第8話 行き詰まる捜査
1 手詰まり
野上が「グロロの会」についてたずねると、杉田は仕方がないというように口角を上げた。
「ええ、そうです。私は『グロロの会』に所属しています」
「それじゃあ、拠点はどこだ? いつもどこで集まっていたんだ?」
杉田は何がおかしいのか、くすりと笑った。
「拠点などありませんよ。強いて言うなら、『救世主』のいる場所が拠点となります」
暁月大学で聞き込みを行った結果、「グロロの会」は非営利の社会人サークルらしいということだった。しかし決まった活動拠点があるわけではなく、誰が作ったか知る人すらいなかった。表立って勧誘された人間などもおらず、学生たちの間に噂として存在するばかりだ。
まるで実態がつかめず、捜査の雲行きは怪しくなってきていた。
「じゃあ、中心人物は誰だ?」
「それはもちろん『救世主』ですよ。彼あってこその『グロロの会』ですから」
救世主が暁月善であることは確定している。野上は少し嫌になりながら、さらに質問をする。
「その他にもいただろう? 会を運営するやつらが」
「いえ、いませんよ。私たちは『救世主』の下、魔法使いとして正しいことをするまでです。救世主はいますが、指導者はいません。あくまでもみんな、自分の意思で行動をしているんです」
杉田はよほど心酔しているらしく、返答には高い頻度で「救世主」という言葉が出てくる。野上も葉沢も新興宗教じみていると感じ、気味悪く思っていた。
しかし杉田が言うことをふまえて考えると、宗教とは少々異なる印象を受けるのも事実だ。
「救世主」はいるが指導者はなく、拠点もなければ集まりもしない。何名から構成されているかも分からず、具体的な情報はいまだにゼロだった。
「つまり復讐代行は自分一人で考えて、行動に移していたわけだな」
「ずっとそう言っています」
野上は葉沢を振り返り、うんざりと首を振った。これ以上話を続けても、時間がもったいないだけだ。
「分かった。休憩だ」
そう言って野上は席を立ち、葉沢も息をついて腰を上げた。
あれから三日が過ぎていた。ちっとも手がかりがつかめず、日に日に追い詰められていくようだ。暁月善も何故か、根岸の前に現れなくなっていた。
魔法捜査第一課の空気はすっかりよどんで、三人とも万策尽きたといった様子で、パソコンの画面や紙の資料とにらめっこしていた。
誰ともなくため息が漏れた直後、電話が鳴った。
「俺、出ます」
と、根岸は真っ先に受話器を取り上げて耳へ当てた。
「魔法捜査第一課、根岸です」
聞こえてきたのはやや暗い調子の声だった。
「サイバー犯罪対策課の新浦です。『アゲント』の発信者情報、分かりましたよ」
思わずきょとんとする根岸へ、新浦は続ける。
「ただ、IPアドレスからすると、どうやらWi-Fiを使用していたのではないかと思われまして。プロバイダに請求して契約者情報を得ることもできますが、どうしますか?」
「それは、つまり……」
「もしこれが店舗などに設置されたフリーWi-Fiだった場合、犯人とはとうてい結びつかない情報ということになります」
根岸は唇を噛みたくなった。開示請求しても犯人と結びつかない場合があるなんて知らなかった。
「ですが、少なくともその時にそこにいた、という証明にはなりますよね」
「まあ、そうですね」
新浦の返答は歯切れが悪く、捜査に有益な情報ではないことを
「ですが、投稿されている時間を調べると、特に決まった時間ではないんです。夕方が多いですが、朝や夜のこともあります。逮捕された被疑者は、外見にあまり特徴のない人なんですよね? それだと、記憶している人がいるかどうか……」
もっともな意見だった。いつも同じ時間にそこにいるならともかく、そうでないのなら証言を得るのは難しい。得られたとしても、どこから来てどこへ帰っていくのかまで突き止められるとは思えない。
しかし根岸は、野上ならどうするだろうかと考えた。捜査が行き詰まっている現状、どんな情報であっても欲するのではないか。
受話器を握る手にぐっと力を入れて、根岸は言った。
「実は現在、捜査が行き詰まっているんです。どうやら被疑者の背後にとある組織が絡んでいるようなのですが、その実態が一向につかめなくて困っています。どんな些細な情報でもいいので欲しい状態です」
「ああ、そうでしたか。それでは、プロバイダに開示請求してみます」
「ありがとうございます」
新浦が察しのいい人で助かった。根岸はほっとして息をつく。
「依頼者たちの方はどうなりましたか?」
「ええ、そちらは順調に進めています。情報がまとまり次第、連絡しますので、もうしばらくお待ちください」
「分かりました。では、引き続きよろしくお願いします」
「はい。それでは、また」
受話器をそっと戻すと、根岸は視線を感じた。顔を上げれば、期待するような眼差しで菱田と温井がこちらを見ている。
「『アゲント』の開示請求の結果が出たんですが、Wi-Fiを使用していたようです。それがフリーWi-Fiだった場合、犯人に結びつく情報にはなり得ません。それでもプロバイダに開示請求をするかどうか、という話でした」
菱田がため息をついて肩を落とす。
「拠点は分からずじまい、ってことですか」
「一応、プロバイダへ開示請求してもらうことになりましたが、使える情報かどうかは分かりません」
依然として行き詰まった空気は変わらなかった。
「困ったな。まったく手詰まりじゃないか」
温井もそう言って根岸から視線を外した。
このまま「グロロの会」の実態がつかめなければ、杉田を単独犯として検察に送るしかない。中途半端なまま捜査を終わらせることなど出来ず、かといって突破口も見つからない。
室内は再び沈黙し、根岸はため息をついた。
こういう時は気分転換が必要だと温井に誘われ、根岸は吉祥寺へ連れてこられた。目的はもちろん「ウミガメの紅茶」である。
「いらっしゃいませ」
店主の美藤がにこりと笑いながら迎えてくれて、温井は頬をゆるめながら返した。
「こんばんは」
後から入った根岸は、ドアをきっちりと閉めてから美藤へ会釈をする。ここへ来るのは三度目だが、いつ来ても雰囲気が温かくてほっとする。
温井はカウンター席の一番奥へ座り、根岸も隣へ腰を下ろした。
店内にはカウンターの中央辺りに女性客が二人並んでおり、窓側のテーブル席に男性客が一人、本を読みながら紅茶を飲んでいる。
美藤がメニュー表を差し出すまでもなく、温井は言った。
「スパイスカレーとダージリン、アイスでお願いします」
「いつもの、ですね」
くすりと美藤が笑い、温井は照れたように笑う。いつの間にか、彼はすっかりこの店の常連になっていた。
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