第二十五話「黒鴉姫《レイヴンリリー》」
「はぁ……はぁ……」
演習所を短髪の女は駆け逃げる。
計画はそれなりに達成している。
戦力を一人失ったから代わりのつもりで、
ならせめてここから逃げ出し、最低限の成果を上げなければ。
脱出の算段はついている。
ある場所で信号を送れば仲間の魔法が発動して逃げられるというわけだ。
つまりそこまで辿り着けば問題はない。
その場所ももう目と鼻の先。
「ここを抜ければ――――ッッ!?」
突如地面に倒れ込む。
立ち上がろうとするも、身体が重くて起き上がらない。
上から押さえつけられるというよりは、身体が地面に引き寄せられるような。
「これは――――」
「帰るならちゃんと落とし前をつけなきゃダメじゃない」
妖美な声
顔だけをなんとか上げて確認する。
当たり前のように宙に浮く細身の女。
艶やかな長い黒髪は揺れ、闇に紛れる暗いワンピースのような軍服がひらりと舞う。
キメの細かい柔肌と身なりから戦いとは無縁のように思えるが、その正体を知っていればそんな考えも浮かばない。
「この威圧感、その軍服。噂は……本当だったのですね。国家最高戦力“
「あら? ワタシが来ていることは知っているのね。それなのに仕掛けるなんて、情報収集が得意なバカなのかしら?」
「どうして貴女がここにいるのですか?」
「あー演習所に展開されてた虚弱な結界魔法の事かしら? あんなもの破壊するのは簡単だったわ。他にもアナタの仲間がいないか探すことに比べてね。ホント、この学園の演習所は広すぎるわね」
やれやれと肩を揉むウルカ。
やたら挑発的な物言いに敵の女は腹が立つ。
「その割には貴女が出張ってきたのは今なのですね」
「結界を破壊、内通者と思われる教員を捕縛、他の敵の有無を確認。他にも内通者がいるかもしれない教員連中は使い物にならない。これだけの事をパートナーとの二人でやるのは少し手間だったわ」
「それなら最初から私を捕まえればよろしかったのでは?」
「いくらワタシでも敵の逃避手段が分からなかったからね。あの場にワタシがいるとアナタ速攻で逃げるでしょう? その場ですぐに逃げる手段がある場合、アナタを取り逃がすことになる。走って戦線を離脱している所を確認して、何かの条件を満たさないとアナタは逃げられないと確信したから捕縛に踏み出したわけよ」
「ですが、あのままではアナタの大切な
内臓が潰れてしまう程、身体が地面に引き寄せられる。
こみ上げてきた血を吐いて地面を赤く染める。
「口を慎みなさい三下。あの程度の相手にワタシの妹が負けるはずないでしょう」
「ぐふっ……随分と……溺愛してますね。噂では……疎遠関係と聞いてましたが?」
「失礼な噂ね。ワタシはあの子を溺愛しているわ。手が掛かる出来損ないほど可愛く見えるものよ。さて、このままだとアナタを殺してしまうし、そろそろ連れて行くわ。連れ去った生徒達の居場所も吐かせないといけないし」
「話すと……お思いですか?」
「話す必要はないわ。記憶を覗く魔法でも授吻した相手の魔力痕跡を辿る特性でも、手段はいくらでもあるもの」
身体の負荷が強くなる。
肉と骨、内臓が潰されてミンチになりそうだ。
息を吸おうとするも肺が押しつぶされて、空気を取り込めるスペースがない。
意識が遠くなっていく。
「捕獲完了……。あらミルフィ、遅かったわね」
草木を掻き分けて現れた肩口までの水色の髪の女性。
メイド服を着て、身体の所々に汎用魔法の魔法陣が浮かんでいる。
「ウルカ様、周囲に敵の存在は確認出来ませんでした。おそらく二人での潜入かと」
「あらそう。彼女を運ぶのを手伝ってちょうだい。あと、向こうで丸焦げの瀕死状態の彼女も回収するわ」
「承知致しました。ウルカ様はどうなされますか? 妹君……アリシア様に会われますか?」
「それも良いわね。けどやめとくわ。あの子も疲れてるだろうし、後始末をしなきゃいけないから。ところであの茶髪の子……サラって言ったかしら。彼女、何者?」
