第10話 お茶会・上
ルキアスの部屋がある南棟の一階にあるサロンは、硝子張りのサンルームが備え付けられている。
少しでもルキアスに負担無く日光を浴びせるために作られたものだと聞いて、アデライドはそれもまた一つ、伯爵家についての認識に組み込んだ。
アデライドの計画は、伯爵家がルキアスの健康に意欲的であればあるほど都合が良い。
暗いサロンを通り抜けて、眩しいくらいに明るいサンルームへと入る。飾られた大型の植木の奥に薄いカーテンで陽当たりを調節したテーブルセットがあり、そこにルキアスは居た。
リラックスした様子で、椅子に腰掛けている。薄布越しに降り注ぐ日の光に輪郭が塗り潰されるその様は、まるで絵画から抜け出た後光差す天使のようだった。
「……あ、来たんだ。
その天使の麗しの唇から、いつも通りに皮肉めいた物言いが飛び出すと、アデライドは衝動的にニヤつきそうになった。
普通に聞けば王子の妾になるために妻に収まった女への嫌味であろうそれは、実のところ、数週間もの間そっけない態度でさっさと部屋を去っていくアデライドへの当て擦りだ。どうでもよさそうな態度は相変わらずで、要するに少々拗ねているようだった。
「お招き頂けてとても嬉しい。元気そうなお顔が見れて何よりだよ、旦那様」
「はあ。まあ、突っ立ってないで座ったら」
かわいい。頭がくらくらするような気持ちで、アデライドは用意された席に着く。
サンルームの角にあるテーブルセットは、二つの壁沿いに2脚の1人掛けソファからなる。向かい合うとも隣り合うとも言えない絶妙な距離が、これまたアデライド好みの用意であった。
明るい場所で改めてルキアスを見ると、全く日焼けしておらず透けるように真っ白な肌をしている。だが魔素や魔力が満ちたお陰か、血色はそれほど悪くない。
「いつ頃から病床を離れられるように?」
「ほんのここ数日だよ。父上が少し前からアールシャーから取り寄せた食材が合っていたらしく、病に効いてね」
数日おきにアデライドがすり替えている肉の事である。
アールシャーは国内でも豊かな穀倉地帯と畜産で有名な領地であり、たっぷりと高価な飼料で肥育された家畜は栄養価が高いと評判だ。
とはいえ迷宮外で魔力定着を安定させられるほどの魔素濃度は無いため、すり替えたその肉はありがたくアデライドが食べたりあちこちに配ったり売ったりしている。
伯爵家は以前から魔素量の多い食材を探し、聞きつけたものを手に入れてはルキアスに与えている。中には偶然魔素量の高いものが手に入ることもあり、これまでも一時的に病状が良くなることはあった。
多過ぎれば魔力中毒になりかねないため、身体の成長を見ながら取り寄せるものを変えてもいる。アデライドがこの屋敷に来る少し前から食材を切り替えていたのもそういう理由だった。
「僕のことより、あなたはどうなの。ここへ来てからどんなふうに過ごしてたか聞かせてよ」
こっちの事は知っているだろうと言外に伝え、ルキアスはアデライドの日中の過ごし方を聞きたがった。
――いじらしくて、かわいすぎる! とアデライドは心の中で叫んだ。ルキアスの方から交流を求められるだけで、こんなに感情がしっちゃかめっちゃかになるなんて完全に予想外だ。
「まるきり道楽者のような過ごし方だよ。暇なものでね」
「ファジーク家が用意した侍女達が、まさか僕の妻となった人に毎日退屈させているわけ?」
硝子越し、窓一枚挟んだサロンへとルキアスは視線を流す。
アデライド付きの侍女達はそこで待機している。声は明瞭には聞こえていないだろうが、その代わりに挙動は監視されている筈だ。
サロンの内側はサンルームに比べて暗く、窓はアデライド達の姿を鏡のように反射するばかりで、中の様子は分からない。
「いや、最近はそれなりに構って貰えるようになった。器楽をやったり、庭を散策してみたり」
「ふーん。それ、楽しい?」
「ええ、まあまあ。今のところ刺繍が一番楽しいかな。侍女の一人が目敏く気付いて、頻繁に用意してくれるようになったから」
「刺繍……、できるの?」
「淑女の嗜み程度には」
淡々と目の前の作業を片付け続ける事は嫌いではない。魔獣の解体然り、魔法薬の調合然り、アデライドは一人黙々と手を動かすのを厭わないタチだ。
とはいえ、刺繍に関しては本当に嗜み程度だ。延々と針を動かす事には苦がなく楽しいのだが、アデライドには全く絵的センスというものが無かった。
よく刺されるような花などのモチーフはその組み合わせ方がさっぱり分からず、手本をそっくりそのまま刺すだけになってしまう。自力で模様を考える場合、幾何学模様がせいぜいだ。
「本当かな。見てあげるから、次は持ってきなよ」
横柄に言いながら、テーブルの下でするりとルキアスの手が動いた。デイドレスのたっぷりとしたひだに埋もれるアデライドの手に触れると、指先を絡めて握り込んでくる。
「……まあ、じゃあ、何か作ってこよう」
不審がられないように、どうにか最低限の平静を装って答えた。
侍女達からは見えないだろうが、不意打ちでなんということをするのか。天使みたいな容姿のくせに中身は小悪魔か。かわいい。
「不格好なものを王子殿下に渡されでもしたら、ファジーク家の恥だからね。夫としてちゃんと見てあげるよ」
ルキアスの声に、アデライドにしか分からないような、揶揄いの響きが混ざる。ふん、と歪に口の片端を引き上げて笑う表情には、ほんの少しだけ親しげに、関係性への優越が滲んで。
――かわいい、と、再三に思ったアデライドは、耐えきれなくなり黙り込むことになった。
いい加減にしてくれ、明るい昼間に生き生きと喋るルキアスがこんなに魅力的だなんて聞いてない、と訳のわからないことを今にも口に出しそうだったのだ。
間を持たせるために、テーブルの上の菓子を取って口へ運ぶ。
そうして用意された茶菓子に意識を向けると、少しでも魔素を多く取らせるためか、ルキアスの前には茶会に似つかわしくないミートパイなどの肉を使った小料理や軽食が並んでいる事に気がついた。
アデライドの視線を察したのか、ルキアスもまた適当なものを片手で器用に取り分けて、同じように食べ始める。
摘んだ一口サイズのタルティーヌを味わって、少々行儀が悪いながら、指先をぺろりと赤い舌先が舐める。
ちょっと頭がやられているアデライドは、ウワ、と声も無く呻くことになった。
食事の様子なんて夜中にもう何度も見ている筈なのに、日の下で余すところなくルキアスの動作のひとつひとつが見えると、途端にとんでもなく艶かしい行為のように感じたのだ。
「……なに?」
呆れたように尋ねられ、慌てて釘付けになっていた視線を引き剥がす。
とてもじゃないがこれ以上は無理だった。明るいところでは、情報量が多すぎる。
おかしい。
好きなだけこの美少女みたいな顔を眺めたいと思っていた筈なのに、自分から目を逸らすだなんて。
自分で把握しきれない感情に困惑するアデライドは、目の前の茶菓子に集中することで、ルキアスから気を逸らすしかなかった。
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