第12話 持て余したその感情の名

 魔術を放つ。強化した身体でぶち破る。

 高く売れる素材となるツノごと魔獣の頭蓋が砕けたが、そんなことは今夜のアデライドにはどうでも良かった。


 とにかく暴れたい気分だった。コントロールの効かない感情が溢れて仕方が無い。

 迷宮ダンジョンザルバナムの井戸の第5階層で、アデライドは大型魔獣を相手に暴虐の限りを尽くしている。


 これまでは傷のひとつも負わないようにと身体強化による近接戦闘は避けていたが、今夜に限ってはそれさえどうでもいい。多少の打撲や切り傷など、魔法薬に回復魔術、どうにかする手段は山程ある。


「……うわぁ、お嬢が荒れてる……」


 やがて、破壊された魔獣の死骸が積み上がる通路の入り口から心底気まずげな呟きが聞こえてきて、ようやくアデライドは執拗なまでの魔獣狩りの手を止めた。


 いつの間にか息が上がっている。思ったより体力を消費していたらしく、気が抜けていたと自省する。

 発散の場として多少無茶をしても問題無い層を選んではいるが、それは最低限の自己管理を徹底している前提の話だ。


「ステファン?」

「おう、俺たちだ」


 迷宮探索者ダンジョンシーカーの一団、『エルバンス』の者達がやって来た事に気がついて、アデライドは返り血塗れの顔を拭った。拭った袖にべったりと脂混じりの赤がついたのを見て、流水の魔術で洗い流す。

 そうしているうちにエルバンスの面々はアデライドの惨状が見える所まで辿り着いた。


「うわぁ……」


 松明の火で辺りを照らした彼等は、全員が改めてのドン引きの声を上げる。

 アデライドが近接戦のしやすい通路まで何度も魔獣の群れを引き寄せたものだから、そこには夥しいまでの暴虐の跡が色濃く残されていた。


「こりゃひでぇ。血の海じゃん」

「おいおい、素材回収もしてねえじゃねえか」

「魔獣だって一応は生き物だぞ。これじゃぶっ殺された方も浮かばれねぇってもんだ」

「お嬢の癇癪なんて初めてなんだから多めに見てやろうぜ。お前ら、売れそうな素材探せ探せ」


 探索者達は好き勝手に喋ると、思い思いの方向へ散って魔獣の残骸を漁り始める。


 アデライドは残ったステファンにより、通路の壁際へと促された。


「お嬢、とりあえず座れ。息切れしてるだろ」

「……うん」


 素直に頷いて、向かう足取りはとぼとぼとした覇気のないものとなった。

 エルバンスとは迷宮内では連携しない決まりだった筈だが、彼等が放って置けないほどにアデライドは良くない状態に見えたようだ。


「なんかあったんだな。話してみろ」


 面倒を見るつもりになったステファンにはっきりとそう言われると、無関係だと切り捨てるような真似もできない。

 開き直って暴れ回る感情の整理を助けてもらおう。そう自分を納得させて、アデライドは渋々ながら口を開いた。


「――実は、少し前に急に嫁ぐ事になって」

「は? …………嫁ぐ? お嬢が?」


 案の定、一言目からステファンは混乱し始めたようだが、アデライドは構わず話を続ける事にした。こうなったら全部聞いてもらってしまえ、と考えたのだ。


「ええそう。本当に急な話で、ほんの一月で嫁入りして」

「待て、待て待て。嫁入り?? もうしたのか?」

「したよ。伯爵家」

「上昇婚〜……。じゃねえ、嫁に行ったのに迷宮に来てんのか? つうか、魔法薬師になるって言ってたのはどうした」

「無しだね。親元にいたから、お父様に心配かけず魔力が使える手段として魔法薬師を目指そうと思ってた。けどもう嫁いだから……」


 アデライドは膨大な魔力を身に宿している。それはあまり放っておくべきものでもなく、目減りさせられるならその方がいい代物だった。


 魔力の使い道は大分して2つ。魔術を使うか、魔力を用いて物を作るかである。魔術を使う方は教会の祈祷術師等の例外を除けばその殆どが戦闘に関わる労働者に繋がる。

 嫁ぎ先を探す娘が魔術を磨くとなれば、その父親の心労は測り知れない。それを慮っての魔法薬師の選択だったが、王子の妾となるべく嫁がされた今となっては、最早その意味も無い。


