2 紅茶づくし

 その夜、野上に連れられて魔法捜査一課の面々は吉祥寺へ来ていた。

 駅前の商店街を抜けた先、住宅地へ入ったところで角を一つ曲がる。暗くて細い路地に浮かび上がるのは、店先につるされたランタンの優しい橙色の光だ。

「ほら、ここだ」

 野上が足を止めて、丸みを帯びた青いテント看板を見上げる。書かれているのは「cafe&bar ウミガメの紅茶」という白い文字だった。

 入口は上半分がガラス張りの引き戸になっており、野上は慣れた様子で手をかけた。

「いらっしゃいませ」

 聞こえてきたのは若い女性の穏やかな声だ。

「今日は部下を連れてきたよ」

 野上がそう返す間に、根岸たちも店内へ入る。

 八人が座れるカウンターテーブルに、二人がけのテーブル席が三セットあるだけの狭い店内だった。淡いクリーム色の壁にアンティーク調のフローリング、落ち着いた茶色の什器から見て、バーというよりはカフェの雰囲気が強い。

 奥のテーブル席では二人の女性が雑談をしながら紅茶を飲んでいる。粗野に見える野上の行きつけの店にしてはオシャレで、どうにもちぐはぐな感じがした。

 カウンターの内側に立っているのは二十代後半と思われる女性が一人だけだ。おそらく彼女が店主なのだろう。

 茶髪を後ろで一つに結った華奢な色白の美人で、にこりと笑った顔は保育士を思わせる。着用したブルーグレーのエプロンには、白いポメラニアンの精緻な刺繍が施されていた。

 野上はカウンターの一番奥の席に腰かけ、続いて葉沢、菱田、温井、そして最後に根岸が着席した。

「魔法捜査一課でしたっけ? お会いできて嬉しいです。店主の美藤紗千香みどうさちかです」

 彼女が部下たちの顔を見ながら自己紹介をし、根岸たちはそれぞれに名乗り会釈を返す。すると機嫌よく野上が告げた。

「今日は俺のおごりだ。何でも頼んでいいぞ」

 葉沢が嬉しそうに背筋を正し、菱田は「おっ」と声を出す。根岸も多少は嬉しく思って視線を向けたが、意外にも温井は遅れて反応した。

「今、おごりって言いました?」

「ああ。っていっても、ここは紅茶専門店なんだ」

 すぐに美藤がメニュー表を二つ取り出し、葉沢と菱田の間、温井と根岸の間へ置いた。

「お食事もありますよ。お酒も紅茶でそろえています」

 最初のページに載っていたのは紅茶だ。ダージリン、アッサム、セイロン、アールグレイの名が並び、食事もしくはスイーツとのセットにすると百円引きになると書かれてあった。

 次のページにはアルコールが並んでおり、紅茶のリキュールや紅茶ハイ、紅茶のクラフトビールなど、見事に紅茶づくしだ。こちらも食事やスイーツとセットにすることができる。

 最後のページには食事メニューが載っていた。パスタやサンドウィッチ、スパイスカレーにハンバーグプレートなど、しっかりとした食事が楽しめるようになっている。ページの下部には八種類ほどのスイーツがリストアップされており、デザートも充実していた。

 慣れた様子で野上が注文をする。

「俺はビールとスパイスカレーで」

「かしこまりました」

 美藤がてきぱきと奥の厨房へ立ち、葉沢が菱田へ問う。

「自分、紅茶ってよく知らないんですよね。どうしたらいいでしょう?」

「食事と一緒にするなら、セイロンにしておけば間違いはないよ」

「そうなんですか?」

 どうやら菱田は紅茶に詳しい様子だ。根岸は温井へたずねた。

「温井さんはどうしますか?」

 メニュー表から顔を上げて見ると、温井は何故か美藤の動きを目で追っていた。やけに熱っぽい視線だ。

「温井さん?」

 少し強めに根岸が呼ぶと、温井がはっと我に返った。

「注文、どうします?」

「ああ、えっと……」

 やっとメニューに目を落としたが、彼も紅茶については知らないらしく、どうしたらいいか分からずにいる。

 根岸は内心で呆れながら言った。

「俺はアールグレイとBLTサンドにしようと思うんですが」

「ああ、じゃあ僕もそれで」

 温井がほっとしたように追従した。もっとも、根岸も詳しいわけではない。学生時代、コンビニでよくペットボトルのアールグレイを買っていた程度だ。

 美藤が調理の合間にクラフトビールを野上へ出した。

 葉沢がセイロンと明太クリームパスタ、菱田が紅茶ハイにミートソースパスタを注文した。根岸もすぐにアールグレイとBLTサンドを二つずつ注文する。

 美藤は「かしこまりました」と笑みを浮かべてから、スパイスカレーを皿へよそった。仕上げに上からぱらりとふりかけたのは細かく砕いた茶葉だ。

 スパイスカレーが野上の前に置かれると、菱田が悪気のない口調で言った。

「それにしても、野上さんがこんなオシャレなお店を知ってるなんて意外でしたね」

「昔、ちょっとあってな。かれこれもう十五年の付き合いなんだ」

「美藤さんとですか?」

 温井がカウンターに身を乗り出すようにして野上を見る。

「ああ、そういうことだ」

 手際よくパスタを茹でながら美藤が言った。

「お料理が出来たら問題を出しますね」

「問題?」

 葉沢が首をかしげ、美藤はくすりと笑う。すぐに野上が葉沢たちへ顔を向けた。

「ウミガメのスープって知ってるか?」

 根岸は瞬時に知識を引き出し、野上へ届くようにと声をやや大きくして言う。

「水平思考パズルですよね。シチュエーションパズルとも呼ばれているものです」

 すると菱田がひらめく。

「ウミガメの紅茶って、そこから来てるんですね」

 感嘆の声を上げたのは葉沢と温井だ。店名である「ウミガメの紅茶」は「ウミガメのスープ」をもじったものらしい。

「紗千香ちゃんはウミガメのスープが好きでな。この店では美味しい紅茶や食事の他に、ウミガメのスープも楽しめるんだよ」

 姪っ子を自慢するような口ぶりで野上が言い、美藤が「そうなんです」と紅茶ハイを菱田へ出した。

「それはおもしろい。楽しみにしています」

 菱田の言葉に、温井は根岸へ視線を向ける。

「その、ウミガメのスープって何なんだ?」

「簡単に言えば推理ゲームですよ。問題に対して解答者は、はいかいいえで答えられる質問をいくつかするんです。それで答えを探っていく、というルールです」

「へぇ、おもしろそうだな」

「やってみるとハマりますよ」

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