第7話 王子の呼び出し

 アデライドの翌朝は、クローデットにより叩き起こされたところから始まった。


 急かされて眠気覚ましに顔を洗い、窓の外を見ると太陽はまだ低い位置にあった。本来ならば寝ていていい筈の時間である。


「……今日は何か?」


 流石に、不機嫌な声が出た。


 アデライドはかなり寛容な性分の人間ではあったが、粗雑な扱いを受けて黙っていられるほど大人しくもない。

 その相手がこのほんの僅かな日数の中で、よくよく突っかかってくるクローデットであれば、尚更だ。


「本日はお出掛けのご予定です」

「変更があったのなら、そう伝えて欲しい。予定については昨晩、寝る前に確認したでしょう」

「……早朝のうちに旦那様より指示がありまして、本日はお出掛けのご予定へと変わりました」

「どこに。なんのために」

「マルシャーレク庭園へ、仲人様へのお礼品のお渡しのためとなっております」


 一瞬、己の顔が引き攣ったことに気がついて、アデライドは唇を引き結ぶ。


 仲人、という迂遠な呼び方が示すのは、アデライドとルキアスの婚姻を取り纏めた王子の事だ。

 そしてマルシャーレク庭園は王都にある社交場の一つだが、持ち主である王家の人間が人目を気にせず歩けるよう、週の半分は開放されていない。


 ……結婚までさせておいて、式の日から3日と経たずに人目を忍んで逢瀬をしろと。 


「分かりました」


 迫り上がる溜め息をどうにか堪え、アデライドは頷いた。

 そうする以外は無意味な事だった。





「こちらの道をお進みください。噴水の前で仲人様がお待ちになっております」


 人目を避けて連れてこられたマルシャーレク庭園は、閉園中といえど不自然なほどに人の気配が無い。

 静まり返った植え込み沿いの小道までアデライドを導いた侍女達は、そこでぴたりと足を止めた。


 本当に逢瀬のつもりか。まだ一度も顔を合わせたことさえ無い同士なのにか。

 呆れ返ったアデライドであったが、ファジーク家の侍女にそれを言っても仕方が無い。


 黙って小道をひとり進んでいくと、程なくして、言われたとおりに噴水が見えた。


 その傍らのベンチに腰掛けて、一人の男が本を読んでいる。

 ずいぶん背が高いな、とアデライドはまず思う。手に持っている印刷本が小さく見えるほど体格が良い。

 高い鼻と凛々しい眉が印象的で、短く切り揃えられた真っ赤な髪は乱れなく撫で付けられている。総合して、彫刻の像のような男である。


 更にその奥へと視線を向けると、植え込みの影にひっそりと隠れるようにして、護衛の騎士と思しき男が2人立っている。アデライドと目が合うと、若い方の騎士は気まずげに目礼し、もう一人は思いきり顔を背けた。


 本に視線を落としたままの男は一向にアデライドが来たことに気づく様子が無い。仕方なくアデライドが小道の石畳をじりっと踏み躙ると、その音でようやく男は本から顔を上げる。


「やあ、来てくれたんだね」


 第一声はそれだった。王家に相応しい輝かんばかりの笑顔とともに、男は気さくに立ち上がる。


「…………」

「…………?」


 そしてそれきり何も言わないので、アデライドは首を傾げた。わざわざこんな用意周到に手を回して呼びつけたからには、何か用があるのではなかったのか?

 

