第13話 一途なのではなく相手を選んでいるだけ

 店を出て外の空気に当たると随分と酔いが回っていることを自覚する。

 寝不足の時のように膝に力が入らず、靴の底が地面をしっかりと捉えていないことがわかった。

 高橋と田中に根掘り葉掘り聞き出され、高校時代の思い出を棚卸ししていれば酒の進むスピードだって速くなる。

 大丈夫? と笑う中村さんからシャンプーの匂いがして、さらに頭がクラクラとした。


「いやぁ、甘酸っぱい話だったなぁ。俺もそんな青春送りたかった」


 俺を肴にして盛り上がった四人はお互いに明日が仕事でないことを確認し次の店をどうするか話し合っている。俺もこのままでは帰れない。せめて鈴木さんへの弁明と如何に中村さんが小悪魔だったかを話しておかないと、会社であることないこと言いふらされてしまう。


「佐藤さん、何してるんですか。流石に中村さんと二人で飲み直してください。僕らが茶々を入れてしまいましたが、久しぶりに再会した高校の同級生と積もる話もあるでしょう?」


「そんなもんはねぇよ! おい、田中。ニヤケ面が隠せてねぇぞ!」


 丁寧にこちらを慮るセリフを並べる割に、田中はこの状況を楽しんでいる。普段はキッチリとして頼りになる後輩だが、こういう時の悪ノリはいただけない。


「中村さんも話足りないでしょ。私達のことはいいんで二人で飲み直してくださいね」


 女性陣もそれに乗り中村さんの背中を押す。

 店の前でわちゃわちゃとふざけていると、狭い路地を通ろうとするタクシーにクラクションで嗜められた。この街は酔っ払いには慣れているだろうが、それが迷惑でなくなる訳ではない。


「じゃあ、佐藤くん。ちょっと一杯付き合ってよ。確かに久しぶりに高校時代の話なんてしたから懐かしくなってきちゃった」


 ほら、行くよと俺の意見なんて聞かないで中村さんは駅とは逆方向に歩みを進めてしまった。

 これで断ろうものなら俺が変に意識しているみたいじゃないか。


「うわ、佐藤さん……。これはダサいっすよ」


「うるせぇ! お前ら月曜日は覚えておけよ!」


 小物らしい捨て台詞を吐き、俺達を囃し立てる下世話な歓声を背中に受けながら中村さんの隣に並ぶ。


「なんか悪かったね。まぁ、こうして一回抜けちゃった方がうるさくないかもな」


「そうだよ。ああいう時は乗っちゃった方がみんなも満足するし。お客様のニーズに応えておきましょう」


 営業営業、と陽気な足取りで歩く姿は頼もしく、記憶に留まる中村さんとは印象が違った。当然俺の知らない十数年が彼女を人としても社会人としても成長させているのだ。記憶と同じままなはずがない。

 何を当たり前なことを考えているのか。

 結婚して家を買ったとはいえ、精神年齢はいつまでもたっても高校生のままでいる自分を中村さんはどう思うだろう。


「それより、適当に歩きだしちゃったけど佐藤くんってこの辺でよく飲むの? こっちに丁度良い店ある?」


 キョロキョロとビルの看板を見渡し、スマホで店を検索しようとするが中村さんも酔ってるいるのか、検索結果を読み込む時間が耐えきれずスマホを鞄に入れて諦めてしまう。

 喉元までダサい言葉が出かかっていた。

 本当に飲みに行くの? と。

 あいつらの悪ノリを躱す為に、とりあえず二人で抜けたフリをしてこのまま帰るのかと思っていた。

 中村さんが本当に二人で飲もうとしているのを汲み取らず、誘ったのはそっちだよね? と言い訳をするかのように。


「いや、この辺では飲まないなぁ……。でも、小洒落たバーとかありそうじゃない?」


 努めて冷静に。

 まるで最初からそのつもりだったかのように。

 躊躇いが伝わらないように、困惑が悟られないように俺は当てもないのに前を歩いた。

 女性と二人で飲んだことぐらいは流石にあるが、明らかに緊張していることを自覚する。

 初めて鈴木さんとラブホテルに入った時ぐらい白々しい顔をしていると思う。

 これはあれだ。

 下心があるんだ。


「小洒落たバーだなんて。佐藤くん、大人になったね」


「……なんだよ。慣れないことしようとしてるんだから見て見ぬフリしといてくれよ」


「慣れないことしようとしてるんだ。ふぅ〜ん」


「酔っ払いめ。ほら、ここ良さそうじゃないか?」


 扉を開けると、そこだけ繁華街の喧騒が止んだように静かで落ち着いた時間が流れていた。

 二人掛けの奥のテーブル席に通されて、見覚えのない酒の名前がズラリと並ぶメニューを見やる。

 全く酒に詳しくないが、大学生時代に山田達と遊んでいたおかげもあり、とりあえず二つ、三つのカクテルだけはわかった。

 こういうことがあるから学生時代に遊んでおくことは無駄じゃなかったなと自分を肯定したくなる。


「佐藤くん、お酒詳しいんだね」


 案の定、中村さんは俺を遊び人のように仕立てて揶揄ってきた。

 全く、今日は誰彼構わずいじってくれる。


「ねぇ、遅くなってガチ愛は心配しないの?」


 何を今更。俺を試しているのか。

 試されるのは構わないが、どうせ俺は正答は出来ないぞ。


「朝帰りしたって後輩とカラオケか麻雀してるぐらいにしか思われないよ。俺は信頼されてるからね」


 俺が浮気や不倫が出来るなんて鈴木さんは思っていない。


「確かに。佐藤くんは一途だもんね」


 二軒目の乾杯はグラスをつけずに、そっと傾けるだけだった。

 俺自身、不倫をしてみたいなんて気はサラサラないし風俗だって興味はない。

 しかし、相手が中村さんとなると、高校時代の三年間思い続けた人となると、少し気持ちが浮ついてくる。

 酔っ払って早まった心臓の音が頭を叩く。

 これじゃダメだと自制心が働いてくれる。

 鈴木さんが悲しむぞ、と忠告をしてくれる。

 だけど、肝心の悲しんでいるはずの鈴木さんの顔にモヤがかかってしまい、ブレーキの効きが悪い。

 なし崩したくなっている自分に気がついた。

 これはまずいと酒を煽ってしまう。

 美味しいから頼んだんじゃないの? と中村さんがクスクスと笑った。

 考えが口をついてしまっている。

 滅多なことを言わないようにしなければと、視線を上げると、バチッと目が合ってしまった。

 下唇を軽く噛んでいる彼女の顔を見て、あの冬の日のことを思い出す。



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