第4話 魔法薬師

 腰を据えてお茶を飲めば、流石にアデライドも少し落ち着いてくる。

 出された茶菓子をひとつ頂き、「あ、コレ美味しい」と上機嫌に呟くと、対面に座った友人はほぅっと息を吐いた。 


「まあ、良かったですよ。あなたが自暴自棄にはなっていないようで」

「実はそこそこ、投げやりにはなってた。でも、やるべきことができたから」


 心配してくれていたことがありありと分かる安堵の口ぶりに、アデライドはにっこりと笑って返す。


「やるべきこと?」

「ええ、実は……」


 ジョセフィーヌが首を傾げると、アデライドは急に深刻そうな表情を浮かべ、ふう、と息を吐いた。


「夫がね、…………絶世の美少女みたいな顔立ちで、恐ろしく可愛いんだ」

「……それが?」


 まるで重篤な秘密でも打ち明けるように述べたアデライドに対して、ジョセフィーヌは呆れ返って半眼になった。

 拒否権も無しに無理矢理嫁がされ、時を置かずして愛妾にされようという苦境の中で、よくもこんなにふざけ倒せるものだ。


「でも余命半年で死んでしまうらしい。あまりに勿体無い……。この国、いや、人類の損失だと思う」

「…………それで?」

「できる限り、生き延びさせたいと思って。そういうわけで、魔法薬を買いたいんだけど、いい?」


 最後のその言い分は、少しだけ声色が違っている。


 辛抱強く話を聞いていたジョセフィーヌは、無言でティーカップを傾けた。

 短い沈黙の間、何がどういうわけでアデライドはその考えに至ったのか、努めて冷静に考えていたのだ。


 だがアデライドの爛々と輝く黒い瞳を見ると、全く無駄なことだと諦めた。

 数年に及ぶ付き合いにより、アデライドには裏の思惑など無く、今語った『美少女めいた顔の夫が死ぬのがただ勿体無い』という馬鹿げた理由が行動原理の全てだと分かってしまったからだ。


「……何が必要なのですか?」


 溜め息を堪えてそう尋ねたジョセフィーヌに対し、アデライドは上機嫌に態度を戻して「魔力中和薬」と言うと、懐から小さな袋を取り出した。


 緩めた口から覗いて見えたその中身に、ジョセフィーヌはハッとする。

 それはアデライドがこれまでにコツコツと溜め込んできた、貴重な迷宮素材のコレクションだった。


「あなた、……これは唯一自由にできる財産ではないのですか?」


 流石に慌てたジョセフィーヌが確認すると、アデライドは「そう」とあっけらかんと肯定する。そうして、「高価だけど、王家に楯突く事ができるほどの価値はないからね」と微笑みながら付け足した。


 ジョセフィーヌは天井を仰いだ。心配と安堵と呆れがないまぜになって、腹の底から突き抜けるようだった。


「楯突けるほどの何かがあれば、王家の要求を拒むつもりだったのですね?」

「それはそうでしょ……」

「あなたは性的な事や結婚について関心が薄いので、まあいいかくらいに考えるのかと思っていました」

「似て非なる考えかな。何がなんでも拒むほどでは無いけれど、積極的に受け入れる気にもならない。だからあなたの真似をして、魔法薬師として身を立てるつもりだったのだけど」


 そうでしたね、とジョセフィーヌが頷く。彼女が家族から離れ、ひとり店を構えて暮らしているのは、誰とも結婚する気になれないというのが大きな理由だった。


 結婚して子を成すのは女の義務であり、幸福であり、碌に生活を守る力の無い身のための保身の術だ。

 特に貴族の女性は家のために他家と結びつく事を求められるため、その責務の重圧はより重たく伸し掛かる。


 その考えをどうしても受け入れられなかったから、ジョセフィーヌは家族を捨てたのだ。

 魔法薬で必死に大金を稼ぎ出して、自分の教育費相応の手切金を親に叩きつけた。防犯を兼ねた防護用の高額な魔術具を大量に買い入れて、店や住居に近付けないようにさえしている。


「……逃げる気は?」

「無いよ。お父様は領地を気に入っているから」


 ジョセフィーヌは上を向いたまま、とうとう深く息を吐いた。説得は不可能だと、そのたった一言で分かってしまったからだ。


 アデライドが迷宮ダンジョンに単独で挑めるほどの魔術の使い手であることは知っている。ジョセフィーヌほど魔法薬で稼ぐ能力は無いが、その実力と迷宮での稼ぎを考えれば、王家の言い分を突っぱねてアデライド一人逃げ出すのは訳もない事の筈だ。


 だがもしもそれを実行したとして、その不忠の落とし前をつけさせられるのは、父親や領地の民など、アデライドの周囲の人間である。

 ジョセフィーヌが自由と天秤に掛けて捨ててしまったものの方を、アデライドは選んだ。それは個人の意思によって為されるもので、他人が言い聞かせるようなことではない。


「中和薬は3本あります。それを全て売ってあげましょう。お代はこちらの素材と……治療内容のレポートだけで結構です」

「あ、興味ある?」

「無いわけが無いでしょう。魔法薬師ですよ」


 大真面目に言い切ったジョセフィーヌに、アデライドは声をあげて笑った。


 王子の妾に、という話が出てからというもの、こんなに愉快な気持ちになった事はなかった。

 どうやら自分で思っていた以上に自暴自棄だったらしい、とアデライドは内心で思い直す。


 だとすれば、今ここで笑っていられるのは、動く理由をくれたルキアスのお陰だろうか。


「……ジョセフィーヌ、もうひとつ魔法薬を買いたいのだけれど」


 少し考えて、アデライドは注文を付け足すことにした。対価は用意してきてはいないが、そう珍しいものでもないので、手持ちの金で事足りる。


「ええ。何を?」

「抗炎症ポーションをひとつ」


 結婚式の日に顔を合わせたルキアスの事を思い浮かべる。お近付きの品としては、悪くないように思えた。

 それに、ジョセフィーヌの魔法薬の品質は折り紙付きだ。なにしろ女手一本、一代で王都の貴族街に店を構えられるほどの腕前の、尊敬に足る自慢の師である。


「それくらいなら、中和剤につけて差し上げます」

「いいの?」

「唯々諾々と妾になる日を待つならともかく、やりたい事があるなら、手持ちは多い方がいいでしょう」


 アデライドは淑女にあるまじき勢いでソファを立ち上がった。テーブルをずんずんと大股で回り込んで、がばりとジョセフィーヌを抱きしめる。


「ありがとう、ジョセフィーヌ」

「ちょっと。そのそこらの殿方より涼しげな顔で、そういう事をするのはやめてください。心臓に悪い」


 心底嫌そうに言い捨てて、ジョセフィーヌは全く遠慮なく、アデライドの顔を思い切り押し除けたのだった。

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