3 悪には悪を

 手早く昼食を済ませてから本庁を出た。

 暁月大学へ向かうのは今月だけで三度目だ。ハンドルを握る根岸へ、助手席から野上が言う。

「協会には知り合いがいるんだ。着いたら別行動にしよう。その方がやりやすい」

「ええ、分かりました」

 横目に彼の方を見つつも、上司には逆らえないためうなずいた。

 すると野上は何を考えていたのか、唐突にため息をつく。

「なあ、根岸」

「はい」

「さっき、温井が言ってたな。使えるものは何でも使う、って」

 それの意味するところが脅しであることは想像がつく。実際に使われる手段が何であれ、図体の大きい温井を前にして何も思わない人間はいないだろう。そうした動揺の隙を突くのだ。

 しかし、野上が言いたいのは根岸のことだった。

「根岸も使えるものは何でも使え。頭や知識だけじゃなくて、自分にできるすべてを使うんだ」

 根岸は何も言えずに口を閉じていた。

 野上はちらりと彼を見てから、口調をいくらかやわらげた。

「先に言っておくが、昨夜のことを責めてるわけじゃない。俺はこれからの話をしているんだ。近いうちにまた、幻獣との戦闘が待っているかもしれない」

「……はい」

 根岸は菱田に命を救われ、葉沢には心を救われた。彼らがいなければ、足手まといのまま終わっていただろう。思い返せば、刑事どころか人生そのものを棒に振ったかもしれないほどの失態だった。

「君は優しすぎるんだ。もっと悪人になれ。それから悪を憎め。憎んで憎んで、強くなれ」

 野上の言葉は自身の経験から出てきたものだった。刑事としていくつもの事件に関わってきた年月が、彼にそう言わせたのだ。

 根岸は自分の未熟さを痛感させられて悔しくなった。かまわずに野上は言う。

「目には目を、歯には歯を。悪には悪を、だ」

 正義という名の悪を持って悪を制す――そんな風に根岸には聞こえた。

 車内が重苦しい空気になってしまったことに配慮してか、野上は半ば冗談のように言った。

「根岸はイケメンなんだから、顔を使え。女子大生を捕まえて、うまく話を聞き出すんだ。できるな?」

 色仕掛けのようなことはしたくなかったが、野上に言われてしまったら嫌だとは言いづらい。

 根岸は内心の苦々しさを表には出さずに答えた。

「分かりました。やります」


 幻獣保護研究センターの前で待ち伏せし、出入りする何人かの学生に声をかけた。幸運なことに、根岸は暁月と同学年の女子学生から話を聞けることになった。

 大学近くの喫茶店に入り、向かい合って座った。昼を過ぎているためか、店内には数えるほどの客しかいない。

「え、暁月くんですか? 今日は大学に来てなかったみたいですけど」

 アイメイクに力を入れた化粧の女子学生は、少し首をかしげながら言った。丸みのあるショートボブがさらりと揺れる。

 根岸はできるだけ穏やかにたずねた。

「彼と同級生なんですよね? 最近の彼について、何か変わったことはありませんでしたか?」

「変わったこと? いや、あたしはあんまり……」

「では、質問を変えます。彼は普段、どんな感じでしょうか? 真面目に講義に出ていますか?」

「ええ、あんまりサボることはないです。暁月くん、けっこう真面目な人だから」

 彼女は聞かれたことにしか答えないタイプのようだ。次々に質問をしていかなければ情報は得られないと判断し、根岸は次の質問をした。

「そうですか。では、幻獣に対する態度はどうですか?」

「別に普通ですよ。あ、でも何て言うか……溺愛っぽいところはあるかもしれません。暁月くん、本当に幻獣が大好きみたいです」

 昨夜の彼の行動からすると、少々考えられない姿だった。

「それなら、幻獣の扱いはどうですか? 保護研究センターでの様子なども、できるだけ詳しく聞かせてもらいたいのですが」

 根岸は少し踏み込んだ質問を投げかけた。暁月善がどのように幻獣を扱っているか、その具体的な姿勢は重要な手がかりになるはずだ。

「それはやっぱり、純血ですから。どの幻獣の扱いも上手だし、たいていの幻獣がすぐに彼になつきます」

「なるほど」

 強い魔法使いのすべてが幻獣になつかれるわけではないが、平凡な魔法使いからすれば、純血であることを根拠にしたがるらしい。最初から自分とは格が違うのだと思えば、よけいな感情を抱かずに済むからだろう。

「暁月くんの方も丁寧に接してて……あっ」

 女子学生が何かに気づき、目をみはった。怪訝に思って振り返ると、暁月善が歩み寄ってきた。

「やっほー、江村さん。こんなところでイケメンとデートかい?」

「暁月くん! デートとかそんなんじゃなくて、この人は――」

 彼女が慌てて事情を説明しようとし、暁月はにこやかにさえぎった。

「大丈夫、知ってるよ。根岸さんとは知り合いなんだ」

「え?」

 困惑する彼女ににこりと笑みを向けてから、暁月は根岸を見下ろした。

「江村さんから話を聞いてるってことは、俺に関する情報を聞きに来たんでしょ?」

 見抜かれているなら嘘をつくわけにはいかなかった。

「ええ、そうです」

 根岸が敗北したような気持ちで肯定すると、暁月は嬉しそうな笑みを見せた。

「分かった。それじゃあ悪いんだけど、江村さんは席を外してくれる?」

「う、うん……」

 女子学生は戸惑いながらも鞄を肩にかけ、そそくさと去っていった。

 彼女の座っていた席に暁月が腰を下ろし、にこにこと笑いながら根岸を見つめる。

「何から話そうか?」

 根岸は彼の真意が分からず、どう質問したらいいか黙考した。

 杉田の背後にいるのが彼だとすれば、黒幕の可能性がある。しかし、彼の態度に敵対心らしきものは見えず、むしろ表面に押し出されているのは純粋な好意である。

「俺がどんな情報を求めているのか、察しているはずではないですか?」

 と、根岸が冷静に返すと暁月は笑顔のままうなずいた。

「そうだね。だけど、杉田さんとの関係について話すには、まずその前提となる事情を話さなくちゃいけない。まあ、それこそ俺がどうにかしてほしいことでもあるんだけど」

「どういうことですか?」

 問いかける根岸へ、暁月は眉尻を少々下げながら半笑いで言った。

「俺さ、救世主サヴァントなんだ」

 瞬時に理解できず、根岸はまばたきを繰り返す。

「杉田さんを始めとした何人もの人たちから、そうやって祭り上げられてるんだよ。まったく困っちゃうよね」

 暁月が真実を話しているのかどうか、根岸は判断に迷った。どこまで情報を聞き出せるかも予想がつかないため、慎重に事実を確かめる。

「何人もの人、というのはどういうことですか?」

 暁月の返答はどこかあっけらかんとしていた。

「そういう集まりがあるってことだよ」

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