 戸惑っていると、奥の植え込みから遠慮がちな咳払いが聞こえた。若い方の護衛騎士がアデライドに向かってなにやら両手を広げるようなジェスチャーをする。


 なるほど、カーテシー。初対面の挨拶をしろということか、とアデライドは理解した。こちらについては全部調べてあるだろうに、今更必要なのか。

 高位貴族の妾になるなど全く無縁な話だったので、いまいち作法も分からない。


「殿下におかれましては、ご機嫌ようございます。お初にお目に掛かります、アデライドと申します。この度は素晴らしい縁談のご配慮を頂き、心より御礼申し上げます」


 ひとまずデイドレスのスカートを摘んで丁寧に礼をしたところ、目の前の王子はかなり戸惑ったように頬を掻いた。


「そんなに緊張しなくていい。私の事も、名で呼んでもらって構わないよ」

「身に余る事でございます、殿下」

「…………いや、構わないのではなく、ベネディクトと呼んでほしい。宮廷では、殿下とだけの呼称はユスティーナのものだからね」


 重ねて言われると、流石に了承するしか無い。アデライドの口からは「はい」と「はあ」の中間のようなやる気のない声が出たが、王子はあまり気にしなかった。


「ああ、ユスティーナの事は、君は心配しなくてもいい。孤独を慰めてくれる存在が私には必要だということを、国王陛下と議会が承認してくれた」


 なんと反応したものか、アデライドはやはり分からない。それは本人には了承を得ていないということで、つまり、駄目なのではないだろうか。

 

 アデライドを妾にと望んだこの王子は、この国の唯一の王子であるが、王太子ではない。

 国王の従兄甥である彼は幼いうちに両親を亡くし、男子のいない国王夫妻に引き取られて王宮で育てられた養子であり、その扱いは嫡出子に次ぐものだ。

 そして父親は先代の国王、母親は同君連合である隣国の女王であり、その2人が残した一粒種でもある。


 この高貴な血統が、ベネディクトの立場を窮屈なものにしていた。彼の王位継承権は、現国王の一人娘であるユスティーナ王女よりも正当性があると貴族議会が主張したのだ。

 現王妃もまた先代女王の従妹にあたる隣国傍流王家の血筋ではあるが、女系の繋がりによる外戚関係にあり、その王位までもを主張する根拠としては弱いためである。


 そこで王家と貴族議会は、ユスティーナ王女とベネディクトを結婚させた。そうする事で隣国の共同統治の正統性は保つことが出来るからだ。


 つまるところ、ベネディクトの妾という存在は、次の女王であるユスティーナにとっては重要な政治問題になりかねない。

 その了承を得てないとなれば、逆らえず従うしかないアデライドでも流石に無関心ではいられなかった。


 議会が承認したのは、単にアデライドの生家であるフォルティノー家がどこの国の王家とも血の繋がらない、宮廷に混乱を招くほどの力の無い小貴族であるからだと推測できる。

 だが褥に侍り王の子を産むかもしれない存在を、ユスティーナの感情が許すかどうかは別の話だ。


 なにやら王子により当然のように握り込まれた両手を失礼のない程度に払い、アデライドは考えながら口を開いた。


「恐れながら、ベネディクト殿下に申し上げます。今回私がファジーク伯家との縁談を頂けたのは、私が正式に宮廷への出仕の筋道を得るためと愚考致します」

「……まあ、そうだね?」

「国王陛下や貴族議会の承認には、間違いなくベネディクト殿下の評判に瑕疵などつかぬよう、時機を整える目的があるのではございませんか」


 その指摘に、王子は虚を突かれたような顔で黙り込んだ。


 出来る限り頭を捻ったが、やはり言い方が不味かっただろうか。アデライドはあまり社交に興味が無く、迂遠な言い回しに長けた方ではない。


 客観的な視点を求めて、ちら、と植え込みの護衛騎士2人を見ると、ハラハラと焦るような表情でこちらの様子を伺っていた。若い方は再びアデライドの視線に気がつくと、今度はなにやらくねくねとのたうつようなジェスチャーを送ってくる。


 なるほど。のらりくらり上手く躱せ、ということだな。

 アデライドはにこりと微笑むと、さりげなく後ろに下がり、王子から距離を取った。


 監視を兼ねていそうな護衛がそう言うのであれば、国王と貴族議会の思惑は時間を稼ぎ、その間にユスティーナにベネディクトの妾の話を通すことだろう。


 ベネディクトの我儘を拒否すれば何をされるか分かったことではないが、かといって唯々諾々と従えば王女の顰蹙を買う可能性があるというのであれば、アデライドも上手く立ち回らねばならない。


