心地も改善されている。


「……ルキアス」


 囁くように声を潜めて、呼ぶというより唱えるように名を呼んでみる。

 今更だが、まだ一度もその響きを声に載せてみた事が無かった気がしたのだ。


 それはルキアスも同じことだ。昼間のお茶会で、初めてアデライドと名前を呼ばれた。

 これまではずっと二人きり、この部屋で会うだけだったから、話をするにも呼び名は必要にならなかったのだ。

 それを言うならお茶会の状況も同じだけれど、それでも改めて呼ばれた事には、何か意味があるのではないか。


 夢を見ているみたいだな、とアデライドは思う。

 離縁させられるまでに見る、幸せな夢。

 或いは、何もかも取り上げられて王子の妾にさせられるという、一連の夢。今の心情ならば、悪夢と形容してもいいかもしれない。


 どちらにせよ現実感は無くて、意識のどこかが常にフワフワと浮ついている。

 あまり良くないことだな、とアデライドは思う。自分の気持ちに一つ名がついたことで、それが単なる現実逃避だと分かり始めていた。


 王子という途方もない権力により捻じ曲げられた、どうしようもない現実から、心を守るために関心を閉じる。

 そうすれば確かに、アデライドは必要以上に傷付かずに済む。


 ルキアスの部屋を訪れたのは、彼に対しても出来るかを確かめるためだ。

 傾けた心が恋だと分かるまでは、ルキアスの気持ちはほとんど考えた事が無かった。治療を拒まれないために、気分を害さない事や、最低限の信用を得るための事は考えたけれど、それだけだった筈だ。


 であれば、これから先もルキアスの気持ちに無関心でいられるならば。恋する自分にさえ無関心でいられるならば、別れはそう辛くないのではないか。


 ルキアスと初夜を迎えることになって、それを辛く感じたのは、嬉しいからだ。恋する気持ちがまず喜んで、けれどそうであるが故に、未来に待つ別れを思うと身が引き裂かれそうなほどに苦しい。


 特にルキアスが何を思ってそう言い出したのか考えてしまえば、関心を閉じた筈の王子を憎みそうにさえなる。


 ――月光に青白く輝く美しい寝顔を見ているだけで、アデライドは心が一杯になった。

 彼が穏やかに、深い眠りにつけているというだけで、そうなってしまう。


 とてもじゃないが、この人から向けられる気持ちに対して心を閉ざすなど、出来そうにもなかった。

 ルキアスの気持ちを考えずにいられた、というのが、間違った認識だったと痛感する。


 無意識だっただけだ。

 好きだいう自覚が無かった。

 これまでずっとアデライドが与え、ルキアスが受け入れるという関係だったから、ルキアスがアデライドのする事を許してくれるだけで、ただ満足し続けていた。それだけだった。


 静かに溜息を吐いて、アデライドは音も無く自室へと戻る。そうして、気絶するように寝入るまでの間、一人項垂れた。


 恋なんてするべきじゃなかったのに。

 美しいものが、ただ好きだった筈なのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 07:00 予定は変更される可能性があります

愛しのかわいい旦那様! けいぜんともゆき/関村イムヤ @keizentomoyuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