第9話 関心の在り方

 夜中になると、アデライドは当然の如く部屋を抜け出して、真っ先にルキアスの下へと訪れた。

 容態を手早く確認して、最後の一本となった魔力中和薬を飲ませる。


「忙しくてごめんなさい。今日はこれから外に出るから」


 昼のうちにルキアスが隠れて飲んだ中和薬の瓶を貰い、アデライドはそれを残る空き瓶と共に布へと包んだ。ジョセフィーヌに返して再利用するためである。


「なにか用事?」

「ええ。魔力中和薬の用意を」


 今晩までに2本は煎じておいてくれるよう、ジョセフィーヌと話はついているのだが、問題はその後のことだ。

 中和薬の材料となる薬草の在庫が無くなってしまうため、今晩のうちに山から取って来なければならない。


「ああ、そう。今日は食事は摂らなくていいの?」

「昼食と夕食に問題なく出てたでしょう」

「……どういう事?」


 訝しがるルキアスに、アデライドは昨晩のうちに伯爵家の厨房へと忍び込んだ事をざっくり話した。

 厨房を借りてスープを作り、ついでに残りの高濃度魔素の肉を貯蔵庫にある一番魔素の高い肉と入れ替えておいたのである。


 魔力定着の安定度を見る限り、問題無くその肉はルキアスの口へと入った筈だ。すり替えに気が付かない料理番に思うところはあるが、やったのはアデライド自身なので何も言えない。


 同じような事を考えていのか、ルキアスは顔を青褪めさせて絶句してしまった。

 当然の反応である。貯蔵庫の肉をごく普通のものと入れ替えておくだけで、ルキアスは臓器不全を起こして死んでしまうのだ。


 ……悪いことをしてしまったかな。でも、そういう計画だしな。


「じゃあ、行って来ます」


 ルキアスが凍りついているうちに、アデライドはさっさとベランダから飛び降りた。

 後ろ髪を引かれるような気持ちはあったが、それはそれ。今夜は本当に忙しいのである。




 魔力中和薬の原料となる薬草を得るには、王都の隣領まで行かなくてはならない。

 アデライドはまずこっそりと実家のタウンハウスへ忍び込んだ。片付けられる気配の無い自室に苦笑しつつ、採取の支度を整える。


 あとはひたすら、走るだけである。

 一寸先も見えないような夜の闇の中を、暗視の魔術と全力の身体強化によって猛烈な速度で進んでいく。


 城壁を越え、領境を越え、山道を無視して崖を飛び越え、最短距離で山頂付近の目的地へと辿り着いた時には、流石のアデライドも疲労を感じるほどだった。

 薬草の群生地へと完全にへたり込んで、周囲のものをプチプチと採取しながら息を整える。


 魔力中和薬の原料となるこの薬草は白扇草といい、魔力の作用をを鈍らせる効能を持つ。薬効としては高山植物らしく地中の球根の方が強いのだが、強すぎるせいで猛毒という扱いだ。


 救急傷薬のような強い効果を発揮する魔法薬などに、素材の持つ魔力への対処として配合するのが主な使い方であり、中和薬として単体で精製される事はあまり無い。薬の服用時以外で魔力中毒を起こす事例が殆ど無いからだ。

 

 だがそういうわけで、中和薬以外にも用途はある。殆どの人間が採取に難儀するようなところに生えているので需要の割に価値も高い。余分に摘んでおけば、それなりに金にする事は可能だ。


 今のアデライドには自由に動かせる財産が殆どないため、ひとまずクローディアに全て渡すつもりで、無心で手を動かした。





 それから数日の間、アデライドは忙しないままだった。


 ジョセフィーヌの店で魔力中和薬を作り、或いは長期保存のために白扇草を干し、間に合わないものは買い手を見つけて売り払う。

 並行して、迷宮ダンジョンの奥深くへ潜って狩りを行う。ルキアスに魔素を補給させるための肉だけでなく、換金できる素材も剥ぎ取る。今のうちに貯金を作りたかったのだ。


 昼間のうちに自由に出歩くことのできないアデライドが物を売ったり買ったりしようとすれば、どうしても夜間の割り増し料金を上乗せされる。

 思った以上に稼げず出ていく額も多くなれば、金は稼げるだけ稼いだ方がいいという思考回路にもなる。


 将来の事を考えれば、今のうちに一財産作っておくのはとてもいいことのように思えた。将来、というのは、王子の妾を辞したその後の事だ。


 王子は情ではなく、己の欲を満たすために妾を欲しがっている。

 王宮に出仕させるためとはいえ他の男と容易く結婚させ、あまつさえアデライド当人に面と向かって身長の吊り合いがとれると口にするほどだ。


 アデライドが王子に対して無関心でいるように、あちらもアデライドの身体以外には関心が無い。


 となれば、老いるなり飽きるなりして抱けなくなれば放逐されると考えた方が自然である。

 貴族議会が動いているため、アデライドの扱いは公妾となり、支度金や給金、退職金は賄われる筈ではある。その後の身の振り方も一切不明で、早くに貴族社会から解放されるならば迷宮へ潜れば良いだけだが、万が一ということは常に考えておくべきだ。