「その急な結婚には理由があって――……」




 途中からはステファンの相槌さえ無くなって、けれどアデライドは話をやめなかった。

 平民には分かりにくいであろう貴族社会の考え方や慣習について適宜補足を加えつつ、王子の妾にと望まれたことから始まり、病から回復させた夫に初夜を求められた事まで説明を終える。


 その頃には、魔獣から素材の剥ぎ取りをしていた他のエルバンスの面々も手持ち無沙汰となってなんとなく話に耳を傾けていた。

 アデライドが「そういう色々があって、流石に苛々してきてたんだ」と結ぶと、「そりゃそうだろうよ」と耐えきれなかった誰かの同意が素早く飛ぶ。平民からすれば十分に道義に悖る話であるらしい。


 残念ながら、アデライドにとってはそうではなかった。

 王子も貴族議会もルキアスも、全員が貴族の道義を通して動いている事は分かっている。それでも取り残され、感情を持て余しているのはアデライドだけなのだ。


「……理屈は納得できちゃいるが、感情が追いつかねえ、か。難しい話だな」


 眉間に皺を寄せてステファンが言えば、「貴族の理屈がややこし過ぎるぜ!」とまた誰かから野次が入る。


「ややこしい、かな。王族にお仕えするために嫁入りする、嫁に入ったからには夫にもお仕えするってだけの話なのだけれど」

「それは分かったが、難しいのはそっちじゃねえよ。納得できる筈の理屈に対して、お嬢の感情のどこが引っかかって爆発したのかってとこが問題なんだ」

「私?」

「そうだよ。積もり積もってと思ってるかも知らんが、お嬢はあんま不満を溜め込む性格じゃねえ。となれば、これまでは平気だったもんがどっかで無理になったってことだ」


 言い切ったステファンに、アデライドは少し考えこんだ。

 考えて、それが少し苦痛である事に気がついた。


 アデライドは物心ついた時には既に、あまり感情的にならない子供だった。

 世界は単純な『快』と『不快』、『好き』と『好きじゃない』で出来ていて、不快なものや好きじゃないものからは関心を閉ざすだけでよかったのだ。


 そうして無関心を以って存在を許容していたものが、アデライドの生活や心に無理矢理入り込んできたとき、どうすれば良いかわからない。己の感じるネガティヴな感情に、向き合う方法を知らなかった。


「した事がないから実際のところは分からないけど、現状では性行為をされる事にあまり嫌悪感はない」


 ……そういうわけで、アデライドは間違ったやり方で行動した。自分の心をザクザク切り裂くみたいに、容赦無く自分の感情を切り分ける。


「ぉ……おう?」


 うら若きお嬢様の口から突然性行為なる言葉が飛び出して、ステファンは盛大に戸惑った。


 周囲のエルバンスの者達の中で、勘のいいタイプはあっと小さく呟いて、即座に耳を塞いだ。若い娘の赤裸々な心情など、聞かされてもいない身で聞いていいものではないと思ったのだった。


