愛しのかわいい旦那様!

けいぜんともゆき/関村イムヤ

第1話 結婚、はじめまして

「あなたが王子の妾になるためだけに僕の妻になる人?」


 夫となる少年の最初の言葉を、アデライドは全く聞き逃した。

 いや、聞いてはいたのだが、呆然としていてそれどころではなかったのだ。


 彼女の頭の中は一つの叫びに塗りつぶされていた。


 ――――なに、この美少女???!!!


 新郎の重たい衣装に身を包み、ぐったりと椅子に座り込むその少年は、アデライドより2つ年下のファジーク伯爵家の次男。

 今日まさに結婚式を迎えようとしている、ルキアス・ナ・ファジークその人である。


 肩ほどまで伸ばされた碧髪は絹糸のようにさらさらとまっすぐ。同じ色の長いまつ毛が、アザレアのような赤紫色をした印象的な瞳に憂鬱そうな影を落としていた。


 猫のようにパッチリとした目、ほっそりとした頬、薄い唇、華奢な身体付き。彼のそれらの特徴はむしろ少女めいてさえいる。

 少年だと分かっている筈のアデライドに美少女と思わしめるほどの、可憐というべき美貌であった。


 その、陰惨さと美しさの退廃的なアンバランスさに、アデライドはくらりと自分が傾ぐような感覚を覚える。


 ようは、ものすごく好みのタイプだった。


「あなたが、ルキアス……?」

「なに? 姿絵さえ見てないわけ? さすが、僕が死ぬのを待つためだけの婚姻ってこと」


 ルキアスはアーモンドの花のように血色の薄い唇を引き攣るように歪めて笑う。

 悪意に満ちた皮肉だったが、アデライドは特に気にしなかった。それを言ったルキアス自身、あまりに無感動だったからだ。


 それに、今の今までこの婚姻をどうでもいいとアデライドが思っていたのも事実だった。


 事の発端は、この国の王子がアデライドを愛妾にと望んだ事だ。

 未婚の娘を愛妾にするのは流石に外聞が悪く、アデライドの実家は宮廷に出仕できるほどの身分でもない。

 そのため、病弱ですぐにでも死にそうな伯爵家の次男との縁談が押し付けられたのである。


 しがない子爵家にはそれに異を唱える事など出来るはずもない。

 それが、わずか一月前の話であった。


「……なんとか言えば。半年かそこらで死ぬ夫とは会話する気も起きないわけ?」


 アデライドの無反応が気に障ったのか、ユーリエルは不機嫌そうな声を出す。

 虚無感に満ちた雰囲気が僅かに怒りを帯びて、アデライドはやっとその顔に魅入るのをやめた。


 なんとか言えと夫になる人が言っている。アデライドは口を開いて、それから何を言えばいいのかやっと考えだした。

 何を言うべきか、頭の中で様々なことが渦を巻く。

 王子の妾などなんの興味も無いこと、だからこの結婚もどうでもよかったこと、だから怒りをぶつけられてもどうすればいいか分からないこと――などが、喉元でせめぎ合う。


 だがそれらが声になる前に、ぽろりとひとつ言葉がアデライドの口から転がり出てきてしまった。


「かわいい…………」


 アデライド自身驚くほどに、呆然とした声だった。





 ルキアスの体調を考慮して、結婚式はすぐに終わった。

 不機嫌な新郎と、所在なさげな父親と、感情の読めない伯爵家の面々という顔ぶれが並ぶ中、礼拝堂で婚姻証書にサインをし、司祭の前で神に夫婦の宣誓を行えば、それで終わりだ。


 あまりに空虚なそれが過ぎれば、父との別れも碌に許されないままに伯爵家のタウンハウスに迎え入れられ、誰の居室とも隣り合わない部屋に、ファジーク家から与えられた侍女と共に押し込められる。


 結婚式のためのドレスを着替え終わってもまだ、アデライドはどこかぼんやりしていた。

 夫になった人へ感じた衝撃はそれほどだった。


 そのルキアスは生まれつき病弱で、医師からはあと半年の命だと余命宣告をされているという。

 王家から聞かされていたのはそれだけだった。渡された釣書に年齢や家柄なども書かれてはいたが、彼については本当にそれだけの事しか知らない。


 ――あの美少年が、あと半年かそこらでこの世から失われてしまう……?


