第3話 刑事としての自覚
1 捜査開始
週が明けた月曜日、検視結果を見比べながら菱田はうなった。
「やっぱり違うような気がしますね。噛み跡もないし、何より傷口の大きさが違う」
都内各地の警察署から捜査資料が集まり、いよいよ捜査が始まった。だが、事件の大きさに対して捜査員は限られており、係長を含めても五人しかいない。そのために捜査本部は設置されず、魔法捜査第一課のオフィスが実質的にその役割を果たすことになった。
初日の今日は資料に目を通すところから始まった。
野上が菱田の隣へ並び、横から資料をのぞき込む。
「そんなに違うか?」
「最初の三件が
事件が起きた順にファイルを並べながら、根岸は二人の会話を聞いていた。
「だが、状況は他とほぼ同じだろう? それでも幻獣のしわざではないって言うのか?」
「うーん、そうですね。最初の事件からして、おそらく犬か狼型の幻獣が関わっていると考えました。ですがこの二件に関して言うと、もっと小型の幻獣のように思えるんです。言い方を変えるなら、
菱田は冷静な口調で自分の見解を述べた。
野上は顎の無精髭を撫でるようにしながら繰り返す。
「模倣犯か。だとしたら厄介だな」
「何らかの事情で別の幻獣を使った、という可能性も考えられますけどね」
菱田が言い足した後、隣で一緒に作業をしていた葉沢が小さな声でたずねた。
「人に危害を加える幻獣って、そんなに種類がいるものなんですか?」
横目に彼を見てから根岸は言った。
「RPGなんかに出てくるモンスターの元ネタだからな」
言いたいことが伝わったようで、すぐに葉沢が青ざめる。
「めちゃくちゃいるってことじゃないですか!」
するとその様子を見ていた温井が、向かいの机から口を挟んだ。
「だから、それを管理するのが魔法使いの役割でもあるんだよ」
彼の言葉に葉沢は先日の出来事を思い出したようだ。
「そういえば、魔法協会で幻獣の保護をしてましたね。自分が知らなかっただけで、実は魔法使いって社会の裏でこっそり働いてたんですね」
「そういうことだ」
ため息まじりに根岸は返した。事情があったとは言え、葉沢は本当に無知だ。
「裏だからこそ、こうした事件も起きやすいんだよ」
いつの間に聞き耳を立てていたのか、野上まで口を出してきた。
思わず根岸たちが視線を向けると、口元では軽く笑いつつも真剣な目をして野上は言う。
「魔法使いや幻獣の存在が表に出れば、もう裏で妙なことはできなくなる。その第一歩が俺たちなんだ」
彼の隣で菱田がうんうんとうなずく。
温井も黙って首を縦に振ったが、葉沢は何故か根岸を見やった。
「根岸さんは、でも、魔法が嫌いなんですよね?」
やや上目遣いに見つめられ、根岸は反応に困ってしまった。子犬のような目で見つめられても、根岸の心の中にある信念は揺るがなかった。彼の思いは魔法そのものへの嫌悪感というより、それを悪用する者への強い憎しみに根ざしているからだ。
「その通りだが、魔法で誰かを傷つける人間はもっと嫌いだ」
落ち着いて返したつもりだったが、少々感情が乗ってしまった。
根岸が見せた
「おしゃべりはここまでだ。直近の事件なんだが、まだ情報が足りていない。根岸、葉沢と一緒に調べてくれるか?」
「はい、分かりました」
根岸は生活安全課にいた時、何度か捜査に関わったことがある。その時に学んだ経験が今ここで生かせると感じた。おそらく野上の意図は、根岸の経験を生かして葉沢に教え、彼を刑事として成長させることにある。
そう理解した根岸は指示に従い、直近の事件のファイルへ手を伸ばした。
「菱田と温井は幻獣の特定を頼む。もし必要なら、暁月大学の研究所にいるフェアリードクターの丸山教授を訪ねてくれ。すでに話は通してあるから、直接訪ねていっても平気だろう」
「分かりました」
すでに魔法使いとして幻獣に関する知識を持っている二人には、別の仕事が任せられた。事件に関わる幻獣がどの種類であるか、捜査資料および検視結果を元に特定するのだ。
指示を出し終えた野上は満足気にひとつうなずいた。
「それじゃあ、さっそく始めてくれ」
三月二十八日の午前五時過ぎ、豊島区千川一丁目の丁字路で四十代の女性、小村咲子が死亡していた。左肩を骨ごと食われており、腕は皮一枚でつながっているような状態だった。また、左の頬と手の甲に噛み跡が見られた。
彼女は近くのマンションで夫と息子の三人暮らしだった。当日は近所のコンビニへ行くと言って部屋を出ており、家族は彼女の帰りを待つこともなく就寝した。翌朝になって事件を知ったという。
「被害者は専業主婦らしい。今時いるもんなんだな」
何気なく根岸がつぶやくと、運転席の葉沢はどこか怪訝そうにたずねてきた。
「根岸さんのところは、やっぱり共働きでしたか?」
ちらりと彼の方へ目を向けて根岸は答える。
「まあ、そうだな。両親が離婚してからは、母親がパートをかけ持ちして俺を育ててくれた」
「へぇ……」
親というものを知らないためか、葉沢の反応は何とも妙な感じだった。
一般的な人間ならば、母親の苦労を察して何かしら
根岸は沈黙を嫌うように続けた。
「大学は奨学金で通ったけどな。まだ返済中だ」
根岸の声には少しばかりの苦笑がまじっていた。大学進学を選んだことで今もなお背負い続ける負担について、言葉に出さずとも重く感じていた。
「ああ、なるほど。自分は高卒なんで、大学はちょっと憧れますね」
自嘲気味に葉沢が言い、根岸の脳内でひらめくものがあった。
「それでこの前は、あんなに緊張してたのか」
暁月大学へ行った時のことだ。葉沢が力なく苦笑いを返す。
「ええ、はい。大学という場所に行ったのも、実はあれが初めてでして」
「そうか」
葉沢はまだ若い。大学には留年生や浪人生がいることを考えると、まだ彼は大学に通っていてもおかしくない年齢だった。それでいて少なからず憧れを抱いているのだから、意識してしまうのも無理はないことだ。
同時に彼の無知が、そうした経験の不足と関連しているように思われて、根岸は少しだけ彼のことが理解できたような気がした。
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