5 芽生えた疑念

「ええ。幼稚園に入ってから、オレは他と違うんだって気づきました。魔法が使えるのはおかしなことで、変人なんだって。それ以来、オレは魔法が使えることを隠すようになりました。そうでなければ、普通の人になれないから」

 彼の気持ちは分からないでもなかった。

「暁月大学の附属高校に入った時、やっと普通になれると思ったんです。クラスメイトはみんな魔法使いだから、もう変だと言われることはない。でも純血を引いていたおかげで、また別の目で見られるようになっちゃって。オレ、どこへ行っても普通の人になれなかったんですよね」

 根岸は自分自身をかえりみた。確固たる個性を持った人間になりたいが、どうしても素顔を隠しきれないでいる。表面を取りつくろうことには慣れても、心までは変えられない。

 そうして葛藤する様子は、菱田からしたら、まさしく普通の人だったのではないだろうか。だからこそ憧れるのではないかと根岸は解釈した。

「だからオレ、根岸さんのこと、いいなって思うんです」

 少し戸惑いながらも、呆れ半分に笑みを返した。

「話が飛躍してないか?」

「え、そうでした? あはは。オレ、自分の話するの下手くそなんですよ」

 明るく笑い飛ばす菱田に、根岸もくすりと笑ってしまう。菱田の笑顔の裏にあった事情をいくつか理解したことで、親近感を覚えるようになっていた。

 同時に思ったことを根岸は口にする。

「魔法捜査一課が新設された本当の理由が分かったよ。魔法使いの存在が一般的になることは、お前の願いでもあったわけだ」

 菱田の笑顔が少しだけ嬉しそうなものへと変化した。いつも見せている笑みと違い、どことなくあどけなさが感じられる。

「さすが、根岸さんの推理は鋭いですね」

「菱田もなかなか頭が回るじゃないか」

 お互いに目を合わせてにやりと笑う。先ほどまでと違い、二人の間にあった空気は打ち解け始めていた。


 店を出て駅へ向かっている途中、菱田が何気なく口を開いた。

「そういえば、善くんが会いたがってましたよ」

 とっさに誰のことか分からなかったが、狛犬騒動の際に出会った青年だと思い出す。根岸はすぐさま疑問に思った。

「何故、俺に?」

「それは分かりません。彼、本家本元のまぎれもない純血でありながら、行動や発言が自由すぎるんですよ」

 言葉の端々に苦い思いが透けて見えた。

「根岸さんのことだから分かってると思いますけど、オレ、暁月家とは親戚なんです。だから善くんともよく知った仲なんですが、彼が大学生になってからは、ますます好き勝手に行動するようになっちゃって……」

「それでいいのか?」

 菱田は苦笑まじりに返した。

「全然よくないですよ。大学を卒業したら、もう好き勝手な行動はできないでしょうね。逆に言えば、それを彼自身、よく分かっているのかもしれませんが」

「そうか……会長の孫だもんな」

 日本の魔法使いを統率する組織のトップである。髪をミルクティーブラウンに染めた青年の顔を脳裏に浮かべ、根岸はあらためて疑問を口にした。

「何で彼が俺に会いたがるんだろうな」

「考えられるとしたら、幻獣特効型だから、じゃないですかね」

 思わず根岸は菱田をじっと見つめてしまった。菱田がちらりと視線を向けて笑う。

「野上さんから聞いたんですよ」

 そう言われたら納得するしかなかった。あの日は初日だったこともあり、事の次第をもらさず報告していたのだ。野上から菱田に情報が伝わっていても不自然なことはなかった。

「善くんは小さい頃から幻獣が好きなんです。だから、その脅威となりうる根岸さんのこと、知っておきたいのかもしれませんね」

 つい先日、根岸は葉沢に似たようなことを言った。――敵について何も知らないままでは戦えない。

 暁月善も同じように考えているとすれば、会いたがる理由にはなりうる。幻獣特効型がめずらしいタイプかどうかまでは知らないが、敵になる可能性があると認識されているならば、なおのこと親交は深めておいた方がいいだろう。

 根岸は今さらになって暁月善への興味を持った。

「分かった。時間があれば、暁月大学に行ってみよう」

「ええ、そうしてあげてください」

 菱田がそう返した時には、もう目の前に吉祥寺駅が見えていた。

 その場に立ち止まって根岸はたずねる。

「一つだけ聞いてもいいか?」

 一歩先で止まって菱田が振り返った。

「何ですか?」

「さっき、彼は幻獣が好きだと言ったな。それなら、人間は嫌いなのか?」

 菱田が目を丸くして、きょとんとした顔を見せる。しかしほんの数秒で根岸の考えを察したらしく、いつもの笑顔で否定した。

「違いますよ」

「それならいいが」

 根岸はほっとしたものの、腑に落ちたわけではなかった。菱田も口を閉じて視線を下げてしまう。

 一度芽生えた疑念は二人の心にそっと根を張った。

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