3 葉沢の視点

 ふと視線を送られていることに気づいて顔を向けると、葉沢がたずねた。

「あの、幻獣って普通の人には見えないんですよね?」

「ああ、そうだ。幻獣は魔法使い以外の人間には、ほとんど認識されていないからな。襲われているところが見えていないのだから、実質的に目撃者がいないことになる」

「幻獣に襲われて被害者が死亡するまでの時間って、どれくらいなんでしょうか?」

 彼の疑問は根岸が見落としていた視点だった。はっとしてすぐに頭を働かせる。

「そうだな……防御創がある遺体もあったことを考えると、幻獣は最初から致命傷を与えているわけじゃない。複数の噛み跡や引っかき傷もそう示していると考えられる」

 根岸はデスクの一点をじっと見つめながら、思考の言語化を続けた。

「もしかしたら最初はじゃれている感覚だったかもしれない。それが何らかのきっかけ、例えば飼い主による命令で体を食い破ったのではないか」

「そうなると、一分や二分の出来事ではないですよね」

「ああ、五分前後かかっていてもおかしくはないな」

 葉沢はさらに思考を進めたらしく「それなら、三件目の事件についてなんですけど」と言いながら資料を手に取り、根岸にも見えるように二人の間に置いた。

「突然倒れたように見えた、という目撃証言がありますよね。でもその前から被害者は、見えない何かと戦っていたはずです」

「ふむ、確かにそうなるな」

 三件目は調布市富士見町で起きた事件だ。富士見公園近くの歩道で二十代の女性、斧谷桃恵が襲われた。

「犯人の姿が目撃されていないとしても、被害者の異常な行動に誰も気がつかなかったなんて変じゃないですか?」

 幻獣の存在を最近まで知らなかった彼だからこその視点だった。

 根岸は葉沢の視点を加え、あらためて思考する。

「近くには公園がある。時刻はまだ夕方で周囲には人気もあった。被害者が幻獣に抵抗している様子は、幻獣の見えない人からすれば異常な行動に見える……」

 葉沢の指摘を繰り返したところで違和感に気づく。

「突然倒れた、ということはその前から見ていたんじゃないか? そうでなければ『突然』なんて言葉は使わない。いつの間にか倒れていたか、見た時にはもう倒れていたと言うはずだ」

 葉沢は興奮し、目を輝かせながら根岸と顔を見合わせた。

「それです、それ! やっぱり見ている人はいたんだ!」

「よし、この目撃者に詳しい話を聞こう」

「はい!」

 葉沢はすぐさま資料に記載された電話番号へかけたが、聞こえてきたのは無情な機械音声だった。

「この番号は現在使われておりません、って……」

 意気消沈した葉沢が泣きそうな顔で知らせ、根岸は眉間にしわを寄せる。

「どういうことだ? 何で番号が……いや、違うな。もしかすると、名前も偽名かもしれない」

「でたらめってことですか? どうしてそんなことを?」

「後ろめたいことがあるからに決まってるだろう。この目撃証言を得た刑事に会いに行こう」

 根岸の頭には一つの推理が浮かんでいた。さっと席を立ち、お気に入りのトレンチコートを羽織りながら資料の入ったファイルを手に取る。

 遅れて葉沢も立ち上がり、片手に黒のジャケットをつかんだまま後を追ってきた。

「根岸さん、この目撃者はいったい何なんですか?」

 歩きながら根岸は冷静に言った。

「頭を使え。おそらく犯人だ」

「犯人⁉」

 びっくりする彼を振り返ることなく、足早に廊下を進んでいく。


 調布警察署に連絡を入れて会わせてもらったのは、鶴田という名の刑事だった。四十代半ばの丸刈りで地味な風貌の男だ。

「目撃者がどんな人だったかって?」

 根岸の質問に鶴田は驚いた表情を見せた。

 着古されたと思しきスーツに少し乱れたネクタイから、長年現場での経験を積んできたことがうかがえる。

 根岸はできるだけ相手を刺激しないよう、腰を低くして返す。

「ええ、詳しい話を聞きたいと思って目撃者に連絡をしたのですが、電話番号が無効になっておりまして。先ほどアパートにも行きましたが、表札にある名前が違っていました。おそらく名乗った名前も偽名ではないかと考えています。なので、せめて人相だけでも確認させていただきたいと思い、おうかがいいたしました」

 鶴田の目つきが微妙に変わった。きっと刑事としての勘が働いたのだろう。

「背はそんなに高くなかったな……そこの君と同じくらいか、少し低かったかもしれない」

 視線を送られた葉沢は少々びくっとしつつも、すぐにメモを取り始めた。

「年齢は二十代で、紺色のダッフルコートを着ていた。あまり目立つようなタイプじゃなくて、そこら辺によくいる優男って感じだったな」

 根岸は続けて問う。

「顔は覚えていますか?」

「いや……あれからもう二ヶ月は経ってるからな、はっきりとは覚えていない。けど、それくらい特徴のない普通の男だったってことは言える」

 顔を覚えていれば似顔絵の作成もできたのだが――と、内心で残念に思いつつ、根岸は鶴田へ礼を言った。

「ありがとうございました」

 そして葉沢へ視線をやった直後、鶴田が二人へ言った。

「連続変死事件には幻獣とやらが絡んでるんだろう? 遺族のためにも、必ず犯人を見つけてくれよ」

 根岸と葉沢は思いがけずきょとんとしてしまった。

 言葉を返せずにいる彼らに先輩刑事は優しく微笑み、左右の手で二人の肩を同時にたたいた。

「期待してるぞ」

 そして鶴田は静かに歩き出し、デスクへと戻っていく。

 根岸は彼の言葉を胸に刻み、葉沢も真剣な眼差しでうなずいた。

「必ず捕まえましょう、根岸さん」

 彼にしてはめずらしく決意の込められた口調だった。

 根岸もまた刑事としての自分を自覚し、力強く返した。

「ああ、もちろんだ」


 警視庁へ戻る途中の車内で葉沢がたずねた。

「根岸さんは、どうして警察官になったんですか?」

 唐突な質問だったが、これまでに何度となく聞かれたものでもある。根岸はとりあえず表面的な理由を口にした。

「昔から推理小説が好きで、中でも警察小説にハマっていた」

「え、まさかそんな理由で?」

 驚きつつも半笑いになる葉沢へ根岸は言う。

「それだけじゃないさ。だが、理由の一つであることは事実だ」

「そうでしたか」

 葉沢は前を見つめたまま語り始めた。

「自分は敵討ちです。って言うと大げさなんですが、実は両親を亡くした原因が火事だったんです。放火だったと聞いていますが、まだ犯人は捕まっていなくて」

 根岸は真面目に答えればよかったと後悔し、窓の外へ視線を向けた。

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