2 孤独な日々

 管理人に事情を話し、部屋の鍵を開けてもらった。

 根岸はそっと玄関へ入ると靴を脱ぎ、静かに中へ足を進めた。

 廊下を進んだ先にリビングダイニングのある2LDKの間取りだった。キッチンのシンクには洗い物がたまっており、男一人での暮らしがいかに満たされていなかったかがうかがえる。

 かろうじて足の踏み場が残されているものの、床にはゴミ袋やビールの空き缶がいくつも転がっていた。また、食卓にも新聞紙や雑誌が無造作に積み重なっている。

 隣室は和室になっていたが、長いこと使われていないようだ。明かりをつけると畳の上に埃が積もっているのが見えた。何も物が置かれていなくて殺風景だ。

 リビングダイニングを通って廊下へ戻り、洗面所の向かいにある扉を開ける。こちらは寝室として使用されていたらしく、ダブルベッドがまず目に飛び込んできた。そこから少し離れた壁際にパソコンデスクが設置されており、根岸はあることに気がついた。

「スリープ状態になってるな」

 室内へ足を踏み入れ、立ったまま慎重にマウスを手に取ってクリックした。スリープ状態が解除され、モニターにホーム画面が映し出される。

 被害者は仕事を家に持ち帰っていたらしい。最近使われたファイルのいくつかを確かめた後、根岸はウェブブラウザを開いてみた。何気なく検索窓をクリックすると、直近の検索履歴がずらりと出てきた。

 横からのぞき見ていた葉沢が驚きを口にする。

「誹謗中傷、開示請求……これって、まさか」

「されていた、もしくはしてしまった側の人間かもしれない。慰謝料をいくら払えばいいか、調べていたようだからな」

 根岸が目を留めたのは「誹謗中傷 慰謝料 いくら払う」といった検索ワードだ。

 すると葉沢が思い出した様子で言う。

「そういえば、一年前に離婚したんでしたね。シンクにたまった食器や床に散らかったゴミからして、生活が荒れていたのは確かでしょうから、憂さ晴らしにやってしまったのかも……」

 一人で暮らすのに2LDKは広すぎる。きっと被害者は孤独な日々を送っていた。

 根岸はブラウザのブックマークバーにSNSのアイコンを見つけた。クリックしてSNSのホーム画面に飛び、すかさず過去の投稿をチェックする。

「嫌な男だな」

 インフルエンサーなど、世間からの注目度が高いアカウントへの返信が多かった。ほとんどがくだらない罵詈雑言であり、他者を貶める言葉にあふれていた。常日頃からストレスを溜めていた様子だ。

「恨まれていた、ってことでしょうか?」

 葉沢の疑問に根岸はスクロールを続けながら返す。

「可能性は高いが、喧嘩を売っている相手が多すぎる。恨まれていたとしても、幻獣とどうつながるのかが分からない」

 葉沢は少し考え込んでから、ふと別の質問をした。

「根岸さんって、あまりSNSとかやらない感じですか?」

 葉沢へ視線を向け、根岸は表情を変えずに答える。

「学生時代に多少触れたが、警察学校に入る時に全部消した。それ以来やっていない。情報を集めるには便利だが、頭のおかしいやつらが跋扈ばっこしているのは明らかなんだ。適切な距離を持って利用しないと痛い目に遭うだけだろう?」

「けっこう辛辣しんらつですね……」

 葉沢が苦笑し、根岸は問う。

「お前はどうなんだ? まだSNSなんてやってるのか?」

「ええ、まあ。投稿はあんまりしてなくて見てるだけですけど、自分はやめられませんでしたね」

 意思の弱い男だ。しかし、世の中にはそうした人々があふれているのも事実だった。そうでなければ、SNSがこれほど普及することもなかっただろう。

 根岸はため息をつき、今度はダイレクトメッセージを確認し始めた。やり取りがあったのは片手で足りる人数だったが、そのうちの一人と激しく争っていた。

「何がきっかけかは分からないが、ずいぶんともめていたようだ」

 やり取りは先月の時点で相手の方から打ち切られているが、それ以前にかわされたメッセージは実に醜いものだった。見る者が不快になるような棘のある言葉を互いに送り合っている。

 葉沢が眉尻を下げ、苦々しくつぶやく。

「これは……恨まれても仕方ないですね」

 被害者を悪く言うわけにはいかないが、根岸も葉沢と同じ思いだった。幻獣に襲われたのは天罰かもしれないとさえ思う。

 その直後だった。唐突にひらめきがあり、根岸はぽつりとつぶやく。

「他の被害者も同じだったかもしれない」

「え?」

「被害者たちの共通点だ。インターネット上でトラブルを起こし、恨まれていたのかもしれない」

 真剣な目で葉沢を見たが、彼は首をかしげるばかりだ。

 もう少し言語化が必要らしいと判断しつつ、根岸は手帳を取り出した。被害者と相手のアカウントおよびユーザー名を書き取りながら言う。

「被害者たちは年齢も住んでいるところもバラバラだっただろう? だが、全員がスマートフォンを持っていた。中にはパソコンを所有している者もいるはずだ。インターネット上で誰かとトラブルになっていれば、それがきっかけで事件に巻き込まれたのかもしれない。となれば、犯人へ近づくための手がかりがそこにある」

「なるほど! やっぱりすごいです、根岸さん」

 葉沢が軽率に褒めてくるのを無視して、根岸は手帳をポケットへしまった。

「サイバー犯罪対策課に協力を仰ごう」


 被害者の部屋を出てすぐに野上へ連絡を入れた。これまでの被害者たちがSNSを利用していたかどうか、調べてもらうためだ。

 今しがた被害者の部屋で発見したものについて説明し、根岸はそこから得た推理を手短に伝えた。電話越しに野上が事情を飲み込んだのを察し、根岸は言う。

「これまでの被害者たちがSNSを利用していたかどうか、確認してもらえますか?  もしもトラブルを起こしていれば、それが共通点かもしれません」

「分かった、すぐに調べる」

「ありがとうございます。それとサイバー犯罪対策課に協力を仰ぎたいと考えています」

「そうだな、場合によっては捜査に加わってもらった方がいいかもしれない」

「俺たちはこれから被害者の勤務先へ行ってきます。後はよろしくお願いします」

「おう、任せとけ」

 通話を切って、根岸はふうと息をつく。いよいよ犯人のしっぽがつかめたような気がして、心臓がドキドキしていた。

 スマートフォンをジャケットの内ポケットへしまい、葉沢を振り返る。

「次は会社へ行こう。被害者の最近の様子がどうだったか確かめるんだ」

「はい」

 二人はまっすぐに車を目指して歩き始めた。

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