第6話 流星とドッペル

 ガチャッと鍵を回して、今日も小雪が帰って来た。

 小雪との生活ももう10日になる。

 小雪の帰宅を出迎えるのも日常と化してきて、「おかえりー」と私が声をかける前に「ただいま!」と明るい声が帰ってくるようになった。


「今日はどうだった?」


 と着替えた小雪に問いかけると1日の報告会が始まる。

 その報告も毎日変わり映えがせず、聞き流しても問題がない内容になった。


 小雪が学校へ行き、私はかいつまんだ情報だけで学校へ行った気になる。

 他の人からしたらおかしい、明らかな非日常。

 最早それが、私にとっての当たり前になっていた。


「今日もいつも通りだったんだね。お疲れ様」


 放課後までの報告を終えた小雪に、普段通りの言葉をかける。

 普段ならそのままリビングを出て行ってしまう小雪が、「それと」と再び口を開いた。


「……今日、森田くんと話したよ!」


「嘘っ!?」


 ポーズ画面のゲーム機から鳴る音が、遠ざかった気がした。

 代わりに不格好に跳ねた声が、いつまでも耳に残り続けている。


「いい反応だね」


 小雪は私の気持ちをわかっていて、私が煽る時のようににやにやと笑っている。

 森田くんというのは、私のクラスメイトの男子。

 そして……実は、私が密かに想いを寄せている人でもある。


「何話したの!?」


 日記を読んだ小雪はそのことを知っているから、わざわざ個別で報告してくれるのだろう。

 恥ずかしながら気になってしまって、大きな声で聞いた。


「さっきの授業難しかったね、とか。ノート運ぶの手伝ってくれたの。雪日直だったから」


「うわぁ、いいなぁ……」


 単純な羨望が出て、行っておけばよかったなんて思ってしまう。

 普段通りの学校生活に、今日は色が差したようだ。

 一筋の光のように眩しく宝物のように愛おしい、それでいて胸をざわつかせるような、あの色が。


「雪、わかりやすい!」


 私の顔をじっと見て、小雪はころころと笑った。

 顔に出ていたのだろうか。

 今、私はどんな顔をしているのだろうか。


 小雪は私のドッペルロボットなのに。

 そんな小雪に、嫉妬のような感情を向けてしまっている。


 心の中にもやが出で視界を眩まし、何かを見失ってしまいそうだ。

 いや、もうとっくに見失っているのかもしれない。


 この気持ちの正しさも、落ち着かせる方法も――目の前にいるもう1人の私にかける言葉も、わからないのだから。


「……洗濯ものしてくるね!」


 私の返事はないものと判断したのか、小雪は立ち上がっていつものように言った。

 いつの間にか、抑揚まで私にそっくりになっている。


 **


「ただいまー!」


 大きな小雪の声が聞こえて、慌てて身体を起こす。

 迎えに行こうとすると、滑ってソファから落ちてしまった。

 ドンッと鈍い音が鳴り、音に驚いたのか制服姿の小雪が顔を覗かせた。


「雪……何してるの?」


 怪我してない? と言いながら小雪がリビングへ入ってくる。

 少し痛むだけで、怪我はしていない。


「大丈夫。寝てて……落ちた」


 特にやることがなかったため、ソファで横になっていたのだ。

 ぼんやりと時の流れを感じていて、うとうとしてきたところで小雪が帰って来た。


「もう、しっかりしてよー」


 冷たい床で天井を仰いでいる私の顔を、小雪が覗き込んでくる。

 親切にお腹の上に乗せた手を掴んで起こしてくれた。

 その手には、勘違いでもなく温もりがある。


「ごめんごめん」


 あははーと苦笑した私を見て、小雪も同じように笑う。

 きっと、私も今こんな顔をしているのだろう。


「今日はゲームしてないんだね」


 散々遊びつくしたゲーム機は、電源を切った状態でテレビの横に置かれている。

 大抵私はゲームをしていたから、今日もそうだと思ったのだろうか。


「うん。飽きちゃったんだよねー」


 元々、持っているソフトはそこまで多くない。

 そのうちのいくらかはRPGで、私の性格上、1度終わらせてしまえば飽きてしまう。

 この間小雪としたパズルゲームも、小学生の時友人と集まって遊んだレースゲームも、1人ではいまいち盛り上がらないし。


「漫画は?」


「気になったのは全部読んじゃった」


 漫画アプリでの一気読みも、かなり楽しかった。

 しかし私の好みに合う漫画は一通り読んでしまって、新しく無差別に試し読みをしてみても……ぴんとくるものはなかった。


「うーんつまり、暇になっちゃったんだ?」


「そーゆーこと」


 ようやくソファに座り直した私を見て、小雪はしゅんと眉を下げる。

 小雪がこんな顔をするのは、初めてだ。

 しかしその顔も、母が作ったアルバムのどこかで見たことがある。


「……外に出てみるのはどう?」


「外?」


 思いがけない発言に、おうむのように聞き返してしまった。

 外に出るという発想すら、私にはなかったから。


「そう。ショッピング好きなんでしょ? それかこの間みんなが行ってたクレープ食べに行くとか、平日ランチ限定のパフェ食べに行くとか!」


「あー確かに! あのパフェ食べてみたいかも!」


 私が食いついたのを確認して、小雪は少し目を大きくした。

 それからその目は細められ、ハの字だった眉は弓なりになる。


「よかった」


「何が?」


 私が聞いても、小雪は無言で首を振るだけだった。

 まるで小雪は私のことを全て知っているようなのに――私は、小雪のことを何も知らない。

 今何をよかったと思ったのか、私がそう言いそうだから言ったのか、全然わからない。


 小雪の何気ない動作に痒みを覚えて、彼女のことを、もっと知ろうとしてしまう。

 今も、もう一度何が、と聞こうとして――

 『ロボットなんだから当たり前だよ』と囁いてくる頭の冷たい部分が、私の口を塞いだ。

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