第11話 お茶会・下
傍らの妻が少し俯きがちに目の前の菓子を頬張りだす様を見て、ルキアスは薄らと笑った。
なんでもないように澄ました顔をしているが、繋いだ手の甲を擽るように撫でると、僅かに肩を跳ねさせる。
なかなかどうして、いい反応をするものだ。
意地の悪い気持ちがルキアスの胸中を満たす。これはちょっとした意趣返しなのだから、それで良かった。
あれだけ夢中になってキスをしたというのに、次の日からさっさと部屋を去っていくようになったアデライドの薄情さには、さすがに思うところがあったのだ。
とはいえ、この茶会は別にそれが全てではない。
ルキアス側が交流の機会を持つことで、この家でのアデライドの待遇はより良くなる筈だ。
それに好きでたまらないと言って憚らないルキアスの顔を明るい日中に余すことなく好きなだけ眺められるのだから、アデライドにとっても喜ばしい時間の筈だろう。
捻くれた思考回路だという事は自覚していた。
病でまともな生活を送れず、家族のただひたすらにルキアスを生かそうとする愛情と、使用人の発するドス黒い感情という両極端な人間性に囲まれて、どうして歪まずにいられるだろうか。
「美味しい?」
「ええまあ……流石、伯爵家の料理番は腕がいい」
「ああ、そうかもね」
その代わりに碌に厨房の管理も出来ないようだけどね、とは口に出さなかった。
すり替えられた食材に気付きもしないのは業腹だが、それによりルキアスの下へアデライドが用意した特殊な肉が供されているのも事実だからだ。
アデライドは、はっきり言って頭がおかしい部類ではあるが、馬鹿ではない。おそらく手先が器用な方なのだろうし、妙なところで警戒心も強い。
目の前の食事は彼女が肉の入れ替えをよほど上手くやっている結果だと考えれば、料理番の欠点などどうでもよくなる。
――たった数日で、よくここまで心の内に潜り込まれたものだ、と、ルキアスは自虐した。
愚かしいほどにのめり込んでいる。
それも、誰もが諦めたルキアスの命をあっさり救っておきながら、心を殺して王子の妾にそのまま収まろうとするような、狂った女相手にだ。
だがそれの何が悪いというのか。
のめり込んだ先にある筈の結婚を、ルキアスとアデライドは既に済ませてしまっている。
「あれから王子殿下には会った?」
ルキアスが尋ねると、アデライドは菓子へと伸ばす手を止めた。「いえ、会っていない」と端的に答える表情からは、ごっそりと感情というものが抜け落ちている。
本当に分かりやすい。わりと素直な方、という自己申告は冗談ではなかったらしい。
だからこそ、心底気に食わない。
「……そうなんだ。僕の方には、手紙が来たけど」
「手紙?」
きょとんとした表情でこちらに視線を戻したアデライドに、見せつけるようにしてルキアスは懐からそれを出した。
厚みのある上質紙と丁寧に押された封蝋。差し出し人は貴族議会の代表だ。
「あなたの扱いについて、殆ど寝たきりだった僕には関わりも無いかとあまり把握してなかったから。でも
先に手紙を出したのはルキアスだ、という事を説明すると、アデライドは僅かに眉根を寄せた。
喉奥へと込み上げる愉悦感を呑み下す。
日中に会うというのも新鮮で良いものだ。妻となった銀の髪の女は夜の間、殆ど常に穏やかな微笑を湛えるばかりだった筈なのに、今日はこの僅かな間に感情的な表情を幾つも見せてくれる。
それが快であれ、不快であれ、構わない。むしろ全ての関心を寄越せばいいと、強欲な自分が喚き始めているくらいだった。
どこか他人に無感動なのが常なこの女が、こちらに対して心を動かすならば、それだけで十分にルキアスの卑屈な優越感が満たされるというものだ。
「……だけど何故か、返事は貴族議会から届いてね。近い将来、女官として登用するかもしれないから、
ルキアスが指で弾いたその手紙を、アデライドはしなやかな猫のように捕まえた。
銀の髪が陽の光を反射してきらきら光る。
美しい色だった。……ひとの顔について無遠慮に何か述べるより先に、鏡でも覗き込めば良かったのに。
繋いだ手に力を込める。最早ルキアスは、思いがけず腕の内に転がり込んできたこの銀の冠を手放してやるつもりは一切無い。
「……これって、」
手紙の内容を確認したアデライドは、どこか呆然とした声で呟いた。ルキアスの顔と手紙の文面を往復するその顔が、青くなったり赤くなったりを繰り返す。
「分からない? ……王子が使う時に面倒が無いように、十分に仕込んでおけって事だよ」
反吐が出そうだ。
だというのに、ルキアスの心はただただ歓喜に震えるばかりだった。
「ちょうど一月目を初夜にしようか、アデライド」
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