第5話 子犬盗難事件

1 暁月大学

 翌朝、挨拶もそこそこに温井が根岸へ詰め寄った。

「昨日、美藤さんに会いに行ったそうだな?」

 一瞬びくっとしたが、根岸は冷静に返した。

「俺は紅茶を飲みに行っただけです」

「本当か? 実は根岸も彼女を――」

 温井が声を大きくし、根岸も負けじと大声で返す。

「恋愛に興味はないと言ったはずですが? それに俺は、美人よりも可愛い系が好みです」

 温井が先日のことを思い出し、途端にばつの悪い顔をして謝る。

「そうか。疑ってごめんな」

 苦い顔をする温井へ根岸は黙って首を横へ振った。しかし、まだ菱田が来ていないのをいいことに、告げ口することを思いついた。

「ちなみに菱田は俺より先に来てましたよ。ウミガメのスープが目的だと言っていましたが、昨夜は彼女と二人で盛り上がっていたような……」

 ふいに扉の開く音がして目をやると、ちょうど菱田が入ってきた。

「おはようござ――」

「菱田! お前のこと、信じてたのに!」

 挨拶を終える間もなく、温井はものすごい勢いで彼へ突っかかる。

 菱田は戸惑いから苦笑いをし、まばたきを繰り返す。

「えっと、何の話でしょうか?」

「とぼけるなよ、菱田! 昨日、美藤さんに会いに行っただろう⁉」

「え?」

 様子を見ていた根岸はくすりと笑い、無視して自分の席へ着いた。根岸は嘘を言っていない。恋に盲目な温井が勝手に勘違いしただけだ。

 出勤してきた葉沢は二人が騒いでいるのを見てびっくりした。温井の剣幕に圧倒されながら、そそくさと根岸のそばまで逃げてくる。

「朝からいったい何ですか?」

「温井さんが菱田に抜けがけされたと思い込んで怒ってるんだ」

「抜けがけ?」

 事情を知らない葉沢は首をかしげながらも、そろそろと自分のデスクへ移っていく。

 菱田が何度も必死に否定し、説明を繰り返す様子を見て、温井は少しずつ自分の勘違いに気づき始めたようだ。騒ぎ立てていた声が次第に小さくなり、温井の表情が普段の穏やかさを取り戻していく。

 やっとのことで誤解が解けると、菱田は安堵の表情を浮かべながら根岸へ言った。

「勘弁してくださいよ、根岸さん」

 笑いながらも眉尻が下がっている菱田に、根岸はにやにやと笑みを返す。

「昨日の仕返しだ」

「オレ、何かしましたっけ?」

 とぼけた様子で菱田が席へ着くと、彼のスマートフォンが鳴り出した。

 すぐにポケットから取り出して通話へ出た菱田に、根岸たちはなんとなく注目する。

「おはようございます、教授。あれから何か……ええ、はい」

 連絡してきたのは丸山教授だった。

「それ、本当ですか?」

 菱田が目を丸くし、温井は真剣な顔になって近寄る。

「はい、はい……分かりました。当時は事件化しなかったんですね。ええ、でも協会に当時の報告書があると」

 何か分かった様子だ。捜査が進展する気配を察し、根岸は葉沢に目配せをする。葉沢は少し緊張した顔で小さくうなずいた。

「はい、すぐにおうかがいいたします。はい、はい……分かりました。それではまた後ほど。失礼します」

 菱田が通話を切る直前に野上が出勤してきた。一瞬にして様子を察した彼は、無言でデスクへと足を進めた。

 スマートフォンを机へ置きながら菱田が言う。

「丸山教授から連絡がありました。四年前に幻獣保護研究センターで、送り犬の子犬が何者かに盗まれたそうです」

 椅子を引いた野上が目つきを鋭くさせる。

「そんな話、聞いたことがないぞ」

「盗まれたのは四匹だったようですが、発覚した数時間後に近くで三匹が見つかったんです。そのために事件化はせず、協会の方でしばらく捜査していたらしいです」

「なるほど。それで?」

 野上は腰を下ろしたが、まだ表情はゆるめなかった。ぴりぴりと緊張した空気が室内を満たす。

「残りの一匹はまだ見つかっていないようです。これから魔法協会へ行って、当時の報告書を確認してきます」

 すかさず野上は確かめた。

「先に聞いておくが、盗まれた送り犬が今回の幻獣なんだな?」

「はい。俄然、その可能性が高いと思います」

 菱田のはっきりとした答えに野上はうなずいた。

「分かった。当時のことについてきっちり聞き出してこい。資料や証拠なんかもあれば必ず確認するように。もし人手が足りなければ、根岸と葉沢も使ってくれ」

 菱田は根岸たちを見て考え込んだ。

「そうですね……少し気になることがあります。当時のことをあらためて調べる必要もあるでしょうし、一緒に行ってもらえますか?」

「ああ、もちろんだ」

 盗まれた送り犬が幻獣連続殺人事件に関与しているとしたら、捜査しないわけにはいかない。根岸はすぐに席を立った。


 暁月大学の敷地内で二手に分かれた。菱田と温井は丸山教授の元へ、根岸と葉沢は魔法協会へ。

 先日も訪れた事務センターの三階で代表理事との面会を求めた。内線でそれが伝えられ、四階の奥にある執務室へと案内された。

 職員が扉を開け、根岸たちはうながされるまま中へと入る。

 代表理事の男は部屋の中央に置かれたソファへ座っていた。ちらりと目をやり、にこやかに「どうぞ」と二人へ座るようにうながす。

 根岸は彼の向かいのソファへ「失礼します」と腰を下ろし、葉沢も緊張した面持ちでならった。

「それで何のご用件でしょうか?」

 相手がさっそく本題に入ろうとするが、根岸は冷静に返す。

「警視庁よりまいりました、魔法捜査第一課の根岸と申します。こちらは葉沢です」

 代表理事は何かを見極めようとするように、一瞬両目を細めた。

「日本幻気術協会の代表理事をしております、袖森そでもりです」

 還暦近いと思われる中肉中背の男だった。髪の毛は半分ほどが白髪で、遠目からだとグレーに見える。

「袖森さん。四年前、こちらで送り犬の子犬が盗まれる事件があったそうですね」

 根岸がそうたずねた直後、若い女性職員が茶を運んできた。そっと三人の前へ置き、彼女が出ていったのを確認してから袖森は口を開く。

「ええ、そんなこともありましたね」

「当時の報告書はまだ残っているでしょうか? また、どういった状況で事件が起きたのか、詳しくお聞かせ願えますか?」

 かすかに湯気を立てる湯呑みに手を伸ばし、袖森は一口すすった。ゆっくりと飲み込んでから、とぼけたように首をかしげる。

「あれはもう解決しましたよ。どうして今さら知りたがるんですか? しかも警察であるあなた方が」

 菱田の聞いた情報とは食い違っている。根岸は袖森の目にやましい光を見た。

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