 そういうわけで、ルキアスと顔を合わせる時間はぐっと減った。

 2日と空けず部屋は訪ねているが、魔法薬を渡して瓶を回収し、魔素の具合を見て時折食事を追加する程度で、碌な会話をする暇も無かった。


 そろそろあの顔をじっくり見ない事には限界だ、とアデライドは思い始めている。


 忙しさの半分以上はあの美しい顔のためなのに、それを見る暇が無いのでは本末転倒ではないか、という具合だ。

 行動指針を決めているのは一から十まで自分自身であるにも関わらず、アデライドは内心で鬱憤を募らせるようになり、侍女達にその不満を警戒されつつある。


 そのルキアスからお茶の誘いが届けられたのは、その限界を見計らったような頃合いで、2人が結婚してちょうど3週間が経つ日の事だった。





 暇を持て余す昼食後の時間、アデライドは侍女達により部屋に押し込められ、刺繍に励んでいた。

 どうせ渡す相手もいないというのに、アデライドがこういう作業をさせると黙々と暇を潰す性格だと悟った侍女が熱心にやらせたがったのだ。


 監視のためといえど、侍女達もアデライドに付きっきりである事には変わりない。3週間も毎日顔を合わせていれば多少なりとも打ち解けて、急な出奔などを危険視するような頑なな態度も薄まりつつあった。


 多少は庭を散策したり、音楽室にある楽器で遊んだりといった屋敷内での行動が許されるようになったのがその証左だ。

 気心の知れるようになった侍女達は寧ろ、驚くほど従順なアデライドが気鬱になる方を不安視し初めているのである。

 アデライド相手には全く無用な懸念であるが、彼女達がそれを知る術はない。


 そんなところへ、部屋の扉を叩く音が響いた。


「若奥様、よろしいでしょうか。小間使いのロアンでございます」


 入室を許可すると、品の良い小姓が顔を覗かせる。アデライドは初対面だったが、侍女達は知っている顔らしく、警戒する気配は無い。


「御用向きは?」

「はい。ルキアス様からの、お茶のお誘いを伝えに参りました」

「まあ、ルキアス様がお茶を?」


 色めき立ったのは侍女達である。

 誘われた当人であるアデライドはというと、真っ先に胸を撫で下ろしていた。


 最近は魔力定着と魔素の様子を確かめるばかりで、体調の良し悪しまでは見られていなかったことを、少しばかり反省する。

 魔力定着により体調が良くなったということは、併存疾患の可能性が一段下がるという事なのだ。


 魔力漏出症で最も問題視されるのは魔素欠乏であり、ほんの数ヶ月対処を放置するだけで、あらゆる内臓に不全を引き起しかねない。

 取り返しがつかないダメージを負った臓器は機能が回復せず、そうなっては最早、魔力漏出症をどうにかしてもどうにもならない。

 要するに、痛みなどの自覚できるほどの大きな不調が無いというだけで、奇跡じみた結果と言える。


「近頃は体調がいつになく優れているようでして。結婚したばかりの妻であるアデライド様と一度も顔を合わせないということも、流石に失礼ではないかということで……旦那様も了承し、私めをこちらへ遣わした次第でございます」


 どうやらルキアスと会うこと自体は咎められてはいないようである。

 世間体に全力な誘い文句からするに、ルキアスが上手く伯爵を言いくるめたのかもしれない。それならそれで良くやってくれたと思う。


「分かった、お伺いしよう」


 アデライドが是と返事をすると、それならば、と侍女達が猛然と席を立った。


「アデライド様、デイドレスに着替えて髪を結いましょう。化粧は如何致しますか」


 どうせ部屋から出ないので、という理由で簡素な部屋着のままでいたアデライドは勿論「要らない」と言ったが、当然聞く耳は持たれない。

 生き生きと支度を始めた侍女達は、本来こういう仕事がしたいのである。


「ルキアス様にお会いするのに、着飾るのですか?」


 異を唱えたのはクローデットだけだった。

 ここへ来て3週間、彼女だけはアデライドへの態度が全く変わっていなかった。


 どうにも彼女は王子贔屓だった。クローデットにとって、アデライドは女主人や仕える家の夫人ではなく、あくまで監視対象である「王子の妾」なのである。

 そのせいで彼女は他の侍女達から浮いた存在となり、度々対立するようになってしまっていた。


「何を言ってるの、クローデット? こんな格好で部屋を出て、結婚式ぶりに旦那様に会う奥様がこの世のどこにいらっしゃるというの?」


 ぴしゃりと言い据えたのはアデライドのお付きの中で一番年嵩の侍女である。アミシア、という名のこの侍女はクローデットとは対照的にアデライドにかなり同情的で、待遇の改善にも積極的に動いている。


 部屋着を強制的に剥ぎ取られながら、アデライドは内心で「ごめん」と彼女に向けて謝った。

 ルキアスとは実は既に毎晩のように会っているし、その時の格好は今と全く同じ、楽な部屋着にすっぴんである。


「身の回りの世話を任されている私達にとっても、きちんとした支度をさせなければ恥以外の何物でもないわ」


 尚も言い募るアミシアに、アデライドはざくざくと罪悪感を刺激される。


 そんな風に思われていたのか。もう少し外見に気を遣った方が良いだろうか。

 ……見た目に気を遣っている女性は間違っても崖から山を登ったり迷宮ダンジョンで魔物相手に戦ったりする筈が無く、アデライドが多少気にしたところで全く無駄な事である。


 あれよあれよという間に涼しげな緑色のデイドレスを着せられ、それに合わせて髪や顔を弄られる。

 そうしてアデライドはようやく、3週間ぶりに日の光の下でルキアスと顔を合わせる事になったのだった。

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