第18話 もっとも格好悪い言い訳

 変わり映えのしない毎日に、俺は幸せを感じていた。

 月曜日はジャンプを読み、火曜日から金曜日はお笑い芸人の深夜ラジオを聴いて、土日は鈴木さんと散歩をしながら家ではミッシェルを愛でる。

 二ヶ月に一度ぐらいは山田の家で麻雀をしたり、クリスマスをはじめとした季節毎のイベントか訪れれば鈴木さんも一緒に高校の同級生と未だに集まっていた。

 変わり映えはしないかもしれないが、一般的には友人に恵まれ、決して仕事で大成していないとはいえ自尊心を失わない程度には成果を出しながら心身ともに健康に過ごす。

 これ以上何を求めるのか。

 子供がいないことへのコンプレックスにも折り合いをつけ、自由に使える金がいくらかあることや会社の後輩に奢ってやれるぐらいの余裕があることに『これも悪くない』と心から思える程には受け入れていた。

 しかし、幸せは簡単に失うことが出来る。

 一日あれば、いや数十分あればあっという間に自分の手からこぼれ落ちてしまう。

 自分の手の中にあることを理解していないからこそ、こぼしてしまうだと痛感した。


「この前の面子でまた飲もうって話になったんですけど、佐藤さん今日空いてます?」


 始まりはいつも喫煙所で。

 きっかけは後輩の他愛もない一言から。

 田中がタバコを吸いながら普段通りに飲みに誘ってくれた。

 この前の面子が誰を指すのか分からないぐらいに、田中とは飯を食べたり酒を飲んだりしていたのでその時は本当に何も考えずに了承する。

 面子を聞いて参加するかどうかを判断するのは自分の美学に反するという潔癖が災いしたいとも言えるが、身から出たサビとしか言いようがない。

 心なしか田中の口が意地悪く歪んだ気がした。しかし、タバコを吐く時に少し歪めるぐらい気に留めるようなことじゃない。


「あとでまたLINEしておきますね」


 軽々に返事をしたことを後悔したのは定時まであと数十分という頃だった。

 ありがたいことにその日はそれなりに忙しく、もうぼちぼち仕事の整理をし始めた頃に田中からの誘いを思い出して私用のスマホを確認した時、喉が締まる。

 LINEの通知がいつもより多かった。

 田中から連絡は個人LINEではなく、見慣れないグループLINEから来ており、開く前に理解する。

 後悔した。しかし、それと同じぐらいに何かを期待していた。

 田中と高橋のメッセージに紛れながら、知らない女性が三人。

【a.n】というアカウントの映る女性の後頭部は、高校時代に何度も目で追っていたものだとすぐにわかった。

 妻の顔は毎日見失うくせに、十年以上前に好きだった女性の後頭部ですら見間違わない。

 中村彩に再び会うことになった。

 いや、自らの意思で会いに行った。


「えー、絶対高橋くんは浮気するタイプでしょ!」


「何言ってんの! 俺なんて浮気するような根性ないって!」


 中村さんと高橋の間に当たり前のような親密さを感じ、俺の知らないところで食事に行ったりしているのかもしれないと邪推した。

 慣れない感情が嫉妬なんだと気付くのに少し時間がかかる。

 どの立場で嫉妬なんかしているんだ、と酒を飲みながら、周りに合わせて笑いながら思う。

 高橋のようなバリバリの営業マンが中村さんを笑わせている光景が面白くない。

 頭の中で知らないサッカー部に好きな子を取られた過去が、知っている営業マンの後輩にすげ変わった。

 少し仲良く話したぐらいで惚れた腫れたの仲になるなんて、世の中そんなに単純ではない。

 外側はすっかりおじさんなのに、内側は高校生のままなんだと突きつけられた。

 心の底で中村さんを誰かに取られてしまうという悔しさと惨めさをハッキリと感じ取っている。

 気付けば灰皿は溢れ、何杯目かのグラスは氷まで口にする程飲み干していた。


「佐藤さん大丈夫ですか? 水頼みます?」


 トイレで席を立った時、心配そうな田中が着いてきて声をかけてくる。


「おお、そうだな。悪いね」


 昔好きだった人を後輩に取られるのはキツイですよね、という意味で大丈夫かと聞いてきたのか。

 それとも純粋に酔い過ぎていないかを気にかけてくれたのか。

 顔が熱く、小便をしながら鼻息が荒くなる姿を見れば十中八九俺の身体を慮ってくれての言葉に違いないのだが、そんな気遣いすらも惨めさを助長させた。


「結構……、飲んでんの?」


 俺はあの日振りだけど、お前らは集まってるの? という探りを入れる。

 探りというにはお粗末なものだが。


「そうですね。でも二回ぐらいですかね」


 中村さんはあの日振りですけど、と小便をしながら田中が呟く。

 こちらを見ない挙動に怪しさを感じてしまう。

 小便中なのだから当たり前なのだが、湧いた疑念を振り払える思考力はアルコールが分解してしまった。

 ふと、鏡に目をやった。

 目まで真っ赤にした三十過ぎのおじさんが鼻から深く息を吸い込んでいる。

 酔いに任せて中村さんとまた二人になれないかと腹づもりをしている顔はひどく醜かった。

 何よりも醜く汚いのは、ここまで酔っていればしょうがない、相手が高校時代にあれだけ好きだった中村さんであれば一生の思い出になる、という言い訳が出来ている自分の理性ある心だった。



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