第3話 中央図書館、逃亡

 持ち帰った魔獣の肉に氷魔術をしっかりと掛け直した。夜着に戻した身だしなみを確認し、多少の手入れをしてから仮眠を取る。


 王都貴族の朝は遅い。昼時の少し前にようやく起き出して、午後から夜中にかけて活動するような生活だ。日の浮き沈みと共に活動するのは明かりを満足に使えない労働者の生活だという意識の線引きのようなものがあった。


 アデライドの意識が眠りの淵から浮かびかけた頃を見計らって、侍女が声を掛ける。

 パンと焼き菓子の中間存在のような軽食と飲み物が用意され、それを食する間に髪の手入れをされる。


「あら……アデライド様、ご自身で何か髪の手入れを?」

「昨晩バルコニーに出た後、少しばかり」

「お呼び下されば良かったのに」

「下がらせた後にわざわざ呼び出すのはどうかと思って。残り少ない自由なひとり夜を楽ませて貰うくらい、別に構わないでしょう?」


 勘の鋭い侍女にさらりと誤魔化しを述べ、ついでになるべく放っておけと言葉を添えると、侍女は戸惑ったような表情を一瞬見せた。

 

「……何か、思うところでも?」


 着替えの用意をしていたクローデットが振り返る。アデライドは小さく肩を竦めて、無言でそれに応じた。

 何も言うつもりはない。だから大人しくここに来たし、抜け出しても気付かれぬように戻ってきた。

 だが、それを望んでいる訳ではない。喜んでいる訳でもない。そう見せかけるつもりも無い。


「今日、何か予定などは?」

「特には何も伺っておりません」

「では午後は中央図書館に」

「確認致します。ですが……ルキアス様にお会いになったりなどは?」


 髪の手入れをしている方の侍女からいまだに戸惑ったままの声が降ってきて、クローデットが再びドレスからこちらへと眼光鋭く振り向いた。


「お会いしてもいいなら」


 アデライドは無感動に答えた。



 中央図書館は王都の中心地にある、貴族身分の者しか入ることのできない施設の一つだ。

 内部には施設側の警備員もいるため、護衛や従者が随伴する必要もない。


「図書館では自由にさせて。逃げたりしないから、このエントランスホールで待っていて」


 その入り口で、アデライドは侍女達にきっぱりとそう宣言した。


「侍女を1人も伴わないと仰るのですか?」

「ええ、ここでは必要ないから。これまでも侍女は居なかったし、本を読むだけ。あなた達の入館料を払う必要がどこに?」


 エントランスホールまでは、貴族の従者も入館が許されている。だがそれより先に入り込むには、主人である貴族が彼らの分の入館料を身元保証を兼ねて支払わなくてはならない決まりだ。