 それは、多大な喪失感をアデライドに与える思考だった。


 あんなに物凄い美少女めいた美少年が、たった半年で、本当に儚くなってしまう。

 それはもはや、この世の損失でさえあるのではないだろうか?


 だんだんと、アデライドは大真面目にそんな事を考えだした。王子の妾にと言われてからこのかた、現実感を失くして彷徨っていた意識が急に鮮明になっていく。


「アデライド様、お茶を。本日はお疲れでしょうから、少しお休みになられては?」


 結婚式も上の空で、屋敷へ来てからも物思いに沈む新婦へと、侍女が声を掛ける。冷ややかなものが滲んだその声に、アデライドははっと現実へと引き戻された。


「……ありがとう。あなたは、クローデットで間違いない?」

「ええ、そうです」

「クローデットは以前から伯爵家にお仕えしているの?」

「はい、アデライド様。私は伯爵家より支援いただきランドックの学校を卒業しまして、それからはこちらのお屋敷で奉公させて頂いております」

「そう。であれば少し、ルキアス様について聞かせて貰っても?」


 アデライドがそう切り出すと、クローデットの貼り付けたような微笑みに、怪訝なものが混ざる。


「必要ですか?」


 端的な返しに含まれたものを、アデライドは正確に理解する。

 どうせ半年ほどで居なくなる、王子の妾になる人間が、ルキアスの事情を詳しく知ることになんの意味があるのか。


「勿論。このご縁は王家により頂いたものなのだから、縁ある限りは妻として出来る限りの事をするのが臣として当然のこと」


 アデライドはまじめくさって言い繕った。当然ながら詭弁であり、そんな事は微塵も思っちゃいない。


「……分かりました。どのようなことが知りたいのですか」

 

 だが王家のことを盾にすれば、クローデットも突っぱねる事はできない。渋々ながら話をする気になったようで、アデライドは内心でヨシ、と呟く。


「ルキアス様はどのようなご病気なのか、教えてくれる?」

「ああ…………ええと、魔力漏出症、というものだそうです。通常身体に留まる量の魔力を留めて置けないそうで、魔素消費による魔力変換に常に身体が働いてしまうのだとか」


 先天的な魔力障害のひとつだ、とアデライドは思い出す。


「魔力漏出症……」


 それは未だ有効な治療法の無い、死の病である。


 王子が妾になどと言い出さなければ、アデライドは魔法薬師を目指すつもりだった。どうせしがない子爵家の娘には碌な縁談など来ないし、家同士の繋がりならば後継である兄が相応の家柄から嫁を娶っている。


 勉強できた事はそれほど多くはないが、魔力漏出症は魔法薬師の中で長年治療薬が研究されていて、アデライドでも知っているものだった。


 魔力漏出症は、様々な魔力障害の中で最も重篤な病だ。

 人間の体は食事などで外界から取り込んだ魔素を魔力に変換し、体内に溜め込むように出来ている。

 だが魔力漏出症は作ったそばから魔力が体外へ漏出してしまうため、常に魔力欠乏状態であり、延々と魔素の変換を行い続けるため、魔素欠乏にも陥りやすい。


 慢性的な魔力欠乏は身体を守る魔力が足りないという事でもあり、流行病や怪我などに通常よりも陥りやすい。魔素欠乏もまた、臓器を弱めるなどの悪影響を齎す。


 身体の成長に合わせて身体に留めるべき魔力量は増えていくが、普通の生活では圧倒的に魔力も魔素も足りなくなる。魔力や魔素の欠乏症が成長に与える悪影響も著しい。

 そのため、大抵の場合は7歳ごろまでに亡くなってしまう。幼い子供は魔力の量が安定しないため、漏出症だと周囲が気がつかないことも多い。

 研究がなかなか進まないのも、そういったことが理由になっている。


 アデライドは現在18歳、2歳年下のルキアスは現在16歳。

 ここまでルキアスが生きてこられたのは、伯爵家の財力によるものだろう。魔力補給のためのポーションを買い、魔素の多い食事を与えることで、欠乏状態をある程度はコントロールできる。


 アデライドは黙り込んで、深く思考を巡らせる。

 魔力漏出症について、アデライドはもう少しだけ、知識があった。


 それは、な魔力漏出状態と、その対処法についての知識であった。

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