第9話 幻獣の密輸

1 頭を悩ませている問題

 数日後、新浦から依頼者たちの開示請求結果について知らせがあった。五名の個人情報が入手できたのだが、都内に住んでいる者はいなかった。かろうじて埼玉県内に住む者が一人おり、菱田と温井が聞き込みへ向かった。

 長期休暇が終わった平日の午前中、一軒家が並ぶ住宅地の中にそのアパートはあった。

 女性が一人暮らしをするには少々不向きな、古ぼけた建物だった。

「こちらのアカウントとダイレクトメッセージか何かで接触しましたよね?」

 玄関先で菱田が見せたのは「アゲント」のプロフィール画面が印刷された紙だ。

 まだ学生なのだろう、部屋着姿の小柄な若い女性は肩をびくつかせた。

「え、ええ……DMで、何回かやり取りをしました」

 答える声は小さく、様子をうかがうように上目遣いで菱田たちを見る。

 彼女が周囲を気にしているのは分かったが、かまわずに菱田はたずねる。

「ということは、こちらのアカウントが『復讐代行』をしていたのをご存知だったんですね?」

「……はい」

 菱田は資料を鞄へしまうと、にこりと笑った。

「依頼、しましたね?」

「……」

「そのためにダイレクトメッセージを送ったのでしょう?」

 女性は視線を泳がせた後、困惑をあらわに話し始めた。

「確かに連絡はしました。受け付けてはもらえたみたいなんですけど、その後、しばらくしてから急に、終わったっていう意味のメッセージが届いて」

「金銭を要求されたことは?」

「無いです。証拠写真も送られなかったし、本当に復讐してもらえたのかどうか……だから、もうすっかり忘れてました」

「そうでしたか」

 やはり「アゲント」は「復讐代行」において金銭のやり取りをしなかったらしい。証言が一つだけでは裏付けが取れたとは言い難いが、彼女の様子から見て事実なのは間違いないだろう。

「ちなみにお聞きしますが、初めてメッセージを送ったのはいつでしたか?」

「……二月の二日か三日です」

 温井が手帳に書き記すのを横目に、菱田は彼女へ頭を下げた。

「ご協力、ありがとうございました」

「いえ……」

 終わったと察して彼女はいくらかほっとしたようだが、まだどこか不安げな面持ちで刑事たちを見ていた。

「それでは、失礼いたします」

 菱田が一歩後ろへ下がり、温井は手帳をポケットへしまう。玄関先から立ち去ろうとして、温井が振り返った。

「そういえば、松田さんの復讐したかった相手ですがね、殺されましたよ」

「え?」

「SNSでのユーザー名は『くるり』、本名を早瀬静子と言いますが、『アゲント』によって殺害されたんです」

 彼女の顔から血の気が引き、温井は鋭い眼差しでかすかに口角を上げる。

「後ほど、殺人教唆の容疑で逮捕状が出ますんで、その際はどうかご協力ください。それでは」

 玄関先で彼女が立ち尽くし、うめき声とも嗚咽ともつかない声を上げる。

 菱田と温井は振り返ることなくアパートを後にした。


「刑事ってけっこう暇なものなんだね」

 自宅マンションの前に暁月善が立っていた。

 根岸は一瞬困惑し、彼の前で足を止める。警戒心を隠さずに言い返した。

「あなたのせいで捜査は無駄に長引いています。今日はたまたま早く帰れただけです」

「だけど、本を三冊も買うなんて暇じゃん。そんなに時間あるのかなと思って」

 にこにこと暁月は笑い、根岸はにわかに表情を険しくする。本を愛する者として聞き捨てならない台詞だった。

「好きな作家の新刊が出たら買うでしょう? それと前から読みたいと思っていた本の新装版が出たんです。しかもこちらは文庫本ですから、通勤中に読む用です」

「俺、あんまり本読まないから分からないなぁ」

 けらけらと笑う暁月へ、根岸は咳払いをした。それから真剣な口調でたずねる。

「あなたこそ、俺の行動をどこから見ていたんですか?」

 暁月は平然と答えた。

「駅の改札を出てきたところから。まっすぐ書店に向かうから、おもしろそうだなと思って会計に行くところまで見てた。それから先回りをしてここで待ってたんだ」

「何故ですか? あなたの証言にはもう惑わされませんよ」

 根岸は気を引き締めて暁月をにらむ。

 一方、暁月は「ひどいなぁ」と愉快そうに笑った。

「別に俺、根岸さんたちをいじめてるわけじゃないよ。今日だっていいことを教えに来たんだし」

「それなら俺ではなく、野上さんに直接教えるべきでは? 菱田だっているじゃないですか」

「うーん、まあ……それはそうなんだけどさ」

 暁月はごまかすように苦笑いをして足元を見た。

 少し冷たい風が二人の間を吹き抜ける。

 根岸は辛抱強く暁月の次の言葉を待った。返答次第では、今すぐ野上に連絡を入れて任意で同行を求め、事情聴取をしようと考えていた。

「魔法協会が事実を隠蔽したのは、職員の杉田さんが『グロロの会』に所属していることを把握してたからだよね」

「ええ。ですが、『グロロの会』に関する具体的な情報は、いまだに得られていません」

「それは当然だよ」

 さも当たり前と言わんばかりの顔だった。根岸はびっくりして目を丸くしたが、暁月はにこりと笑った。

「でも、どうして当然なのかを調べるのが警察の仕事でしょ?」

 魔法協会と「グロロの会」の間に、何か事情があるというのか。まだ隠蔽している事実があるのか。

「だから今日はヒントだけあげるよ。魔法協会が頭を悩ませてる問題について、調べてみて」

 根岸の反応を待たずに暁月は背を向けた。

「それじゃあ、またね」

 無意識に根岸は彼の後ろ姿を目で追っていた。

 魔法協会が頭を悩ませている問題。根岸にはピンとくるものがなかったが、こんな時こそ仲間に頼るべきだ。

 路地の向こうに消えた暁月から視線をそらし、根岸はさっさとマンションの中へ入った。


 夕食の調理に取りかかる前に、菱田へメッセージを送った。「魔法協会が頭を悩ませている問題って何か分かるか?」というものだ。

 スマートフォンをキッチンの端へ置き、冷蔵庫を開けて二つのタッパーを取り出す。一つは主食の白米だ。蓋を開けて電子レンジに放り込み、ボタンをいくつか押して温めを開始する。

 次に別のタッパーを開けた。焼肉のタレに数種類の調味料を加えて作った自家製のタレに、今朝から漬け込んでおいた鮭の切り身が並んでいた。

 一切れ取り出して、IHコンロにセットしたフライパンへ乗せる。タッパーをしまったところでスマートフォンがメッセージの着信を告げた。

 すぐに手を伸ばして確認する。菱田の返信は簡潔なものだった。

「幻獣の密輸でしょう」

 はっとした。魔法捜査第一課が設立された初日に、野上が話していたのを思い出したのだ。

 素早く返信を打って調理へ戻る。

「さっき暁月善に会った。幻獣の密輸について調べてみろ、ということだ」

 暁月善の言い方からして、おそらく「グロロの会」が密輸に関わっているはずだ。そこから突破口が開けるかもしれない。

 鮭がほどよく焼けた頃、菱田から返信があった。

「また撹乱させるつもりなのでは? 信用していいかどうか、分かりませんよ」

 それもそうだと考え直し、根岸はメッセージを打って送信した。

「野上さんにも連絡しておく。明日、みんなで話し合おう」

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