第2話 迷宮探索者〈ダンジョンシーカー〉
アデライドの実家であるフォルティノー子爵家は、しがない田舎の領主として生活をしている。
僅かに3つの農村と、田舎町というべき牧歌的な領都1つからなる領地であるが、田舎故に森から魔獣が出ることも日常茶飯事だった。
よって、フォルティノー子爵家は魔獣猟師の一団を抱えている。
彼等はそのほとんどが
幼い頃から嫁ぎ先の懸念を理解し、魔法薬師をぼんやりと考えていたアデライドは、領地にいた頃よく彼等と話していた。
そこで聞いた話の一つが、後天的な魔力漏出状態である。
それ自体は呪いなので、教会の祈祷術師が扱う特殊な魔術などで解呪すれば魔力漏出は止まる。だが迷宮外へとすぐに脱出する術はなく、収入源である探索計画に狂いも出る。
そこで、
武具などによく行われる魔術付与の際に使う魔力定着だ。それを人体に施すことで、魔力漏出を相殺する方法である。
魔力漏出症にもこの方法が使える可能性は高い。
だが、この方法が魔法薬師や世の中に知られてない事にも理由がある。
一つは、迷宮外での魔力漏出を相殺するための魔力定着には、高濃度の魔力を有する触媒が必要なこと。
こういった触媒は迷宮からしか得られず、希少性も高い。
迷宮内は魔力濃度が高く、体内からの魔力漏出は通常より抑えられるようになっているため、探索継続のためにはそこまで希少な触媒を使う必要は無いそうだ。
一つは、定着を安定させるための魔素を含む食材が迷宮外に少ないこと。
魔力定着は、その状態そのものが魔素を消費する。
食材にできるような魔獣は、迷宮の浅層には出現しない。だが、そういった魔獣が出る層まで行けば食材よりも遥かに高価な素材が手に入るし、迷宮外へと引き返すまでの時間でそのほとんどが傷んでしまうのだ。
迷宮外の食材にも魔素は含まれているが、どれも微量なもので、魔力定着という特殊な状態を維持するには圧倒的に魔素が足りないらしい。
一つは、先天性の魔力漏出症者は、魔力中毒症を起こしやすいことだ。
体内の魔力を短時間で大量に増やすと、身体がついていかず呼吸困難や嘔吐、めまいなどの中毒症状を起こしてしまう。
先天性魔力漏出症者は常に魔力が欠乏した状態にある。魔力が体内にある状態に身体が慣れていないため、通常よりはるかに低い魔力値でも中毒状態に陥るのだ。
中毒症を中和するためのポーションも存在するにはするが、素材となる薬草は迷宮ではなく、標高の高い山の山頂付近に生える希少なものだ。
そして、あくまでこれら対処法であり、治療法ではないのだ。
高濃度魔素の補給と中毒への対処は常に行わなければならないし、魔力定着も永遠ではないため、定期的に掛け直す必要がある。
これらの方法を知ったとして、それを患者に試せる魔法薬師がどれだけいるだろうか。
触媒一つ
――――その例外が、アデライドである。
◆
当たり前のように初夜はなく、結婚式の日の夜、アデライドはあてがわれた部屋で夕食をとり、続きの間となっている浴室で湯浴みをし、一人用の寝台に入る。
侍女達の部屋は同じ棟の同じ階にはあるが、アデライドの部屋とは続いていない。
クローデット含め、全員が退出したのを確認して、アデライドは部屋の内鍵を掛けた。
逃亡を防ぐためか、外側からも鍵は掛けられている。流石にアデライドの施錠だけを咎められることは無いだろう。
服を夜着から普段用の簡素なドレスに着替え、バルコニーへと出る。
そうして、魔力を全身に漲らせて身体強化をすると、躊躇いなく3階のそこから飛び降りた。
しなやかな猫のように地上へと着地すると、その勢いを完全に殺す前に前へと踏み出す。
蹴り出した身体は軽く、吹き飛ぶように前へとぐんぐん進んでいく。
身体強化は魔術ではなく魔力操作であるため、伯爵家を覆う魔術感知の結界を何なくすり抜けると、アデライドは王都の南部を目指して走り抜けた。
王都の南部、平民街を通り抜けた更に先には、迷宮街がある。
迷宮内には昼も夜もなく、探索者達は真夜中だろうとお構いなしに迷宮外へと戻ってくるため、この街は歓楽街のような雰囲気さえある。
アデライドは目立たぬように屋根の上をポンポンと飛び移って移動し、目当ての建物へと入り込んだ。
「うわっ、お嬢じゃねえか!」
「こんばんは、ステファン」
そこは迷宮探索者の一団、『エルバンス』の拠点だ。
フォルティノー子爵家のお抱えとなった元探索者と関わりの深い団であり、領地の平民が数名入団していて、魔法薬師を目指していたアデライドは王都に来ても個人的に彼等との交流を続けていた。
ステファンはそのうちの一人で、領地にいた頃はアデライドの幼馴染のような存在だった男だ。魔法薬の情報や素材の伝手を求めたアデライドとエルバンスを繋ぐパイプの顔役でもある。
「なんだってこんな遅い時間に来たんだ?」
「抜け出して来たから。ナイショで動く必要があってね、
なんだなんだ、と寝床から様子を伺いに出て来た団員達にも聞こえるよう、堂々と宣言する。
「またか」
ステファンは呆れたように言い、様子を伺いに来た団員達もすぐに興味を無くして寝床へと引き返していった。
アデライドが迷宮へ足を踏み入れた回数は既に10を越えており、団員達にとってはもはや驚くべきことではないのである。
「期間が空いたから、もうやめたのかと思ったぜ」
「いろいろあって。私の装備は?」
「整備してあるよ。場所も変えてない」
「ありがとう」
