第10話 南池袋の戦い

1 任意同行を求める

 根岸は内心で何匹もの苦虫を噛み潰しながら、野上の話を聞いていた。

「杉田の勾留期限も近い。根岸栄および篠原雄介を任意で事情聴取する」

 不安だ。不安でたまらない。兄との再会という、これまでずっと避けてきた事態に着々と近づきつつあることもまた、根岸の不安をかき立てる。

「だが、相手は魔法使いだ。根岸が話してくれたように、危険を伴う可能性は高い。店の中に幻獣を隠している可能性もある」

 野上は根岸の不安を察してか、慎重に話を続ける。

「それぞれ一人の時に声をかけるのが理想だが、あの辺りは昼間だと人通りがあるからな。魔法で抵抗されたら通行人を巻き込みかねない。また、最悪の場合には通行人を人質に取られることも考えられる」

 その様子を想像したのか、温井が嫌悪の表情を浮かべた。

「だから店の閉店時刻ギリギリを狙う。客がいないであろう二十一時前に行って、二人同時に任意同行を求めるんだ」

「建物の中で暴れられたらどうするんですか?」

 菱田が真剣な目を向け、野上は「まあ、話を聞け」となだめた。

「もし店内で暴れたら、上下の店に被害が出ないように外へ誘導するしかない。だが、彼らも人間だ。店の商品を壊すような真似をするよりも、自分たちが逃走するのを優先するはずだ」

 納得した様子で菱田がうなずき、野上は言った。

「だから、あえて外へ逃がそうと思う」

「え、逃がしちゃうんですか?」

 葉沢が目を丸くしてまばたきを繰り返す。経験の浅い彼にとっては信じられない言葉だったようだ。

 野上はかまわずに具体的な話を始めた。

「作戦はこうだ。まず、俺が店へ入って任意同行を求める。二人は外へ逃げ出すだろうから、そこを君たち四人で人気のない方へ誘導するんだ」

 根岸は黙って野上を見つめた。

「近くに公園があったはずだから、そっちでもいいな。とにかく通行人を巻き込まないよう、人のいない場所へ誘導できればいい。それなら俺たちも思い切って魔法が使いやすいだろう?」

 その言葉に四人はうなずいた。魔法での戦闘が避けられないなら、少しでもやりやすい場所でやるべきだ。

「最優先なのは周囲の一般市民を巻き込まないことだ。よけいな被害を出してしまえば、俺たち魔法捜査一課、ひいては魔法使いそのものが悪く思われちまうからな」

 温井と菱田がそれぞれに言う。

「確かにそれは避けるべきですね」

「魔法使いの存在を一般に広めるための第一歩で、つまずくわけにはいかないですもんね」

 これはまだ第一歩目だ。ここで通行人を巻き添えにして被害を出したら、魔法捜査一課の存続は危ぶまれる。すると魔法使いは今後も日陰で生きていくしかなくなってしまう。幻獣の密輸も止まらないだろう。

「特に葉沢は通行人を守ることを優先してくれ。戦闘に参加するのは二の次でいい」

「分かりました」

 葉沢はしっかりとうなずいた。防御壁を張るのが得意な葉沢だからこそ、守れるものがある。

「それから根岸」

 名前を呼ばれて根岸は緊張する。

「舞台が整い次第、前線に立て」

 野上はまっすぐに根岸の目を見ていた。

「目的は逮捕であり身柄を確保することだ。相手は魔法使いなんだから、むしろやりすぎるくらいでいい。幻獣が飛び出してきてもかまわずにやれ。いいな?」

「……はい」

 根岸は震える声でうなずいた。まだ誰かを傷つけることに対して抵抗がある。たとえ幻獣でも命を奪ってしまうのは怖い。しかし、そんな生温いことを言っている場合ではない。

「菱田は治療を優先しろ。温井は根岸のサポートおよびサブアタッカーとして前に立ってくれ」

「はい」

「分かりました」

 それぞれのやるべきことが決まり、野上は言った。

「この前より激しい戦いになるかもしれない。だが、絶対に捕まえるぞ」

 四人はそれぞれ、気を引き締めて返事をした。


 駅前のにぎわいから離れた人気の少ない道に「輸入雑貨プロスペーリ」はあった。

 野上は腕時計で時刻を確認すると、階段を上り始めた。二十時五十五分、閉店五分前だ。

 二階につき、目の前にある扉を引き開ける。途端に異国を思わせるエスニックな香りが鼻をつき、野上はまっすぐにレジカウンターへ歩いていった。

 カウンターの中にいたのは背の高い、顎髭を生やした男だ。キャッシュレジスターの前で作業をしていた彼が視線をやり、野上はすかさず警察手帳を取り出した。

「警察の者です。任意で事情聴取させてもらえませんか?」

 男は困惑した様子で問う。

「何でしょうか? まったく心当たりがないんですが」

「おたくら、幻獣飼ってるでしょう?」

「幻獣? 何の冗談ですか」

 男はせせら笑うようにして返した。

「もう店を閉めるので出て行ってください」

「申し訳ないんですがね、杉田が全部吐いたんですよ。この店のことも、おたくらのこともね」

 野上のはったりに男がわずかながら視線を泳がせた。まばたきの回数が増え、野上はたたみかけるようにもう一度言う。

「私は魔法捜査第一課の野上です。お話、聞かせてもらえませんか?」

 言い終わらないうちに、男が乱暴にキャッシュレジスターを閉めた。

「くそっ」

 先ほどまでの余裕が消え、男は背後の事務所へと駆け出す。

「逃げろ、雄介!」

 事務所の方ががたがたと騒々しくなり、野上は追う振りをしながら小型の無線機を取り出した。

「外に逃げた、追え!」


 テナントビルの裏手で待機していた葉沢は、二階の窓が開いて若い男が飛び出してくるのを見ていた。

 途中で目が合い、男はとっさに地面に向かって魔法を放った。空気抵抗を使い、安全に着地してから駆け出す。

 葉沢は追いかけずに陰へ隠れ、もう一人の男が出てくるのを確かめてから無線機へ叫んだ。

「南西方向へ逃げました!」

 と、駆け出す。


 大通りへ続く通りで温井は待機していた。走ってきた男たちに両手の平を向ければ、察した男たちが道を角へ曲がって逃走する。

 その先には根岸がいる。温井がしたのと同じように攻撃の意思を見せたが、若い男は軽々と飛び越えてみせた。魔法を使ってうまく空気抵抗を操り、パルクールの要領でビルの壁を蹴って移動したのだ。

 思わず呆気にとられる根岸の横を、エプロンを付けたままの男が駆けていく。

「ホシ、東通りを南へ逃走中!」

 温井の声で我に返り、根岸は慌てて走り出した。

 一瞬の反応の遅れが取り返しのつかない事態を招くかもしれない。先ほどのミスを挽回すべく、全力で背中を追う。


「はあ!? 何で……ああ、もうっ」

 容疑者たちが予定と違うルートへ行ってしまったことで、菱田も急いで駆け出した。

 公園方向へ誘導するはずが、まるで逆方向に進んでいる。これでは通行人に被害が出かねない。

 東通りを南下しているとすれば、途中で車通りのある道と交わる。この時間帯であれば通る車は多くないはずだが、可能なら手前で逃走を食い止めたい。被害は最小限に留めるに限る。

 菱田は無線機から聞こえてくる情報を逐一確認しつつ、仲間たちとの合流を目指した。

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