 周囲では図書館内にいる主人を待つ侍従と思われる人々が思い思いに椅子などで寛いでいる。

 飲み物を飲んだり、1階で貴族以外にも解放されている安価な冊子を読んでいたりと、ただ待機する苦痛なども無いように思われた。


 アデライドは反論の言葉を無くした侍女達を容赦無く突き放すと、物理的に捕まる前に上階への階段を登る。

 図書館への出入りができる場所は確かに一階のエントランスホールだけだったので、不満そうな顔をした侍女達は黙ってアデライドを見送るしかなかった。


 勿論、その出入り云々というのは、異常な魔力密度による身体強化で飛んだり跳ねたりしなければという、常識の範囲で不可能という意味である。


 さっそく図書館の4階から空中庭園となっているバルコニーへと出たアデライドは、人目が無いことを確認すると、身体強化をしてひょいと手すりを飛び越えた。

 図書館の壁を蹴って近くの建物の屋根へと飛び移り、身軽に家屋の上を走り抜けて、目的地の青い屋根の建物へ、窓からスルリと入り込む。


 途端にツンと鼻をつく、多種多様な薬と植物の香り。

 奥のカウンターに腰掛けていた店主は、窓から入り込んだアデライドを目をまんまるに見開いて見つめていたが、しばらくすると正気に戻った。


「子爵家ではどんな教育をしてるんですか!? 窓から入るなんて!!」


 キッとアデライドを睨み、威勢よく叱りつけたその店主は、ジョセフィーヌという。

 男爵家の出身である彼女はこの魔法薬店の主人でもあり、魔法薬師としてのアデライドの師匠のような存在だ。


「そう怒らないで、ジョセフィーヌ。ドレス姿で通りへ降りると目立つから、仕方なかったと思って」

「目立つ? 何か追われるようなことでも?」

「結婚させられたの。婚家は私に監視を兼ねた侍女をつけている」

「……どうやって抜け出してきたんですか?」

「ご存知の通り、あなたが言うところの魔力の多さを生かした常識はずれの身体強化で」


 ただし、2人の仲は友人に近い。挨拶代わりの軽口のような会話が途切れると、互いに顔を見合わせたまま、クスクスと笑いあう。


「もう来ないかと心配してたんですよ! あなた、魔法薬師を目指すのはやめるとだけ手紙を寄越したと思ったら、ぱったり顔を出さなくなるんですもの」


 怒り顔を嬉しそうに崩したジョセフィーヌに、アデライドもニコニコしながら「ごめんね」と謝った。


「さっきも言ったけれど、急に結婚させられて……」

「それは一体どういう状況なんですか」

「……説明するのは億劫なのだけど」

「お茶の用意をする合間に端的にどうぞ」


 立ち上がったジョセフィーヌは店の看板を準備中にしてしまい、宣言通りにお茶の準備を始める。

 アデライドはその手伝いをしながら、渋々、言われた通り端的に自身の状況を説明した。

 王子の愛妾に望まれたこと、王宮に出入りする身分と立場のために今にも死にそうな伯爵家の病弱な次男と結婚させられたこと、愛妾に興味はないが、拒否権もないため従うしかなかったこと。


「……まあ。そのような横暴なことが?」

 

 ジョセフィーヌが思い切り不快そうに顔を顰めてそう言ったので、アデライドは笑った。この威勢の良さが好きなのだ。


「王子専用の娼婦を仕立てるためにこんなに大掛かりな事をするなんて、王家もよくやるよね」


 冗談めかして肩を竦めると、ジョセフィーヌも頷く。


「娼婦だとしたら、全く売れないでしょうにね」


 その無機質な視線がアデライドの頭の先から爪先までを通り抜けていった。

 まったくだ、とアデライドは思う。自分で言うようなことでも無いが、アデライドの容姿は全く男受けするようなものではない。


「平均的な女性より頭一つ分高い身長、お父君譲りの秀麗な面差しに、すらりとした長い手足。特徴的な銀色の髪は細剣に例えられていましたね。まあ……、唯一無二の美貌と言えば、そうなのでしょうけれど……」


 褒め言葉のようで全く褒めていないその言い草に、アデライドは再び「ふはっ」と笑う。

 アデライド自身、言われたことの自覚くらいある。すると夫となった可憐な美少年のことを思い出して、そのあんまりな対比がどうにも笑えてしまうのだった。


「王子に関しては、珍しい毛色の女を抱いてみたいだけだと思う。話したことどころか、面と向かって会った事もない」

「話には聞いていましたが、本当にそんな事があるんですね。王宮の方の考えは私には分かりかねます」


 氷のように頑なに冷たい声である。ジョセフィーヌの容赦のない切り捨て台詞に、アデライドはふと思い出した事を口に出す。


「そういえば手紙を貰ったのだけど、『世界一豪華な牢に生まれながらに囚われた、孤独な私を慰めて欲しい』と書いてあった」

「私には分かりかねます」


 間髪入れず、心底バカらしそうにジョセフィーヌは同じ言葉を吐き捨てた。

 自分からふっておきながら、それが完全にツボに入ってしまい、んぐ、と呻いたアデライドは顔を背けて笑いを必死で噛み殺す。


 しばらくの間、ジョセフィーヌは冷淡な目でその様子を眺めていた。

 けれど手元のお茶が淹れ終わると、まだ腹を抱えて震えるままのアデライドを肘で小突き、問答無用でソファセットへと促した。

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