迷宮探索の事を家族の誰にも伝えていないアデライドは、この一団に自分の装備の管理を頼んでいる。
通路の奥にある小さな倉庫のような部屋であり、着替えなどもそこを使わせてもらっていた。
旅装のような動きやすいシャツとズボンに、急所を保護する軽量の革鎧、ブーツと魔術付与されたローブを手早く身につけて、ショートソードとナイフをベルトから吊り下げる。
ポーチの中身が補充されている事を確認して、ざっと手間賃を計算しておく。
明け方までに戻る事をステファンに簡単に説明して、早速アデライドは迷宮へと潜った。
◇
王都南部に存在する
全8階層からなるその迷宮の第5階層で、アデライドはとある部屋に立っていた。
長細い広間のようなその部屋は、奥に壁の裂け目のようなものがあり、そこから次から次へと大型の魔獣が姿を現す。
いわゆるところのモンスターハウス、大量に魔獣が発生する罠部屋である。
ぞろり、と左右8本の脚と角と尾を持つ、黒い巨大な牛のような魔獣がまた三匹ほど裂け目から這い出して――
「氷の棺よ、我が敵を永久の眠りへ封じよ」
アデライドの放った魔術により、瞬時に氷漬けになった。
浮遊魔法で息絶えた魔獣の氷像を近くへ引き寄せ、アデライドは獲物を検分し始める。
「うーん……これなら魔素は十分……触媒になるような魔力は……」
その傍らには小山のように凍った魔獣の死骸が積み上げられている。アデライドがこの罠部屋へと踏み込んだ際、既に部屋の中にいた魔獣達だ。
大した魔素は有していなかったため、換金用に魔力が濃く宿った角や牙、爪、骨などが雑に回収されている。
「……だめかな」
ふぅ、とアデライドは溜息を吐いた。
牛のような魔獣は魔素こそ濃密ではあるが、魔力定着の触媒として使えるほど魔力に満ちた素材は無い。角と尾と蹄を回収し、切り分けた肉を入念に凍らせて皮袋へと放り込むと、罠部屋を後にする。
迷いない足取りは、第6階層へと続く道を最短距離で辿る。
アデライドは階層の切り替え部分である階段を降りきるなり、周辺に氷の魔術をぶち撒いた。
待ち構えていた鼬のような魔獣の群れを一息に制圧し、もはや素材には目もくれずにアデライドは奥へと進む。
第6階層は小型の強力な魔獣が群れをなして襲いかかってくるのが脅威なのだが、5層の大型魔獣の方が魔力や魔素の保有率は高い。食材とする肉を手に入れてしまったので、ちまちまと換金物の回収をする時間は無くなってしまった。
面倒がらずに第6階層で魔獣狩りを始めるべきだったわ、と思いつつ、アデライドはやはり最短ルートで6層の最奥地点へと辿り着くと、そこにいた魔獣を氷の魔術で手早く拘束する。
額に最高水準の魔石を生む魔獣、カーバンクル。
この魔獣に限っては、殺すと厄介な上にデメリットしかない。額の魔石を少し削らせてもらい、すぐに解放する。
燃えたぎる炭のように赤く輝く魔石を検分すると、さすがはカーバンクルの宝玉、触媒として通用しそうな魔力濃度と密度である。
他にもカーバンクルの気配はあったが、アデライドはそこで今回の迷宮探索を切り上げることに決めた。
どうせ魔素補給用の食材は定期的に狩りに来なければならないのだから、頻度の低い触媒用の素材を沢山取る必要は無い。
そうして、アデライドは宣言通り、夜明け前に拠点へと戻った。
「おかえり、お嬢。お目当ては手に入ったのか?」
「とりあえずは」
出迎えたステファンの言葉に頷いて、不要な素材を引き渡す。
「換金するかい?」
「今回はいい。私の装備の管理手数料に充てて」
「魔法薬の素材依頼はいいのか?」
「しばらくは無い……と思う」
どうせ素材があっても、伯爵邸では調合などできない。
それに魔法薬師になること自体、もはやアデライドにはどうでもよかった。
「……なんかあったのか?」
「ええ、まあいろいろと」
心配そうなステファンにアデライドは肩を竦めた。
複雑怪奇な貴族社会の横暴に振り回されている事など、平民のステファンにわざわざ説明する必要性は感じない。
絞った手拭いで全身と髪を拭い、手早く服装を元に戻して、帰り支度をする。
そうして手を動かしながら、どうやってルキアスにこの対処法を施すかを考える。
アデライドがルキアスの命を長らえさせる事など、誰も望んでいない。
ここまで彼を生かし続けた伯爵家の人々は延命の方法が見つかれば喜ぶかもしれないが、それを齎す存在がアデライドであることは受け入れないだろう。彼らは既にルキアスの死を前提に動き出してしまっている。
唯一それを受け入れる可能性があるとすれば、それは死に瀕するルキアス本人だけだ。
帰り支度を終えたアデライドは、まだ何か言いたげなステファンに対して口を開いた。
「……ステファン、ひとつ聴きたいのだけど」
「お、なんだ?」
「迷宮外の調達って頼むことはできる?」
「あー…………基本的には……やらないな。依頼内容によるかもしれないが」
ぎゅっと眉根を寄せて、言葉を濁らせるステファンにアデライドはうっすらと微笑み、「ならいい」と首を横に振る。
魔力中毒の中和薬の材料となる薬草採取は、
それを補填できるほどの金が今のアデライドにあるわけでもない。
ダメ元で尋ねかけたものの、ただその事実を再確認しただけだった。
自分の愚かしさへの冷笑を浮かべたまま、アデライドは来た時と同じように身体強化をして伯爵邸へと走った。
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