4 別の人間
杉田の勾留期間が残りわずかになっても、「グロロの会」の実態をつかめずにいた。やむなく延長することになったが、その頃にはもう季節が変わって初夏の風が吹いていた。
魔法捜査一課は休日返上で捜査にあたっていたが、焦りや苛立ち、疲労が募るばかりだった。
「暑い……根岸さん、アイス食べたくありません?」
運転席で葉沢が言い、根岸は呆れた顔を返す。
「まだ五月だろう。今からばててどうする」
「そりゃあそうですけど、何の情報も得られないんですよ。都内の魔法使いを一人一人訪ねていっても、『グロロの会』なんて知らないって人の方が多いくらいじゃないですか」
葉沢が愚痴を言いたくなる気持ちは分かる。根岸も進展のない毎日に飽き飽きしてきた頃だ。
しかし仕事を放り出すわけにもいかない。
「仕方ないな。そこの自販機で飲み物でも買ってこい」
「それで我慢します。根岸さんは?」
「俺はいらない」
「分かりました」
葉沢がいそいそと車を降りて自販機へ向かっていく。
その様子をガラス越しにながめていると、突然スマートフォンが着信を告げた。
取り出して画面を確認するなり、ボタンを押して耳へあてた。
「はい、根岸です」
「さっき、新浦から連絡があった。契約者の名前と住所、判明したぞ」
野上の報告に根岸は背筋を正す。
「ありがとうございます」
「ただな、地図で見るとテナントビルっぽいんだよな。今から行って、確かめてくれるか?」
「分かりました。どこですか?」
「えーと、池袋だな。南池袋二丁目の十八の……」
野上が読み上げた住所をしっかりと頭に入れ、根岸は再度礼を言って通話を切った。
運転席に着きながら葉沢が問う。
「何かありましたか?」
「ああ、『アゲント』の件で住所が分かったんだ。テナントビルらしいが、今から確かめに行くよう、野上さんから指示があった」
「おお、いいですね。行きましょう」
葉沢は飲みかけの缶コーヒーを一気に飲み干すと、シートベルトを装着した。
明治通りを曲がって、コンビニや飲食店の並ぶ通りへ入る。まだゴールデンウィーク期間中のためか、そこそこ人通りがあった。
「ここだな」
目的のビルの前を一度通り過ぎ、人気の少ない場所に車を停めて徒歩で向かう。
三階建てのテナントビルだった。一階にカフェがあり、二階と三階にもそれぞれ店が入っている。
「あー……このカフェ、チェーン店ですよね。フリーWi-Fi置いてますね。他の場所で何度か入ったことがあるので知ってます」
葉沢が苦笑いをし、根岸は息をつく。
「しかも場所が池袋だ。駅から少し離れてはいるが、近くには予備校もある。ここから一人の客を見つけるのは難しいだろうな」
無駄足に終わってしまうのは残念だったが、ふと根岸はひらめいた。
「念のため、フリーWi-FiのIPアドレスを見ておくか」
フリーWi-Fiは通常、動的アドレスだ。IPアドレスは接続するたびに変わる。しかし、新浦に見せれば何か分かるかもしれない。
「中に入ろう」
「はい」
ドアを開けて中へ入り、空いていた二人席を見つけて根岸は葉沢へ言う。
「座って待っててくれ。アイスコーヒーでいいな?」
「はい」
注文を済ませ、ドリンクを受け取ってから葉沢のいる席へ向かう。
葉沢はすでにスマートフォンを手にし、Wi-Fiへの接続を試みていた。
「できました、根岸さん」
「早いな。IPアドレスは確認できるか?」
「やり方がちょっと分かりません」
素直に答える彼に小さく苦笑し、根岸は手を伸ばした。
「貸してくれ、俺がやる」
根岸は葉沢のスマートフォンを受け取り、設定を開いた。それからいくつかの操作の後でWi-Fiの接続情報を出し、IPアドレスを表示した。
「この画面、スクリーンショットで撮っておいてくれ」
と、根岸はスマートフォンを返す。
「分かりました」
葉沢がすぐに画面を撮影し、保存した。
ひとまずの仕事を終え、根岸はアイスコーヒーへ口をつけた。
葉沢もスマートフォンをポケットへしまってから、何気なく店内に目をやりながらコーヒーを飲む。
「『アゲント』はどうしてわざわざ、ここでSNSを使っていたんでしょうか」
店内には若い客が多く、自分たちのようなスーツの男はあまりいない。
「杉田が住んでいたのは井荻でしたよね?」
「ああ、そうだな」
葉沢が疑問に満ちた目を根岸へ向けた。
「『アゲント』が杉田なら、ちょっと遠くないですか?」
根岸も気になっていた。池袋から井荻へ行くにはJR山手線で高田馬場へ行き、西武新宿線に乗り換えなければならない。所要時間は片道約三十分だが、二十三区内に住む人間にとっては少し遠いと感じる距離だ。
「だからこそ『グロロの会』なんだ。あのアカウントを使っていたのは別の人間で、杉田はただの実行役だったかもしれない」
根岸の推理にうなずき、葉沢は返す。
「その別の人間がちっとも捜査線上に出てこないんですよね」
「そうなんだよな」
根岸はため息をつき、アイスコーヒーをブラックで飲んでいたことに初めて気がついた。疲れているようだ。
店を出ると葉沢がポケットからスマートフォンを取り出した。
「あれ、まだつながってますね」
「まさか」
「見てくださいよ、ほら」
葉沢に差し出された画面を見ると、確かにまだWi-Fiにつながっていた。
「一度接続したことがあれば、外からでも使えるのか」
「そうみたいですね」
頭の中に引っかかりを覚え、根岸は上階へ続く階段を見る。
「どの範囲までWi-Fiが届くのか、ちょっと調べてみるか」
「はい」
葉沢を伴って二階へ上がる。
正面に「輸入雑貨プロスペーリ」という看板を掲げた扉があった。すりガラス越しに色とりどりの明かりが見えて、店内に吊り下げられているであろうランプが想像できる。
「あっ、ギリギリつながって……いや、切れて……うーん、微妙な感じです」
スマートフォンを見ながら葉沢が言い、根岸は階段をさらに上った。
三階にあったのは「てんきゅう」というショップで、扉の横にある窓にはワークショップの案内ポスターが貼られていた。どうやらハンドメイドアクセサリーの専門店らしく、入口からして可愛らしい雰囲気だ。
「三階まで来るとダメですね、まったくつながりません」
つながるとしても二階がギリギリらしい。だいたいそんなものだろうとあきらめて根岸は言った。
「分かった、戻ろう」
根岸と葉沢はすぐに階段を下り始めた。
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