「君は聡明だね、アデライド。だが議会は私の苦しみなど、ひとかけらも分かりはしないのだ」


 苦々しげにそう吐き捨てた王子だったが、アデライドからすれば、その苦しみについては私も知らんのだが、という話である。


「今日だって、駄目だと言うのをどうにか説得して、君と一目会う時間を得た。挨拶だけだとしつこく言い含められてね」


 なにしろこれが初対面だ。否と言えば首が飛ぶかもしれないという思いでここにいるだけであり、ベネディクトの苦しみなぞ、アデライドにはそれこそも興味がない。


「御身の事を思えばこそでしょう。ベネディクト殿下の想いはほどによく分かりますが――」

「おお、分かってくれるんだね?」


 だというのに、アデライドが並べ立てる言葉を遮り、王子は大きく一歩を詰める。

 引き剥がした距離をあからさまに詰められ、顔が引き攣りそうになる。


 すぐ目の前にベネディクトの襟元があった。高そうな、甘ったるい香りが濃く漂う。腕を回せばすぐにでも抱きしめられるような近さだ。

 アデライドはそっと魔力で身体強化をする。いざとなれば強引にでも距離を取るつもりで。なにしろ、護衛の騎士のよこした助言がのらりくらり躱せとのことである。


「……うん。やはり、君はすらりと背が高い。私はそこが気に入っているんだけど、何故だか分かるかい?」


 ふいに、王子が声を潜める。先ほどまでとは違って、下卑た響きが混じる囁きを耳元へと落とされ、アデライドは全身が怖ぞ気で鳥肌立つのを感じた。


 俯いて答えないアデライドを見下ろし、ベネディクトは場違いなほど嬉し気に笑う。


「ユスティーナは痛がるんだ。背の差がありすぎてね。でもアデライド、君とならそうでもない。抱き上げなくともキスができそうな、普通の男女の差ほどだ。君ならば、私の孤独を慰めてくれるだろう?」


 ――――思っていた以上に最低だな、と、アデライドは無感動に結論づける。


「承知いたしました。殿下のお心に添えるよう、忠誠の限りを尽くします」


 ヒラリと一歩下がって恭しく頭を下げる事で、身構えていた通りに無遠慮に伸びてきた両腕を自然な範囲で躱した。


 呆気に取られた王子は前のめりの間抜けな体制のまま固まってしまったが、即座に駆け寄ってきた若くない方の護衛騎士が引き剥がしてくれる。


「ベネディクト殿下ァ! 本日は挨拶だけだと!」

「なっ、なにもしてない!」


 伏せた上体を元に戻すと、護衛騎士は上背のあるベネディクトを軽々と持ち上げていた。

 鍛え抜かれた筋肉に内心で惜しみない賞賛を送りつつ、そのうちにアデライドは2人からさらに距離を取る。


「どのような考えかも分からぬ田舎者の娘にそう気安く近づかぬよう、申し上げたはずです!」

「は? それはただの冗談だろう? 縁談の宛てもない貴族の娘だ、王の褥に招かれる栄光に喜び以外の何がある」

「議会の準備が整わぬままに、殿下のご寵愛を賜ったと分不相応に驕り高ぶられでもすれば、王宮の醜聞となってしまいますよ!」


 続くやり取りはヒソヒソと声を潜められていたが、身体強化をしたままのアデライドには丸聞こえである。


 凄いこと言うな、とアデライドは思った。

 もはや感心の域に達するような、とんでもなく驕慢な思考回路ではある。だが未来の王とその廷臣ともなれば、只人とは根本から異なる価値観が必要なのかもしれない。


 言い合う2人の奥の植え込みの陰には、残された若い方の護衛騎士が何やら芝生に両手と膝をついているのが見えた。アデライドが指示通りに上手くやったので、ほっとして崩れ落ちたのかもしれない。


「では、私はそろそろこれで」


 まあともかく、帰るならば今のうちだろう。挨拶ならば十分に終えた筈である。

 アデライドがサッと挨拶をすると、「待ってくれ、まだ……」と言いかける王子の声を、「ご苦労であった!」という騎士の大声がかき消した。


 おかげさまで、アデライドは堂々と小道を引き返すことが出来た。

 おそらく想定より早い戻りとなったのだろうが、侍女たちには間違いなく聴こえるほどの大声だったためである。

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