第11話 記憶の中の彼女
有楽町駅から少し新橋駅方面に歩くと小洒落た居酒屋が多く連なる。
チェーン店の安心を求めてしまいがちな俺ではまず選べないようなその店に入ると定時で退勤していた高橋と田中がすでに見知らぬ女性と談笑していた。
「あ、佐藤さん! お疲れ様です!」
ノリの良さと警戒心が程よく混ざりあった会釈をしてくれる女性が二人。
二十代後半ぐらいに見えたのでざっくり年下に接するような少しだけ砕けた敬語を使うことにする。
あとで同年代か年上だと分かったら若くて年下かと思った、とでも言っておけば向こうも悪い気はしないだろう。
「遅れちゃってごめんなさい。帰りがけに上司に呼ばれちゃって」
しかも下らない理由で。仕事の話もしていたものの要は飲み会が羨ましいという遠回しに誘って欲しそうな絡みだった。
何も知らない女性陣は可愛いだの誘ってあげてくださいよ、だの気楽なことを言う。
すかさず高橋が如何にその上司が面倒くさいだの、自分達と飲んでいた方が楽しいだの熱を込めて力説をした。
それを見て笑う二人の女性を見て安心する。
この二人は鈴木さんではないな、と。
初めて見る顔の女性で二、三十代に見えれば念の為警戒してしまう。
浮気だ不倫だ、という謂れのない疑いもかけられたくないし、俺にも外で見せる顔というものがある。親の前で友達と悪ふざけをしたくないように、妻に対して初対面の女性との会話を見られるなんて勘弁して欲しい。
鈴木さんの顔が毎日違うように見える弊害として、些細ではあるがこうした飲み会の時が不便だ。
大学の文化祭で鈴木さんだと気が付かず声をかけてしまい大変な目に遭ってから注意をするのが癖になっている。
もっとも、今日飲みに行くことも伝えているし、鈴木さんの行動圏外なのだから出くわす可能性などないのだが。
「私達の先輩ももうすぐ着くって連絡あったよ。あ、こっちこっち」
二対三でバランスが悪いと思っていたら女性陣も一人遅れていたらしい。
少しウェーブのかかった長い髪。遅れたことを詫びる快活な声。
毎日一緒にいる妻の顔は覚えられないのに、十数年振りに見た彼女の顔を忘れたことはない。
「あれ……、えぇ! 佐藤くん!?」
久しぶりに会う彼女の行動圏など知る由もなく、全くの無警戒だった。
大人になった中村彩は化粧によるものか記憶よりもキリッとした印象があったが、照れた時に軽く下唇を噛んで笑う仕草は変わらない。
「びっくりしたぁ……。会社の子に数合わせで呼ばれたら佐藤くんいるんだもん。ガチ愛は元気? ダメだよ、結婚してるのに合コンなんて参加しちゃ」
合コンじゃないですよ、と俺と中村さん以外の四人が笑う。
やはり数年の年の差は合コンの定義を変えてしまっていたらしい。
「でも驚きましたよ。佐藤さんの高校の同級生なんて。これは運命ですね!」
高橋が水を得た魚のようにベラベラと調子の良いことを捲し立てた。
田中も佐藤さんは愛妻家なんだ一途なんだと擁護をしているが、その顔は良いネタを仕入れたと喉まで出かかっている。
明日には会社の何人かに、今月末の飲み会ではほとんどの人間にいじられるだろうな。
「佐藤さんの奥さんって高校のクラスメイトでしたよね? じゃあ、中村さんも二人の馴れ初めを知ってるんだ! どうでした、高校の時の佐藤さんは?」
同級生と結婚なんて漫画みたい! と女性陣が盛り上がり、それを肴に高橋と田中が薄っぺらいおべっかで俺を持ち上げる。
会社で何度も繰り返されてきたネタではあるが、彼女の前だけでは、中村さんの前だけではネタにされたくなかった。
恥ずかしいというよりは元カノの前で、高校時代に何度も告白し思い続けた彼女の前で、卒業は別のクラスメイトと結婚したんですと惚気るのは気まずく居心地が悪い。
もちろん、中村さんも俺と鈴木さんが結婚したのは知っているし、何なら結婚式の二次会のビデオレターでコメントも寄越してくれていた。
それなのに気まずい思いを抱くのは自意識過剰なんだろうし、中村さんは俺のことなど微塵も意識していないだろうけど。
それでも。
この後ろめたさは、中村さんとどうにかなりたいと思ってしまっているのだろうか。
しらばっくれるべきか逡巡し、残り少ないグラスの酒を白々しく口にしていると、中村さんの口から信じられない言葉が飛び出した。
「どうだったって言うか……。高校の時の佐藤くんは私のこと好きだったよね?」
これ以上ない声で外野の四人が驚いてくれる。店員にお静かにと嗜められる程に大きな声で、特に二人の女性陣がキャーキャーと喚き立てた。
高橋と田中も今日遊べそうな女の子を探しにきたクセに、もっと面白いオモチャを見つけたと言わんばかりに電子タバコに手をつけながら追加の酒を注文をし始める。
佐藤さん、今日はじゃんじゃん飲んでいいですよ。あっ、酔っ払って二人で何処かに消えていっても僕らは今日のことは誰にも言いませんので。と、馬鹿げたことを言っていた。
取り繕うにも、言い訳をしようにも、俺の言葉は堰き止められる。
中村さんに何を言ってるんだ、と助けを乞おうと視線を送ると悪戯っぽく笑っていた。
その顔は若かりし高校時代の俺が虜になっていた、記憶の中の中村さんの顔そのものだった。
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