2 変な大人
信号機の手前まで来たところで篠原雄介は足を止めた。道の真ん中に暁月善が立っていた。
「善! 助けに来てくれたのか!?」
篠原が期待した直後、暁月はくすりと笑った。
「そんなわけないじゃん」
「え?」
「俺は見届けに来たんだ。君たちの終わりを、ね」
にこりと浮かべた微笑みは薄気味悪く、篠原は思わず後ろに一歩引いてしまう。
周辺の店はすでに閉まり、人もいなければ車通りもない。遠くに見えるネオン街を背景に、根岸栄は戸惑う篠原の隣へ立った。
「裏切るつもりか?」
「最初から俺は君たちの味方じゃないよ」
「ふざけんな」
「さあ、ふざけてるのはどっちだろーね?」
言いながら暁月は両手を前へ突き出した。
「閉じ込めちゃえ」
二人がはっとした時には、もうすでに結界の中に入れられていた。
うろたえる二人へ暁月は言う。
「半径百メートルの結界だよ。狭かったかな?」
「くっ……『
暁月の顔からすっと笑みが消える。
「君たちが勝手に呼んでただけでしょう? 信者集めの道具にされて、俺は初めから不快だった。それでも一緒にいたのは、君たちが逮捕されるところをこの目で見たかったからさ」
篠原と栄は後方を振り返った。少し離れたところで五人の刑事たちが鋭く彼らをにらんでいた。
根岸は一歩前へ出た。両手を前へ出し、すっかり大人になった兄をまっすぐに見据える。
「抵抗するなら、こちらも
幻獣に襲われた場合とは別で、人間を相手にする際に警察は先制攻撃ができない。容疑者だと確定している人物であっても、命の危険がない限り、拳銃を撃つことが出来ないのと同じだ。
根岸栄はすると、落ち着かせるように篠原の肩へ手を置いた。思わず見上げる篠原だが、栄は一歩前へ出た。
「お前、流か? いつの間に眼鏡なんてかけるようになったんだ?」
半分見下すような口調だった。
「父さんも母さんも眼鏡なんてかけてなかっただろう。俺だって視力は悪くない」
根岸は仲間たちの視線を背中に感じていた。ここで挑発に乗ってしまえば、またミスを犯してしまうかもしれない。しかし、兄を怒らせることも怖かった。
気を抜かずに根岸は
「知的でかっこいいでしょう?」
「はあ?」
栄が馬鹿にした笑いを浮かべ、根岸はなおも答えた。
「本の読みすぎで視力は0.7まで落ちました。日常的に眼鏡をかける必要はありませんが、眼鏡をかけていると知的でクールでかっこよく見えるんです。だからかけているんです」
「マジかよ」
「え、自己満ってこと?」
そんな声がしたのは背後からである。根岸は恥ずかしさで顔が火照るのをこらえて、堂々と白状した。
「俺はクールで知的な男になりたいんです!」
母親と二人で暮らし始めた頃、転校先の小学校の図書室で、根岸は推理小説に出会った。中学生の時には探偵の真似事をし、高校生になると警察小説に夢中になった。根岸の胸の中には常に、憧れた探偵や刑事たちの姿がある。
栄はついに笑い出した。つられて篠原まで笑い声を上げ、根岸はぎゅっと唇を噛む。
「変な大人になったな、お前。しかも刑事だって? 気の弱いお前なんかにできるわけないじゃねーか」
なおもあおる兄に耐えかね、根岸は右足を半歩前に出した。しっかりと踏ん張る姿勢を整えて、いつ何が起きてもいいように準備する。
栄は挑発に乗ってこない弟に
「で? 俺らが何したって言うんだ?」
「幻獣連続殺人事件における共犯の容疑です」
根岸の答えを聞いた栄は思い出したように言う。
「ああ、杉田が吐いたんだっけ。ったく、使えねぇ男だな」
「事情聴取に応じてくれますね?」
根岸の問いかけに栄は首をひねる。
「うーん、どうしようかな。雄介、何かいい案ないか?」
と、相棒を振り返った。
篠原は呆れたように息をつき、ちらちらと上を見ながら言う。
「そりゃあ、まあ……これしかないっしょ。来い、ベル!」
頭上から大きな影が下りて来たことに気づき、すかさず根岸は魔法を唱えた。
「当たれ!」
連続して放たれる弓矢のように、いくつもの魔法の刃が空へ飛ぶ。大きな幻獣は多少バランスを崩しつつも、確実に地面へ着地した。
目の前に立つのは漆黒の体に三つの頭を持つ巨大な犬、ケルベロスだった。世界魔法協会では飼育が禁止されている危険な猛獣だ。
その体高は牛ほどはあろうか、鋭い牙と目付きに思わず身がすくむ。その隙に、栄が幻獣へ指示を出した。
「やっちまえ!」
ケルベロスは三つの頭で
「防御!」
とっさに葉沢が防御壁を張って受け止め、根岸と温井は左右へ分かれた。
ケルベロスの注意を引こうと、温井が「ぶつかれ!」と魔法を投げつける。
反応したケルベロスが根岸に尻を向ける形になり、その隙に根岸は気を集めて練り始める。少しでも多くの気を――と思っていたが、ケルベロスは容赦なく温井へ牙を向き、根岸は瞬時に魔法を放った。
「当たれ!」
上方へ避けた温井をケルベロスの右前足が襲う。鋭い爪が温井の脇腹をかすった直後、後方から魔法の直撃を受けて左手へ退いた。
振り返ったケルベロスが今度は根岸を見つめる。
怖気づきそうになるのをこらえ、根岸はすぐにまた気を集め始める。ケルベロスの後方で、菱田が地面に落ちた温井へ駆け寄るのが見えた。
すると葉沢が根岸の前へ出てきた。
「根岸さん! ケルベロスは中途半端な攻撃じゃ倒せません! 思いきって特別強いのをぶつけないと!」
言いながら葉沢が防御壁を展開し、根岸を守る格好になる。
「自分がしばらく盾になります!」
「分かった」
ケルベロスが前足を強く踏み出して勢いよくぶつかってくる。葉沢が耐えてくれている間に、根岸は呼吸を整えて集中力を高めた。今度こそ、強力な一撃を。
「どけ、葉沢!」
根岸の声を聞いた葉沢が一瞬にして防御壁を消去し横へずれる。ケルベロスがこちらを見た。
「切り刻め!」
大量の切っ先がケルベロスへ降り注ぐ。唸り声とともに首を大きく回し応戦するケルベロスだったが、左の首がごろりと地面へ落ちた。
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