第7話 純血を継ぐもの

1 ありえないこと

 満足な睡眠はとれなかった。まとわりつく眠気をカフェインで無理やり吹き飛ばして、根岸はいつもどおりに出勤した。

 野上のデスクに鞄が置かれているのを見て、すでに来ているらしいと知る。しかし姿は見えないため、どこかへ行っている様子だ。杉田の様子でも見に行ったのだろうか。

 根岸がため息とともに自分の席へ腰を下ろした時、新浦が出勤してきた。

「おはようございます」

 はっと顔を上げて挨拶を返した根岸だが、新浦は目を丸くしてこちらへやって来る。

「怪我してるじゃないですか、根岸さん」

「ああ、軽傷ですよ。大したことありません」

 頬に少しかすり傷があるだけだが、新浦の表情は浮かない。

「野上さんから聞きました。おとり捜査、一応はうまくいったとか」

「そうですね、犯人は逮捕できましたから」

 根岸はにこりと笑ったつもりだったが、新浦は首を左右へ振った。

「大変だったんでしょう?」

「……ええ、まあ」

 無意識に彼から視線をそらしていた。

「僕も魔法使いだったら力になれたのに。みなさんが体を張っているのに、まったくもどかしいものです」

 言葉に嘘がないのを感じ、根岸はじんわりと胸が熱くなる。

「その気持ちだけで十分です」

「……はい」

 いまだ暗い表情のまま、新浦は自分の机へ向かっていった。いつも穏やかで前向きな彼にあんな表情をさせてしまったことが、根岸は無性に申し訳なかった。

 その後、他のメンバーが出勤したところで野上が戻ってきた。昨夜のこと、そして杉田のことなどを軽く話してから言った。

「取り調べは俺と葉沢でやる。君たち三人は午前中だけでも休んでくれ」

 目を丸くしたのは菱田だ。

「そんな、気を遣わなくていいですよ」

「気を遣ってるんじゃない、指示だ。菱田は特に疲労がすさまじいはずだし、根岸と温井はどちらも一度、大怪我を負っている。菱田に回復してもらったとはいえ、精神的なショックがなかったとは言わせないぞ」

 そのとおりだった。温井は力なく笑った。

「ええ、まだ昨夜のことが忘れられないのは事実です」

 根岸は近くにいなかったため、温井の怪我の程度は分からない。しかし、左前腕部をまるごと食われた自分と同じように、きっとひどい怪我だったのだろう。

「分かりました」

 と、根岸も吐息まじりに返した。

「念のために聞くが、葉沢は大丈夫だよな?」

「はい。自分はあんまり怪我をしなかったので、全然大丈夫です」

 葉沢の元気な返答に満足し、野上はさっそく動き始めた。

「それじゃあ、すぐに取り調べを始めよう」

「はい」

 二人が準備をして出ていくと、室内はため息で充満した。

「休めと言われてもな……」

 温井が苦々しくつぶやき、根岸はパソコンを起動させる。とりあえず昨夜のことを文書にしておこうと思い立ったのだ。

 新浦はすでに自分の仕事を始めており、束の間の静寂の後で菱田が言った。

「こっちで幻獣を捕まえても、最終的には魔法協会へ引き渡すことになる。そう考えれば、善くんは先回りして回収してくれたのかもしれませんね」

「でも、彼は職員じゃないだろう?」

 温井の疑問に菱田は目を伏せる。

「確かにそうなんですけど、純血として見過ごせない事件だったとも思います。暁月家は日本における魔法使いのトップですから、彼が動いていてもおかしくはない……とは思うんですが」

 おもむろにため息をついてから、疑問を呈する。

「問題はどうしてあの場所が分かったのか、ですよね」

 温井はうーんとうなる。

 向かいのデスクで話を聞いていた根岸は口を挟む。

「可能性として考えられるのは、彼が俺たちと同じように事件を調べていた、ということです。そうであれば、あの場所に現れてもおかしくない。ですが、彼はトラックに乗っていました。初めから幻獣の回収を目的にしていた、と考えるべきです」

 菱田が根岸へ顔を向けた。

「すると、あの夜にあそこで何が起こるのか、彼は知っていたことになります。オレは腑に落ちません」

「もう一つ可能性はあります。彼は事件を調べていたのではなく、杉田の行動を知っていた。つまり、犯人側の人間であるということです」

「だとしたら、どうして杉田をあの場に置いていったんだ?」

 温井の目が鋭く根岸を見つめる。

「あえて差し出したんです。彼が犯人側だとすれば、俺たちに接触してきたこともうなずけます。捜査が進んでいることは知っていたのだから、SNS上で接触してくるであろうことも予想できたはず。

 そしてあのおとり作戦です。ターゲットである野上さんが特定された時点で、こちらの作戦はバレていたでしょう。野上さんではなく、最初に俺が襲われたことがその証拠です。そうしたことから察するに、杉田を生贄に差し出すことで、ひとまず事件の終息を図ったものと思われます」

 二人が苦々しい顔でうなずいた。

「まさか善くんが……とは思いますが、現時点ではそれが一番しっくり来ますね」

「そうなると、今度は彼を捜査することになるのか? いや、まだ事件は起きてないからダメか」

 幻獣連続殺人事件は終わりかけている。この後、杉田が検察で起訴されれば、魔法捜査一課の仕事は済んだも同然だ。

 すると新浦が「あのー」と口を挟んできた。三人がそちらを見ると、新浦は苦笑いをしながら言う。

「その犯人って『アゲント』でいいんですよね?」

「ええ、そのはずですが」

 怪訝に思いつつ根岸が返すと、新浦はノートパソコンの画面を見せた。

「『アゲント』、まだ動いてます」

 表示されていたのは数十分前の投稿だ。あいかわらずエスペラント語で書かれているため、内容までは分からない。しかし、ありえないことが起きているのは確かだった。

 根岸たちは思いがけない事態に驚愕きょうがくし、少なからず戸惑いを覚える。

「やっぱり、暁月善が共犯者なのか?」

 怪訝に眉をひそめながら温井がつぶやき、根岸は席を立った。

「野上さんに伝えてきます」

 魔法捜査第一課を出て、足早に取調室へと向かう。まだ事件は終わっていなかった。

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