第15話 誰に赦しを乞うのか

 月曜日の仕事には身が入らなかった。

 それはよくある週明けの憂鬱さとは毛色の違うもので、高橋と田中が何も触れてこないことによるむず痒さによるものだ。

 こちらから話をするのも小さなプライドが邪魔をしてしまい、そもそも金曜日の飲み会自体がなかったことのように振る舞ってしまう。

 家に帰ったのは土曜日の深夜だった。

 俺は中村さんと少しだけ酒を飲み、お行儀よく解散する。

 それは男性からは蔑まれ、女性からは当然だと嗜められるようなことなのかもしれない。


「久しぶりに話せて楽しかったよ。ガチ愛にも中村さんが元気だったって伝えておく」


「こんな偶然あるんだね。また皆で飲みに行こうよ」


 皆が指すのは曙高校の同級生なのか、今日の四人なのか。

 小心者の癖に意地汚く可能性に期待をしている。

 もう一度今日のような日が来れば、何度もこうして二人で飲むことがあれば。

 中村さんの最寄駅は清澄白河駅のようでお互いに終電は無くなっていた。

 タクシー代を渡そうとも思ったが、下心があるように感じられるのも嫌だったので踏みとどまる。

 実際に下心はあるのだから聖人ぶるのは可笑しな話なのだが。

 当たり障りない社交辞令を最後に中村さんの乗ったタクシーを見送った。

 間髪入れずに自分もタクシーに乗り込み、決して近くない目的地を告げて、酔った頭を冷たい窓ガラスにもたれかかる。


 これで良かったんだ。


 何が良かったのか。誰に弁明しているのか。

 鈴木さんを裏切らずに済んだことか。中村さんに断られずに済んだことか。慣れない誘い文句を空振らずに済んだことか。思い出の女の子に性欲をぶつけずに済んだことか。

 車窓を流れるネオンが無くなり、窓ガラスに自分の顔が映り込む。


 これで良かったのか?


 何を後悔しているのか。誰に確かめているのか。

 確かにあった下心を見て見ぬふりしたことか。男として終電を無くすまで女性と二人で飲んでおきながら何もアクションを起こさなかったことか。中村さんから愛妻家で真面目だと思われたかったのか。鈴木さんに責められても一線を越えていないと言い訳ができることか。


「お客さん、着きましたよ」


 気がつけば多摩川を渡っており目的地として告げていた新丸子駅に到着している。

 自宅までの道のりを追加で説明し、思わぬ出費にバツが悪くなりながらもちゃんと帰ってきた自分を褒めてやりたい。

 そっと玄関の扉を開き、すぐに脱衣所に向かい風呂に浸かった。程なくしてミッシェルが浴室の磨りガラス越しに現れる。これだけ遅い時間でも一日中寝ている猫には関係ないようだ。

 入れて欲しいのか浴室の扉をドンドンとノックをしてくるが、開けてやるとキョトンとした顔でこちらをジッと見つめてくる。恐らく顔が見たいだけなのだろうが、その可愛らしさの割に扉を叩く強さは猛々しい。


「ミッシェル、やめて」


 水が苦手とされる猫は飼い主が浴槽に使っているのを知ると溺れていないか確かめにくるという話を聞いたことがある。

 大丈夫か? 生きているか? と安否確認をしてくれているのであれば愛らしさも増すというものだ。

 危うく俺はこの可愛らしい猫を失うところだったのかもしれない。

 一時の快楽に身を委ね、鈴木さんを悲しませるばかりか、離婚だ別居だとなればミッシェルも俺の元から居なくなってしまうだろう。

 不貞行為を働いた俺がミッシェルは俺の猫だ、なんて主張する権利はない。鈴木さんの誕生日に飼ったこともあり飼育権は鈴木さんにあるだろう。

 アルコールにより身体には赤く斑らのような反応が出ている。

 その割に頭は冴えてきた。

 未遂とはいえ、俺はまだ中村さんを好きなのだろうか。


 土曜日の昼前ぐらいに目が覚め、それからの一日半ほどの休日は変わり映えのないものだった。

 鈴木さんと一週間分の買い出しをし、お惣菜で簡単な昼食をとり、一緒にアニメを見たり。

 目的もなく散歩をしたり、お腹が減ったから近くのパン屋で贅沢に値段を気にせずトレイに乗せて会計の時に少し後悔をしてみたり。

 いつもと変わらない週末。

 何度繰り返したかわからないルーティン化した日常。

 鈴木さんのちょっとした挙動に反応してしまう。


「彩と久しぶりに会ったんだね。まだ好きだったんだね」

 なんて言葉が次の瞬間に口をつくのではないかと冷や汗が背中を伝った。

 やましさが、身体を強張らせる。

 罪悪感が、一瞬の間を生んでしまう。

 夜中にタクシーで帰るのは初めてではない。ただし、特別な感情を持つ女性と二人で飲んでいたことが理由になるのは初めてだった。

 世の中の不倫をしている人は肝が据わっているな、俺にはとても無理だと反省をしているとスマホの画面にLINEの通知が浮かぶ。

 大学時代の悪友であり、唯一鈴木さんの顔について話したことがある山田からだった。


「来週暇なら飲まない?」


 既読をつけて一分と経たずに了解の旨を示すスタンプを送る。

 送信と同時に既読がついた。

 あいつも暇だなぁ、と笑う俺を山田もわらっていることだろう。





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