第3話 早起きなドッペル

 リリリリ……とスマホのアラームが知らせた起床時刻は、いつもより早い朝6時。

 すぐに目を覚ました私は音を止め、ぐっと身体を伸ばして起き上がる。

 ベッドから降りて、そーっとクローゼットを開けた。


「……おはよう」


 クローゼットの中に座っているのは、私と瓜二つの少女。

 彼女――小雪はゆっくりと目を開けて、私を見つめた。


「おはよう、もう学校?」


「ううん。学校行く前に説明しとかないとなって」


 普通に学校に行って授業を受けて帰って来るくらい、小雪にとっては簡単だろう。

 しかし学校という場所は、そう単純ではない。


「友達とどう話せばいいかとか、わからないでしょ?」


 そう、友人の存在があるからだ。

 いくら私の仕草や性格を理解してきた小雪でも、誰とどう絡むか、何を話すかで偽物だとバレてしまう可能性がある。


「確かにわからない。教えて」


 クローゼットから身体を出しながら言う小雪に、私は丁寧に、思いつくだけの説明をした。


 家を出るのは7時40分くらい。

 途中の交差点で親友と合流し、一緒に登校。

 学校に着くのが8時過ぎ。

 朝休みはいつもの4人で雑談。他の休み時間もそんな感じ――。


「――まあ、大体こんな感じで、私っぽく話合わせて」


 なるべく細かく私の学校生活を話していると――段々、苦しくなってきてしまった。

 友人と話すのは楽しい。しかしこうも規則的に、義務のように絡んでいるとは、自分でも気がついていなかった。

 やっぱりつまらない生活をしているな、と改めて実感してしまったのだ。


「わかった」


 私の胸を刺した棘は、小雪には傷をつけていないらしい。

 短く返事をした小雪が立ち上がる。


「高校って、制服着ていくんでしょ? 貸してほしい」


「う、うん、勿論」


 自然な流れで登校準備を始める小雪をサポートする形で、制服に着替えさせ通学鞄の中を確認する。

 本当に、小雪は1人で学校に行けるだろうか。

 ちゃんと怪しまれず、私の真似ができるだろうか。


 そんな不安が私の心臓を圧迫するが、小雪はやっぱり平常で。

 何事もなく準備は完了してしまった。

 小雪がどこからどう見ても普通の高校生:雪になった時、丁度7時に設定したアラームが鳴る。


「あ、いつも7時に起きて朝ごはんを食べるの。それでパパとママを見送ってから学校に行くんだけど……」


 危ない。このまま小雪を外に出してしまうところだった。

 両親は7時半までには外へ出るが、逆に言うとそれまでは家にいる。

 今小雪を部屋から出せば、気づかれてしまうところだった。


「じゃあ、私は朝ごはん食べてくるから、ここにいてくれる? パパとママが仕事行ったら、また呼びにくるから」


「わかった。いってらっしゃい」


 スマホを手に取って、小雪に手を振ってからリビングへ行く。

 テーブルには3人分の朝食が並んでいて、両親は一足先に食べ始めていた。


「おはよう雪。今日はすぐ起きれたのね」


「おはよ! まあねー」


 元気よく挨拶をして、トーストにブルーベリーのジャムをたっぷり塗る。

 父からの「塗りすぎじゃないか」という茶化しに、「高校生にはエネルギーがいるんですー!」と返して、ふと我に返った。

 そういえば私、今日は高校生しないんだっけ、と。


 家でゆっくりするなら、朝食のカロリーを消費しきれず太ってしまうかもしれない。

 密かに反省して、クリームチーズを合わせるのはやめておいた。


「ごめんね、ママ今日早く出ないといけないの。ご馳走様」


 私は食べ始めたばかりだと言うのに、母は空になった皿を持ってそう言った。

 普段は30分頃に出て行くが、今日はもう行くようだ。


「いいよ。いってらっしゃい。お仕事頑張ってね」


 慌ただしく洗面所に駆けていく母の背中に、大きな声をかける。

 となると父は15分頃に出るだろうから、予定より早く小雪を部屋から解放してあげられる。


 初めての登校だ。小雪も大きな声で、送り出してあげなくては。

 そう内心で決意しながら、半分以上残っているトーストを齧った。


 **


 朝食を綺麗に平らげ、仕事へ行く父を見送ってから、すぐに自室に戻ってきた。

 外からでは物音の1つも聞こえなかったが、ドアを開けるとちゃんと小雪の姿がある。


「ただいまー、大丈夫だった?」


「うん」


 何かを熱心に読んでいた小雪が、顔を上げてこちらを見る。

 椅子に座った小雪が持っているのは、淡藤色の表紙の本のように分厚いノート。

 金色の文字で『diary』と書かれていて――。


「こ、小雪! 何見てるのっ!?」


 答えのわかりきった疑問を叫びながら、大急ぎで取り上げる。

 これは――私の日記帳だ。


 小学校……中学年くらいだったか。

 ずっと前から毎日書き続けている、大切な日記帳。


「ごめん、読んじゃ駄目だった?」


「だって、恥ずかしいもん……!」


 私の思い出や気持ちがいっぱい詰まった、“私の神髄”と言えるようなモノ。

 それを見られたと思うと顔に熱が上って、羞恥心が全身から吹き出した。


「何で見たのー!」


「雪のこともっと知りたくて。数学が得意で、歴史は苦手なんだね」


 どこまで読んだのかはわからないが、読んだ内容はすっかり覚えてしまったようだ。

 一番仲の良い友達は里香りか。体育の選択種目はバドミントン……。

 と、すらすらと私の情報を羅列させている。


「――それで、好きな人が――」


「あーあーあー! 言わないで! 駄目!」


「何で」


 必死で誤魔化そうと、ぶんぶんと日記を振り回してしまった。

 小雪は不思議そうだが、好きな人を勝手に知るのはよくないと思う。


「ほら、もう学校行く時間だよ! ちゃんと私のフリしてね?」


 腕を引いて小雪を立たせ、半強制的に玄関へと連れていく。


「任せて。完璧に雪のフリをしてみせるよ」


「“小雪”って言われないと返事しないとかなしだからねー?」


 ローファーを履いた小雪に、念を押すように言っておく。

 大丈夫だと信じているが、心配なものは心配なのだ。


「寄り道せず、まっすぐ帰ってきてね。じゃ、いってらっしゃい!」


「うん、行ってきます」


 ガチャリとドアを開けた小雪を、ひらひらと手を振って見送る。

 ちゃんと私の身代わりとして、いつも通りの日常を演じてくれるだろうか。

 小雪の背中を見てそんなことを考えていると――ふわりとスカートを翻して、彼女がこちらを振り返った。


「私のこと喜んでくれたみたいで、よかった」


 にこっと微笑んで言った小雪は、今度こそ学校へ向かった。

 ぱっと頭に浮かんだのは、昨日日記に書いたこと。

 持ったままだった日記帳をパラパラと捲る。


 小雪が家事をやってくれて助かったことや、色々教える時間が案外楽しかったこと。

 どんどん私に似ていく小雪の成長を見るのが、面白いこと。

 それらを綴った文字が、普段より弾んでいるように見えた。


「……最後まで読んだか……」


 カラン、カランとドアに取り付けられたベルが音を立てている。

 羞恥心は、不思議と顔を見せなかった。

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