理想論

@nothinginthestory

理想論

 「はぁ...今日も0時回っちまったか」

夜空に浮かぶ星々が視界に入るほど見上げている俺、淵上智(ふちがみさとる)は意図せず嘆息をついていた。

「俺の人生何なんだろうなァ」

なんて思考が逡巡する。理想像なんて持たなかった。昔から。だって、無駄だから。悉く理想は散っていったから。その末路がこのザマだ。35にもなって生きる意味も見いだせない。無能感に襲われる日々。変えたくても、無理だった。

「帰るかァ、家に」

と歩を進めようとした刹那、視界が狭窄し意識が遠のいた。


「ん....」

聞き慣れないアラームで目を覚ます。いつも通りスマホに目をやる。

「6時32分?!」

大遅刻だった。寝起き特有の気怠さが吹き飛ぶ。ベットから上体を投げ出したあたりで違和感を覚えた。

「...どこだ、ここ」

見慣れない机、制服。というかすべてが異質だった。体を完全に起こし、部屋をしっかり見渡す。やはり、おかしい。まるで男子高校生の部屋のようだった。ベットから出て部屋を詮索する。その時に

「これ、俺の体じゃないな」

と素直な感想が虚を突いた。とても35歳の体ではない。

数分かけて部屋を探した結果、今日が10月3日であること、この体の人物が村上想太(むらかみそうた)であること、市内の高校に通学していること、そして俺が昔に諦めた音楽に興味があることが判明した。

「...昔の理想の俺そのままだなこいつ」

俺は高校に通っていなかった。家庭環境が他より劣悪で、俺が働きに出るしかなかったためだ。あの頃の憧れであった音楽もこいつはできている。正直、羨ましかった。

「とりあえず、今俺はこいつになっているんだな」

妙に納得している自分がいた。全てが裏目に出ていた淵上としての人生。それをやり直せるかもしれない、希望。そして「音楽」という諦めてしまった夢を追えること。それが俺を動かした。

「頑張れるだけ頑張るか」

そんなような独り言を吐き捨て、部屋を後にした。


時は流れ、数日後の放課後、俺は音楽部の部室にいた。壁にはたくさんのポスターが所狭しと飾られている。でもこの学校の音楽部は言ってしまえば栄えていない。部員は俺と、

「お疲れ様っー!今日も頑張ろ!」

この元気な声の持ち主である、一ノ瀬彼方(いちのせかなた)だけであった。彼女はこの部活の部長で、作曲担当。俺が副部長で、作詞担当らしい。

「ささ!早くミーティングしよ!」

「なんの??」

「あれ、言ってなかったっけ?今度の学園祭、私達ステージ発表でオリジナル楽曲を披露するんだけど、せっかくやるなら新曲作りたいなーって!!良いでしょ?」

「オリジナル楽曲、かぁ」

心底めんどくさそうに

「わざわざ新曲作るのか?」

「なぁんで渋るかなぁ、楽しめそうじゃん!」

と一ノ瀬が不服そうに言う。

「みんなの前で発表できるんだよ?」

「だからこそだよ、」

俺は力なく返した。俺の含みのある発言に、彼女は尋ねる。

「...歌詞、書きにくいの?」

やさしい口調で、気遣うように。こいつは俺の自信の無い理由をある程度汲み取ったのだろう。そう思わせるような口ぶりだった。

「...まあ、私は想太が思うことは分からないしさ。君に言えるようなことはないかもだけど。」

言葉に詰まりながらも俺の目を見て、彼女は続ける。

「一回書いてみたら良いんじゃない?想太が思っているより書けるかもよ!」

やさしい口調から段々と、励ますような口調に変わる。

「一回目から完璧にしなくても良いんだよ!どんどん理想に近づける、それも作詞の面白い所、でしょっ?!」

「曲の旋律は私が想太の歌詞に合わせるからさ、とりあえずやってみて、もしどーーーしてもだめなら一緒に考えよ!」

そう一ノ瀬が背中を押してくれる。屈託のない彼女の笑顔はそれだけで俺の力になる気がした。

「あぁ、ありがと。やってみる」

「うん!じゃ曲の雰囲気をどうしたいか案出してこ〜!」

「雰囲気?」

「そそ、ある程度曲の雰囲気というか、曲に込める思い。ある種のメッセージかなぁ〜?決めたほうが想太、書きやすいでしょ?」

「そうだな」

この調子で数時間、新曲について話し合った。話し合いを通して、一ノ瀬は本当に真っすぐで、輝かしい人なんだなと、そう思えた。少し言語化が難しいが、俺と違ってなりたい理想の自分を追えている気がする。それを示すように話し合いの中で一ノ瀬は『理想』と幾度となく口に出していた。

「じゃ、今日はおしまーい。早く帰ろっ!」

勢いよく立ち上がる一ノ瀬。呼応するように俺も立ち上がる。

「彼方、また明日。」

「想太もね!帰り道気をつけるんだよー?」


帰宅後、俺は葛藤していた。やっぱり歌詞が思い浮かんでこない。曲に入れたい、何気ないフレーズすら。

「嗚呼...っ」

と声にならない声が零れる。

「やっぱり、俺は俺なんだなァ。」

あの時と同じような、無能感が体を走る。一ノ瀬と話していて自分が無駄にできると錯覚していたのかもしれない。眼前に映し出された白紙が俺の人生を現しているようでならなかった。時計がリセットされ、新たな一日が始まる。いっそのこと昨日に取り残されてしまいたい。そんな思慮を重ねながら俺は瞼を閉じた。


