第2話 妻への裏切り

「佐藤さんの奥さんの写真みせてくださいよ! 綺麗な奥さんを拝ませてください!」


 俺の会社では月末になると希望者で飲み会を開いている。

 人材紹介業という毎月の数字に追われる営業達は日々のストレスを酒の力で誤魔化し、今月も終わったと安堵しては、明日からまた地獄が始まることに慄いていた。

 数字が良かった者も悪かった者も等しく気が休まる月末最終日。時代に逆行するかのように飲み会の参加者が多いのは俺の会社良いところなのかもしれない。

 俺の所属する部署のエースである高橋は飲み会の席になる度に調子の良いことを言って見飽きたであろう俺の妻の写真を酒の肴にしようとする。


「何回も見せただろ。恥ずかしいからやめろって」


「どんな顔か忘れちゃいました。お願いします! これが最後!」


「おい、さっき美人って言ってたじゃねぇか」


 私見たことない! 見たい見たい! と女性社員も高橋に同調し見せないことが無粋者のような空気を作られてしまう。

 断っておきながら俺自身も自分の妻を美人だとおだてられて気が大きくなってしまい、悪態をつきながらスマホの写真フォルダから人に見せるようの写真をサッと表示させた。

 めっちゃ可愛い! やってんな! と後輩達から酒のノリでヤジを飛ばされてはニヤついた顔でグラスに口をつけて美味い酒を飲む。

 わざとらしく写真をスライドさせて自慢の愛猫を表示させ、女性社員に黄色い悲鳴を上げさせた。ここまでがお約束。猫の自慢をしたことで高橋から卑怯者と罵られても笑って流し、その場は綺麗に盛り上がった。


「真面目な話ですけど、佐藤さんのところは本当仲良いですよねぇ。夫婦喧嘩とかしないんですか?」


 煙草仲間で慕ってくれている田中が電子タバコを吸いながらしみじみとしている。

 二十代後半で独身の彼からすると結婚が現実的なものになりつつあるのかもしれない。


「喧嘩ねぇ……。本当にないんだよなぁ、面白くない答えで申し訳ないけど」


「無いに越したことないですよ。俺の周りなんか結婚して間もないのに風俗だ、不倫だとか女遊びしてるやつも多いですし、話聞いてるとマジで結婚に夢がないんですよね」


 それは結婚うんぬんではなくそいつの問題では? と喉まで出かかったが会社の後輩の、しかも見ず知らずの人間をどうこう言うつもりにもなれず、電子タバコを吸うことでコメントを控えた。


「佐藤さんは不倫したくなったりしないんですか?」


「ないねぇ。実際リスクあり過ぎて不倫するやつの気がしれないよ。人生捨てるほどの美人なんて会ったことないしな」


「それはそうですねー。でも、俺はまだ色んな女の子と遊びたいって思っちゃうなぁ」


 佐藤さんが一途過ぎるってこともありそうですけどね、と言って注文する田中の表情には順風満帆な家庭生活を羨むような陰りが見てとれる。

 チクリと、心に何かが刺さる。

 喉から肺にかけて煙草の煙ではない何かが存在していた。

 世間的にそれを不倫と呼ばないことはわかっている。

 倫理的にそれが責められる謂れのないことだとは理解している。

 しかし、俺は毎日見知らぬ女性と暮らしていた。

 どうしようもなく素敵な顔で、情熱的に抱く夜もあれば、全く食指が動かずにサッサと寝てしまい明日の妻の顔を楽しみにしてしいる自分がいる。

 誰にも言えない。言うつもりもない。

 鈴木愛という一人の女性を愛していることに変わりはないのだと、自分に言い聞かせているだけで、一度として彼女を大事にしていないのではないかと良心が痛むこともある。


「不倫なんて絶対ダメですよ。お互い不幸になるだけですって」


 向こうの会話に混ざりながら俺と田中の話も器用に聞いていたらしい伊藤が若者代表といった口調で持論を展開してきた。


「不倫のスリルに燃えてるだけで相手のことを好きな訳じゃないんですよ。ヤリたいだけなら既婚者を相手にする必要はないじゃないですか」


 これは私の友達の話なんですけど、と如何に不倫は人の道を外れているかを俺と田中にとうとうと語ってくれる。

 別に不倫を肯定してたわけでもないし、どちからかと言うと結婚は良いものだぞと得意になっていたので伊藤の論調と熱はズレていたが、ラジオでも聞き流すように適当に相槌を打っていた。

 歳を重ねるごとに酒の席で黙るようになってくる。決してつまらないと感じている訳じゃない。後輩が好き勝手喋っているのを笑い飛ばすのも楽しいし、普段話しているところを見ない人同士の組み合わせを眺めるのも面白い。

 ただ、出来上がってくる人が増え、終電を確認するような時間帯になっていくにつれて、ふと癖のように意識に浮かぶ。

 忙しいのに手癖でSNSを確認してしまうように、日付が変わるまでの時間を、寝るまでの時間をカウントダウンしてしまう。

 妻の顔が変わるのは『日が変わること』『目が覚めること』の二つの条件を満たしている必要がある。

 原因も理由もわかっていないのだから、あくまで俺の仮説でしかないが、長年繰り返してきたことなので間違いはないだろう。

 昼寝から覚めても顔が変わることはないし、徹夜明けで会っても顔が変わることはない。

 だから俺は好みの顔でなかった場合はすぐに寝るようになったし、その逆もある。

 これは倫理的にどうなのだろうか。

 言葉として不倫という表現に当てはまらないのはわかっているが、浮気と言われても言い訳はできない。

 恋愛をする上で顔は重要ではない、なんていう言葉も耳にするがこんな状況の俺だからこそ思う。顔は重要だ。

 顔により許せること、許せないことの違いは明確にある。

 大事なのは心だと思う。

 だが、それはこの心の人はこの顔といった心=顔が当たり前だからだ。

 俺のこの不思議な体質、妻への不可思議な現象を体感するからこそ言える。

 同じ心であれば顔は大事ではない、なんてことはない。

 顔はその人に対する感情や態度を変えさせる。顔は重要だ。

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