「夫にされる事にも、王子にされる事にも、想像してみても怒ったり嘆いたり出来るほどの何かは感じていない」


 狼狽えるステファンに構わず、アデライドは言葉を続けた。

 あえて声に出すのは、そうして耳から聞かなければ、気付けないものがある事を知っているからだ。


 自分で言い放った言葉に、今更になって、胸の辺りが重く落ち込むような感覚がする。


 望まれたからには、仕方がない。そう自らに言い聞かせ、相手や自分への意図的な無関心を使ってまで、押し殺していた感情が確かに存在している。


「……同じ様に、夫との離婚や王子の妾という立場にも、苦痛といえるほどの苦痛はない」


 その苦痛に逆らって、アデライドは言語化を続けた。これが自傷である事はなんとなく理解していたが、だからといって、止めても仕方がないと割り切った。


「…………ん? あれ、お嬢。苦痛かどうか確かめるの、そこなのか?」


 ふいにステファンが首を傾げる。アデライドは最初、言われた意味がわからずに、彼を見返した。


「王子の妾になる事と比較すんなら、夫になったやつとの離婚じゃなくて結婚した事じゃねえの?」

「あ、ええ、そうだね……」


 それもそうか、と反射的に思いながら、けれどアデライドはきょとんとした表情で頷く。

 慎重に言語化していた筈だったのに、自分の口から出てきた言葉が論理的でない事に驚いたのだ。


「…………ええと、かな?」


 今度はアデライドの方が戸惑いを浮かべて首を傾げると、ステファンはため息を吐いた。


「どう考えてもそれだよろうよ。どんな奴か知らねえが、結婚相手がいい奴そうで良かったぜ。お嬢みてえに淡白なやつが、一月もせず別れたくないと入れ込めるんなら、相当好きなんだろ」

「……顔がね」

「おいおいお嬢、また素直じゃねえ事言ってるぜ。顔が好きなだけなら肖像画でも描かせて持ってけばいいだけの話だ。傍にいる必要は無いだろうよ」


 悪足掻きのように出てきた言葉さえ、あっさりとそのおかしさを指摘されれば、最早否定のしようもない。 


「…………………………そうかも」


 私は、夫のことが好きなのか。


 疑問のつもりで頭に浮かべたその言葉は、納得としてすとんとアデライドの中へ落ちて来た。


 考えてみれば、最初からルキアスの顔だけが好きな訳じゃなかった。

 あの言動や、彼の言うことにさえ『可愛い』と感じていた筈なのに、どうして己の気持ちに自分はこうも鈍いのか。




 首肯して、頭を抱えだしたアデライドから目を離し、ステファンは落ち着かない気持ちで周りを見回した。迷宮探索者ダンジョンシーカーという男所帯は、もう何年も見守ってきた変わり者の小娘の初恋に、全員がソワソワしながら互いの様子を伺っている。


「お前ら、ちょっと」


 声を掛けて、全員で通路の端まで移動した。誰からともなくしゃがみ込んで頭を突き合わせ、雰囲気は作戦会議だ。

 その中の一人が、さりげなく防音結界を張る。

 身体強化による聞き耳対策だ。程度は人によるが、迷宮探索者は大抵身体強化を行っている。声を潜めるような話をする時は、代わりにこれを使う習慣が徹底していた。


「なんであのお嬢はあんな飄々としてるくせして、吃驚するほど純情なのかねぇ」

「危なっかしくて一挙一動にヒヤヒヤさせられる。で、どうすんだステファン。あの嬢ちゃんの事だ、気持ちを自覚させたところで、親父さんや領地の平民のために王子の言うこと聞くってところは譲らんだろう」

「……分かんねえ」


 顔を顰めてそう言ったステファンの背中や頭を、年配者の何人かが一斉に小突いた。「痛っ!」と悲鳴が上がったが、この程度は日常茶飯事なので、誰も取り合わない。


「お前、お嬢に恋心自覚させたのお前だろうが。もっと責任持て」

「えっ、いやぁ、だってあのお嬢がまさか恋に苦しんでるなんて、分かるわけないだろ……。だからどうしていいか分からなくてお前ら呼んだんだぞ」

「お前今何歳だっけ」


 呆れ返った声が上がった。


「22」

「ったくよう。若造はこれだから……」

「まあいい。そもそも王子の妾云々の話は、貴族の領分だから、俺たちがあーでもないこーでもない話したところで何の役にも立たん。それより考えることは、俺たちがしてやれる事は何かって話だろ」


 まとめ役の年配者による鶴の一声で、探索者達は黙って顔を見合わせる。

 そうして無言で頷き合った。考えは一致していると、誰もが当たり前のように思う。


「……そりゃ、あれしかないだろ。俺たちは迷宮探索者ダンジョンシーカーだからな」

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