「やっぱり、俺には書けないよ」

部室に入るなりそう漏らした俺を一ノ瀬は驚いて見て

「大丈夫?顔色悪いよ?」

となにかの資料を落とし駆け寄ってきた。俺の持っている紙を見て

「一晩考え抜いたんだ、偉いじゃん!」

と無垢に言う。

「でも...これしか書けなかった。一晩、考えて考えて考えた!これが俺の限界なんだよ...!」

言葉にするうちに更に自分が惨めに思えてくる。でも、これが現実なのだ。故に言い訳ができず、辛さが俺の心を襲う。より深く、鮮烈に。錆びついたナイフで胸を何度も抉られているようだった。一ノ瀬は黙って俺を見つめていた。

「俺、本当に無能だよな、」

更に弱音を吐こうとして、それは遮られた。

「...凄く考えたんだね。消しゴムの跡で分かる。『理想』ってすごく良い言葉だよね。君がこんなに力強く書くくらい大事で、伝えたいメッセージなの、分かる。」

「お前に何が分かんだよ!!」

無自覚にそう突っぱねていた。罪悪感と辛さが混ざり、名状しがたい気持ちになっている。そんな俺の隣に一ノ瀬は座り

「分かるよ」

と。

一言だけだった。だけどその一言は他のどんな言葉より重く、強く、なのに優しかった。

「...私さ、中学も音楽部だったの。その時、作詞も作曲もどっちもやってたのね。あの時の私はどうにもネガティブで、歌詞も綺麗に書けなくて。すっごく苦しかった」

意外だった。こいつは音楽において苦しんだことなんてないと、決めつけていた自分がいた。

「で、私も君も悩みの原因って思考回路?っていうのかな、そこがマイナス寄りで。言っちゃえば性格が似てるなって思うの。」

その通りだ。性格がもとより明るくなかった俺は、マイナス思考なのはすべて性格のせいだと諦めていた。一ノ瀬は更に言葉を紡ぐ。

「性格をいきなり変えるのは難しい、それは君も痛いほど分かると思う。でもね、1つアドバイスするなら」

「目標を持つこと。それこそ『理想』を持つこと。すっごく大事だよ!現に私も理想を持ってから行動や口癖が変わって、性格も少しだけど、明るくなったと思うの」

はにかんだような笑みを見せて一ノ瀬は

「想太も理想が大事って思うなら、もっと理想を持って、それを目指してみよ!したら上手く行くから!ね!」

心を覆っていた痛みが彼方まで澄んでいく感覚とともに、視界が揺らぐ。気づけば俺は泣いていた。涙が頬を伝う感触が鮮明に伝わるほどの大粒の涙が溢れていた。口からは嗚咽が溢れ、まるで子どものように泣いていた。

「あ〜〜ほら泣かない!大丈夫だから!」

と一ノ瀬は背中をさする。暖かい手のひらは俺の心を照らしてくれた。

「ごめん...っ...本当にごめん!」

「謝らなくていいよ。ほら!深呼吸深呼吸!」

促されるままに深く息を吸う。冷たくも暖かい空気。矛盾しているようで、していない。それが体を駆け巡る。

「この経験は必ずあなたを強くするから、一緒に頑張ろ!」

「...あぁ!」

自然と前を向けるような、そんな気がした。


「それで、彼方の持ってた紙、あれ何?」

落ち着きを取り戻した俺は疑問を口にする。

「あぁ、これ?これはね...」

彼方はその紙を俺に見せる。

「じゃーーん!!私の考えてきた歌詞リスト!」

自信ありげに見せてきた紙にはただ一言、『理想』とでかでかと書いてあった。

「実は私もこれが良いって思ってたんだ!良い言葉だよね〜」

鈴を転がしたように笑う彼方。

「...俺の悩んだ時間は何だったんだ」

「まぁ進展はあったんだし、学園祭まであと一ヶ月あるんだから」

ニヤニヤと笑いながら机に紙とシャーペン2本を置く彼方。

「じゃっ、タイトルとか考えよ!」

「おう」


「これで...よしっと!できた!!」

パソコンに向かい合っていた彼方が大きく伸びをし、俺の方へ振り返る。

「おつかれさま、どんな感じ?」

「想太もせっかちだねぇ。ほら、再生するよっ!」

そんな会話を交わした後、俺と彼方の想いの結晶である音楽を聴いた。

「うんっ!!良い感じ!」

「だな」

聞き終わった後、まるで秋晴れの太陽の下にいるような爽快感を覚えていた。少し感傷に浸っていた俺に

「ほーらー!何ぼーっとしてるの!これみんなの前で披露するんだからね!練習するよ!」

と彼方が発破をかける。学園祭まであと7日、それまでに納得がいくレベルまで練習したいのだろう、俺も同じ気持ちだった。

「ああ、納得がいくまでやろう!」

「うんっ!」

思えばこの一カ月で、俺は少しだが変わったと思う。前までとは違い、目標を持ってそれに努力できるようになった。どん底にいた俺を救ってくれた彼女には凄く感謝している。

日曜日の昼下がり、俺達は二人きりの部室で我武者羅に練習する。来週の今日を待ち侘びながら。

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