第4話 表と裏
1 伝説的存在の
温井が現場に到着して根岸と野上の元へ歩み寄った。直後、現場を指揮している刑事が鋭い声で「規制線の外へ出ろ」と指示を飛ばし、根岸と野上はやむを得ず規制線の外へ追い出されてしまった。
温井は目を丸くしてたずねる。
「どういう状況ですか?」
「まともに取り合ってもらえなくてな。まだ現場を見せてもらえていないんだ」
「それなら残留魔力は?」
「分からん」
温井は一瞬怒りを見せたが、すぐに提案をする。
「こういう時こそ、魔法の出番では?」
「あのオッサンのトラウマを引きずり出して、弱った隙に了解を得ろってか?」
野上は苦笑いを返した。
「悪いが、そういう使い方はしたくない」
彼も警察官だ。一般的なモラルをきっちりと心得ていた。
温井は「そうですか」と引き下がり、規制線の向こうをうらめしげにながめた。
その後、数分もすると菱田と葉沢が到着し、野上は二人にも事情を話した。
菱田は現場で働く刑事たちを見ながら言った。
「ここの
「ああ。取り仕切ってるのは吉田っていう刑事だ」
「分かりました。ちょっと待っててください」
ネクタイの位置を直し、軽く咳払いをしてのどを整えてから、菱田は規制線を
そろそろ遺体が運び込まれようとする頃だった。菱田は迷うことなく吉田刑事に近づくと、にっこりと笑いながら親しげに声をかけた。
「おはようございます、吉田さん。その節は父がお世話になりました、菱田
振り返った刑事の顔がにわかに固くなる。
「菱田……?」
「はい。父からよく吉田さんの話を聞いています。立派な刑事になってくれて誇らしい、と言っていましたよ」
吉田刑事が慌てたように口をぱくぱくさせた。菱田はなおも笑顔のまま話を続けている。
規制線の外から様子を見ていた根岸はどうしても気になり、野上へたずねた。
「彼は何をしているんですか?」
「お前、知らないのか?」
不思議そうに野上がこちらを見ると、少し肩をすくめながら言った。
「あいつの父親、警察学校の学校長まで務めたんだぞ。それ以前からも刑事として優秀で、数々の難事件を解決してきたんだが」
頭の中で情報がつながった途端に顔が
「伝説の、菱田刑事の……!?」
刑事になりたいと願いながら、伝説的存在の息子について今の今まで知らなかった。菱田のことはできる人間だと評価していたものの、まさかこんな形で裏打ちされるとは。
恥ずかしさを全身にじりじりと感じる根岸の隣で、温井が呆れたように言う。
「でもあいつ、ノンキャリだよ。親が有名だからって、特別扱いされるのは好きじゃないんだとさ」
「そうだったんですね」
と、葉沢が関心したように目を輝かせ、野上は説明を加えた。
「ちなみに魔法捜査第一課が設立されたのは、菱田の父親の提案があったからだ。彼が定年退職する数年前から、上層部に働きかけてたんだよ。当然、新設にあたって菱田も深く関わっていた。発足人の一人として頑張ってくれたのさ」
思い返してみれば、菱田は初日から落ち着いていた。魔法捜査第一課という、通常であれば理解しがたい組織に反発することなく、言動は常にスムーズだった。設立に関わっていたのだから当たり前だ。
ふと気づけば菱田の姿はブルーシートの内側へと消えていた。しばらくして戻ってくるなり、彼は仲間たちへ笑顔を見せた。
「残留魔力が確認できました。諸々の作業が済み次第、捜査権をこちらに譲ってくれるそうです」
変死体が発見されたのは今朝の四時半過ぎ。第一発見者は通りがかった新聞配達員の青年だった。
現場は公園の裏手にある住宅街の歩道だった。遺体は仰向けの状態で、顔の下半分が無惨にもなくなっていた。両手に無数の噛み跡と引っかき傷が見られ、よほど強く抵抗したものと思われる。
また、近くに落ちていた鞄の中身から身元が判明した。被害者は近隣に住む三十代の男性会社員、田中義彦だった。一年ほど前から妻と別居しており、現在は一人で暮らしていた。近所の住民によると帰りはいつも遅く、零時近くになることもあったという。そのため、襲われたのは帰宅途中であったと思われる。
付近は住宅街のため、深夜になると人気がない。今回も目撃者はいなかった。
「検視結果が出次第、丸山教授の元へ行って幻獣の特定を進めます」
魔法捜査第一課に捜査権が移ると、菱田が初めにそう告げた。
野上は「ああ、任せたぞ」と返して、根岸と葉沢へ顔を向ける。
「周辺の聞き込みは引き続き向島署がやってくれてる。根岸と葉沢は被害者について調べてくれ」
被害者の身元はすでに判明しているため、想定外のトラブルに見舞われない限り、順調に情報を集められるだろう。そう難しいことではない。
「分かりました」
根岸と葉沢は同時にうなずいた。そして根岸はすぐに言う。
「まずは被害者の家だ」
「現場近くのマンションでしたね。行きましょう」
初日の新米らしくおどおどしていた態度から一変して、葉沢はしっかりした返事をするようになっていた。顔つきも少しは刑事らしくなってきたようだ。
根岸は内心で彼の成長を嬉しく思いつつ、さっそく席を立った。
管理人室で事情を話し、管理人に部屋の鍵を開けてもらった。
根岸はそっと玄関へ入ると靴を脱ぎ、静かに中へ足を進めた。
廊下を進んだ先にリビングダイニングのある2LDKの間取りだった。キッチンのシンクには洗い物がたまっており、男一人での暮らしがいかに満たされていなかったかがうかがえる。かろうじて足の踏み場が残されているものの、床にはゴミ袋やビールの空き缶がいくつも転がっていた。また、食卓にも新聞紙や雑誌が無造作に積み重なっている。
隣室は和室になっていたが、長いこと使われていないようだ。明かりをつけると畳の上に埃が積もっているのが見えた。何も物が置かれていなくて殺風景だ。
リビングダイニングへ戻り、廊下の途中にあった洋室への扉を開ける。こちらは寝室として使用されていたらしく、ダブルベッドがまず目に飛び込んできた。そこから少し離れた壁際にパソコンデスクが設置されており、根岸はあることに気がついた。
「スリープ状態になっているな」
近づいていくと、立ったまま慎重にマウスを手に取り、カチッと軽くクリックした。瞬く間にスリープ状態が解除され、モニターにホーム画面が映し出された。
次の更新予定
魔法捜査一課の事件簿 晴坂しずか @a-noiz
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