「シングル生徒でアリシア様がエネミット王国で捕まっていた彼女を助けたそうです。アリシア様のペタル試験では規格外の魔力回復速度から、それがサラ様の特性と言われています」
「魔力の回復速度ねぇ……。敵のシースはワタシから見ても結構な使い手よ。そんな彼女に、実戦経験も少なく、シングル生徒で、魔力回復速度が特性のあの子が魔力の上書きを成功させた……同じシースのアナタはこの事実をどう見る?」
「魔力を練る技術に凄まじい才能がある。あるいは…………。調べますか?」
「大丈夫よ。いずれ分かることだし、アタシ達が動くこと事態が大きくなりかねないから。さ、敵を回収して撤退するわよ」
「承知致しました」
捕獲した敵を抱えて、二人は演習所から去っていった――――。
□◆□◆□◆□◆□◆□
交流訓練から数日後。
「ハァ〜……」
あたしは学園の屋上でフェンスに項垂れる。
夕暮れの日差しが眩しく目から全身に溶けて一段落ついた時の疲労感を増幅させる。
連れ去られた生徒達の救出、犯罪組織の壊滅は
犯行の理由や相手の素性なんかは一切教えてくれなかったけど、正直巻き込まれたくないから別に構わない。
かく言うあたし達は先生からの謝罪と事情聴取と労いの言葉とでそれはもう疲れた。
結局、アリシアとクレアさんの対決もうやむやになっちゃったし。アリシアに謝るタイミングも見失っちゃったし……まぁ、アリシアは完全に忘れてるみたいだったけど。
「そんなところで何してんのよ」
ため息ばかりのあたしを、おそらくさっき先生達から解放されたであろうクレアさんが声をかけてきた。
「体の調子は大丈夫ですか?」
「学園の治癒魔法は一級品よ。死んでもいない限りこの通り大丈夫よ」
シュッシュッと空を蹴る振舞いを見るに本当に大丈夫そうだ。
「ま、何はともあれ、とりあえずご苦労様」
「いえ、結局あたしは何も出来なかったわけですし……」
当初の目的だったアリシアとの対決も解決せず、敵との戦いではあたしの経験不足から足を引っ張る形になった。
あたしじゃなくて他の人だったら、クレアさんもあれほど苦戦せずに済んだかもしれない。
「マイナスな部分ばかり見たら負け癖がつくわよ。アンタは良くやった。その場で出来る事を見極め遂行するのは簡単な事じゃないわ。今はその成功体験を反芻しなさい。それに――――」
クレアさんはぐっとあたしに近づき、あたしの手を引いて抱きかかえる。
「アンタはアタシを救ってくれた。それだけじゃない。アリシアとの関係性も整理出来た。友達にもなってくれた。心のモヤが全部晴れた気分。全部アンタが成したことよ。ホントに感謝してるわ」
クレアさんの顔が視界を埋め尽くして心臓が跳ね上がる。
ちょ、顔近肌細か睫毛長良い匂いする瞳綺麗!!
「それはどうも……じゃなくてっ、なんでこの距離感なんですか!?」
「あら? 嫌だった?」
「いやじゃ……ないですけど……」
「ならいいじゃない。アタシ達、
「大丈夫ですよねそれ!? それを理由にお金とか要求してこないですよね!?」
「失礼ね。お金
「“は”って言いました!?」
緋色の髪が夕日に照らされて燃えるように輝いてるせいで色白の頬がほのかに赤く見えた。
その表情にドキドキしていると、クレアさんは笑みを浮かべてあたしを解放する。
「……ま、冗談はさておき、アタシが言いたいのはありがとうってことよ。そうだ、アンタ風紀委員に来ない? 当番制だから環境委員と掛け持ちでもいいし」
そんな二足の草鞋はさすがに倒れる。
「遠慮しときます……」
「そ。残念。また機会があったら組みましょう」
「あ、はい。その時はよろしくお願いします、クレアさん」
「……その、アタシの事はアリシアみたいに呼び捨てで良いしタメ口で構わないわ。じゃないとアンタにとってアリシアとアタシで関係に差があるみたいじゃない」
「あ、えっと、じゃあ……クレア、また!」
「――――ええ、また」
そう言って、クレアは先に帰って行った。
その足取りが、緊張から解放された軽いものだったような気がした――――。
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