2 葉沢の視点

 被害者について周辺住民に聞き込みを行ったが、新しい情報は得られなかった。被害者は専業主婦だ。外部との接触は、息子の学校関係の付き合いくらいしかなかったらしい。

 何気なく現場付近まで来た時、葉沢が突然立ち止まった。

「どうした?」

 足を止めて振り返った根岸へ、葉沢は数メートルほど先の地面を指さしながら言う。

「あ、あの、何か……そこ、キラキラしてます」

「ああ」

 丁字路だった。ちょうど被害者が倒れていたあたりにわずかな残留魔力があり、根岸は知識を授けてやる。

「残留魔力だ。幻獣は人間よりも濃い魔力を身にまとっていて、その痕跡がこうして残るというわけだ」

 蜘蛛の巣に乗った細かな水滴が陽の光を反射して、キラキラ光る様と似ていた。違うのはそれが地面にあることだ。水たまりもなく、ガラス片が散らばっているわけでもないため、葉沢には異様な光景に見えたのだろう。

「そうなんですか? じゃあ、後を追うこともできるのでは?」

「いや、それは無理だな。幻獣が人に干渉する、今回の件だと襲う場合に魔力を消費するものなんだ。それがこぼれ落ちたものだと言えば分かるか?」

 葉沢は分かったような、分からないような顔をしていた。

 根岸はもっといい説明ができないかと考え、地面に見られる残留魔力を見つめながら言う。

「幻獣はそもそも別の次元の生き物だ。この世界は物質界だが、それがもう一つ重なっていて、そちらが本来幻獣の生息する世界。魔法使いはその狭間に位置するとされていて、こちら側に迷い込んだ幻獣を見つけて保護し、元の世界へ送り返すのが仕事だった」

「ああ、教科書にそんな話が載っていましたね」

「幻獣が人間、ひいては物質に干渉するには魔力を必要とする。相手が魔法使いであれば魔力は互いの間を行き来するだけだが、魔力を持たない普通の人間だと、魔力は行き場がないためにこぼれてしまう。それが残留魔力の正体だ」

「なるほど」

 ぱっちりとした目を大きくし、葉沢がようやく納得して顎を引く。

「それじゃあ、あくまでもここに幻獣がいたってだけのことなんですね」

「そうなるな。残留魔力は時間の経過とともに薄れ、最終的には消えてなくなる。見かけることが少ないのも、そうした性質からだ」

 葉沢は黙ってうなずいたが、すぐに根岸の隣ヘ並んできた。

「根岸さん、魔法が嫌いなのによく知ってますよね?」

 否定はできないが肯定する気にもなれなかった。ただ魔法使いの家に生まれた、というだけで彼が納得してくれるかどうかも分からない。

 根岸はとっさに嘘とも言いきれない詭弁きべんを放った。

「魔法も魔法使いも俺にとっては敵だ。敵について何も知らないままでは戦えない。事件の捜査だって、まずは情報を集めることから始めるだろう? それと同じだ」

「な、なるほど……?」

 葉沢は腑に落ちない様子で首をひねったが、かまわずに根岸は歩き始めた。

「被害者の息子が通っている小学校へ向かうぞ」

「あ、はい!」

 慌てて葉沢が追いかけてきて、根岸はほんの少し胸が痛むのを感じた。純粋でまっすぐな彼をあざむき続けることは、自分には難しそうだ。


 日が暮れ始めた頃に魔法捜査第一課へ戻ると、野上がデスクで頭を抱えていた。

「どうかしましたか?」

 根岸が歩み寄りながら声をかけると、顔を上げた野上がめずらしく弱気に笑う。

「ああ、君たちか。それがな、どうも犯人像が見えてこないと言うか」

 彼の机の上には幻獣連続殺人事件の被害者に関する資料が並んでいた。

「被害者たちに共通点がないかと思ってずっと調べていたんだが、それがまったくないんだよ」

 野上が頭を悩ませていた事情を理解し、根岸は冷静に返す。

「直近の事件の被害者は専業主婦でした。外部との関わりが限定されており、近所には被害者についてよく知る人もいません」

「そうだよなぁ。となると、無差別殺人ってことになるのか?」

 事件の共通点は不可解な噛み跡と、目撃者がいないことだ。

「事件が起きているのはすべて都内ですが、場所はいずれもバラバラですよね。ですが、どの事件も夕方から深夜の犯行であることから、計画性があるように思われます。少なくとも通り魔的犯行ではないかと」

「ああ、そうなんだ。俺もそこで悩んでた」

 野上が深くため息をつき、根岸を見上げる。

「無差別殺傷の場合、一度に複数の被害者を出すものだ。君たちが覚えているか知らないが、秋葉原の無差別殺傷事件を思い出してくれ。犯人はトラックで通行人をはねた上に、ナイフで次々と人を刺していった」

 日本中に大きな衝撃を与えた凄惨な事件だった。当時、まだ子どもだった根岸も、テレビでニュースを見た記憶が鮮明に残っている。幼いながらに、世の中にはこんなにも恐ろしいことをする人間がいるのかと、漠然ばくぜんとした怒りや恐怖の感情がわき上がった。

「今回の事件は、あの無差別殺傷事件とは明らかに異なる。分かるよな?」

 野上が根岸の少し後ろで立ち尽くしていた葉沢へ視線を向けた。

 葉沢は戸惑いながらもこくりとうなずき、野上は続ける。

「犯人には何らかの目的や意図があるはずなんだ。それを見つけるには被害者たちの共通点を見つけなきゃならない。だが、ちっとも見つからない。どうしたらいいか分からなくて途方に暮れている」

「被害者は十五人でしたね。一番上が六十三歳、若くて十七歳。職業や住所もバラバラとなると、確かに共通点を見出すのは難しいです」

 根岸の言葉に野上が再びため息をつく。

「応援を頼みたいところだが、まず魔法捜査一課そのものに理解を示してもらわないとダメだもんなぁ。新設されたばかりで、いきなりこんな難事件にぶつかるなんて、マジでついてないな」

 そして野上は席を立つと「ちょっと気分転換してくる」と、廊下へ出て行った。

 残された根岸は葉沢を振り返り、落ち着いた口調で言った。

「俺たちも考えるだけ考えてみよう」

「はい、分かりました」

 それぞれに自分のデスクへ着き、事件概要を思い浮かべながら思考を巡らせる。

 ふと葉沢に視線を送られていることに気づいて顔を向けると、葉沢がたずねた。

「あの、幻獣って普通の人には見えないんですよね?」

「ああ、そうだ。幻獣は魔法使い以外の人間には認識されていないからな。襲われているところが見えていないのだから、実質的に目撃者がいないことになる」

「幻獣に襲われて被害者が死亡するまでの時間って、どれくらいなんでしょうか?」

 彼の疑問は根岸が見落としていた視点だった。はっとして考えを巡らせる。

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