第5話 二度目まして、旦那様

 魔力付与の触媒となるカーバンクルの宝玉。

 魔力付与の定着を安定させる、高濃度の魔素を帯びた食肉。

 そして魔力の急激な増加による中毒症状に対処するための中和薬。


 準備は順調に整った。思い立った翌日には全てが揃えられたのだから、自分の能力や伝手もそう捨てたものではない、などとアデライドは内心で自分を冷やかしながら、夜の訪れを待った。


 図書館のエントランスホールで何時間も待たされた事を根に持つ侍女達を部屋からどうにか追い出し、屋敷内が静まり返る時間まで大人しく過ごす。

 身体強化で聴力を最大限に引き延ばして、人の声がひとつも聞こえなくなった頃、アデライドはまたもバルコニーから身軽に部屋を抜け出した。


 まずはルキアスの部屋の所在を探る必要がある。情報は全くないが、アデライドには考えがあった。ルキアスの呼吸音を探すことだ。


 ルキアスは昨日、微かな喘鳴混じりにゆっくりと喋っていた。

 魔力欠乏症の影響だろう。ひゅうひゅうという隙間風のような独特な呼吸音は、息の通り道が弱いために、些細な刺激で腫れて狭まることで起こるものだ。

 そして、数部屋離れたところの人の声が分かるほど魔力で強化したアデライドの耳ならば、その微か呼吸音さえ聞き取る事ができる。


 幾つかの日当たりの良さそうな部屋に屋根の上や外壁から聞き耳を立て、アデライドは順当にその音を探り当てた。

 南棟の2階に位置するその部屋は、周囲には他の人の気配がない。屋敷の主人並みに贅沢な位置取りや豪華なつくりの居室だが、そこにぽつんとひとり、弱りきり苦しそうに息をする少年がいる事は、かえって寒々しく感じられた。


 そうっとバルコニーのガラス扉を押すと、小さく軋む音を立てて開く。

 よく見ればバルコニーの隅には枯葉が少々積もっていて、たまの清掃の時以外、この素晴らしいバルコニーに人が立ち入る事が無いことが伺える。


 そうして踏み込んだ部屋は、まったく伽藍としたものだった。

 広々とした空間には床には絨毯が無く、窓にかかったカーテンは装飾性に乏しく、東側の壁に最低限の棚などの家具が寄せられている。

 その中央にやはり飾り気の無い寝台が置かれ、天蓋のカーテンを下さないままに、部屋の主人が横たわっていた。


 月明かりにぼんやりと仄白く浮かび上がるルキアスは、ますますこの世のものとは思えないような美しさだ。

 佳人薄命とはまさに彼のためにあるような言葉だな、なんて呑気な事を考えながらアデライドは寝台へと近づく。


 眠りが浅いのか、ルキアスは人の気配にすぐに意識を浮上させた。睫毛が繊細に震えたかと思うと、瞼を開くと同時に彷徨った視線がアデライドを捉える。


「こんばんは、旦那様」

「……暗殺? 流石にまだ早いんじゃないの」


 気さくに挨拶をしたつもりだったが、投げやりな皮肉が返された。捻くれている。


 起き抜けによくそんな言い回しができる。と、妙なところでアデライドは感心した。

 ルキアスにとっては全く心外な事だろうが、そういった物言いはむしろ、アデライド好みだった。


「ご期待に添えず申し訳ないけれど、用件は全然違う。あなたが喜ぶか分からないが、贈り物を持ってきてみた」


 勝手に寝台のサイドテーブルの上を探り、燭台に魔術で火を灯す。

 そうして、アデライドは持ってきた魔法薬を取り出した。きちんと閉じられたままの封と、中身を示すラベルがルキアスからよく見えるよう、燭台の明かりへと照らす。


「……テランス魔法薬店の、喘息緩和消炎薬?」

「ええ。結婚式でだいぶ無理をしたようだから、きっと酷くなって苦しいのではないかと思って」

「それは、……あなたが、俺を揶揄うからだろ」

「揶揄う? なんの話?」


 アデライドは首を傾げた。一体なんのことだろうか。


 昨日のうちにルキアスと会話したのは、式の前に顔を合わせたほんの一瞬のことで、それ以降はルキアスの方がはっきりとアデライドを避けていた。無茶なことに、自力で歩いて距離を取るような事さえあった。


 勿論ルキアス本人の心情を考えれば、己の死を前提とした空虚な結婚式など不快以外の何物でもないだろう。その露骨な態度も当然の事だ……とアデライドは思っていたのだが。


「何をそう捉えたのかは分からないけれど、私はかなり素直なほう」

「それ、自分で言うの」

「身近な人にはよく言われるから、客観的な事実だと思う」


 アデライドの答えに対し、それが唾棄すべきものだとでも言うように、ルキアスは鼻で笑って返す。


「なら、あなたは揶揄いや貶す意図は全く無しに、夫になる男に向かってただ……かわいいと素直に述べただけってこと?」

「そう。だけど、不快に感じたのなら、ごめんなさい」


 当てこするような含みを感じたアデライドは、即座に頭を深く垂れ、謝罪の意を示した。

 かわいい、というのはアデライドの中では単なる好意的な感情でしかないが、言われた方もそう受け取るとは限らない事をアデライドは知っている。ルキアスにとっては、無神経な一言だったのだろう。


 寝台の薄闇の中、ルキアスからは怯んだような気配がする。

 戸惑うを超えて怯むのか、とアデライドは思う。微笑ましいような、痛ましいような、なんとも言えない気持ちが沸いた。


 そろそろと身体を起こして様子を伺うと、ルキアスは傷を負った野生の獣のようにアデライドを見据えている。

 なんとなく手を伸ばしてみても、弱りきった少年は逃げることすらできず、ただこちらをジッと睨む。


 そのまま触れた額は汗に濡れ、もつれた髪が張り付いていた。

 顔に掛かって邪魔そうなところを、壊れ物に触るかの如く慎重に払うと、目の前の少年は張り詰めた気配をほんの少し緩める。


 まるで馬鹿馬鹿しくなって諦めたような、急な変化ではあったが、そうだとしてもアデライドに不都合は無い。気にせず、今度は頬に張り付いた髪を退かした。


「熱もあったんだね。ごめんなさい、消化器官も弱ってるだろうから、あまり薬をいろいろ飲んではいけないと思ってこれ以上は持ってこなかった」 

「…………詳しいの?」

「魔法薬師になろうかと考えていた時期があって。少し勉強しただけ」

 

 アデライドは肩を竦め、きっぱりと端的に答える。嘘ではないが、かなりの詳細を省いたのは意図的なものだ。

 個人的な事情を話せば、恨みがましく聞こえる可能性が高い。利用されただけの立場のルキアスに対して、わざわざそれを伝える必要は無い。


「……薬、飲むから。起きるの手伝ってくれる」


 やがて、溜め息混じりでぽそぽそと言われた言葉に、アデライドはすかさず頷いた。

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