2 紅茶づくし

 葉沢が嬉しそうに背筋を正し、菱田は「おっ」と声を出す。根岸も喜ばしく思って視線を向けたが、意外にも温井は遅れて反応した。

「おごりですか?」

「ああ。っていっても、ここは紅茶専門店なんだ」

 すぐに美藤がメニュー表を二つ取り出し、葉沢と菱田の間、温井と根岸の間へ置いた。

「お食事もありますよ。お酒も紅茶でそろえています」

 最初のページに載っていたのは紅茶だ。ダージリン、アッサム、セイロン、アールグレイの名が並び、食事もしくはスイーツとのセットにすると百円引きになると書かれてあった。

 次のページにはアルコールが並んでおり、紅茶のリキュールや紅茶ハイ、紅茶のクラフトビールなど、見事に紅茶づくしだ。こちらもまた食事やスイーツとセットにすることができる。

 最後のページには食事メニューが載っていた。パスタやサンドウィッチ、スパイスカレーにハンバーグプレートなど、しっかりとした食事が楽しめるようになっている。ページの下部には種類豊富なスイーツがリストアップされており、デザートも充実していた。

 慣れた様子で野上が注文をする。

「俺はビールとスパイスカレーで」

「かしこまりました」

 美藤がてきぱきと奥の厨房へ立ち、葉沢が菱田へ問う。

「自分、紅茶ってよく知らないんですよね。どうしたらいいでしょう?」

「食事と一緒にするなら、セイロンにしておけば間違いはないよ」

「そうなんですか?」

 どうやら菱田は紅茶に詳しい様子だ。根岸はもやもやとしながら、温井へたずねた。

「温井さんはどうしますか?」

 メニュー表から顔を上げて見ると、温井は何故か美藤の動きを目で追っていた。その視線は妙に熱心で、どうやら彼は美藤に心を奪われているようだ。

「温井さん?」

 怪訝けげんに思った根岸が呼ぶと、温井がはっと我に返った。

「注文、どうします?」

「ああ、えっと……」

 やっとメニューに目を落としたが、どうも様子が変だ。根岸は彼を慎重に観察しつつ言う。

「俺はアールグレイで、BLTサンドにしようと思うんですが」

「ああ、じゃあ僕もそれで」

 温井も紅茶には詳しくないようだ。もっとも、根岸も詳しいわけではない。学生時代、コンビニで売られていたペットボトルのアールグレイを好んで飲んでいた程度だ。

 美藤が調理の合間にクラフトビールを野上へ出した。葉沢がセイロンと明太クリームパスタ、菱田が紅茶ハイにミートソースパスタを注文した。根岸もすぐにアールグレイとBLTサンドを二つずつ注文する。

 美藤は「かしこまりました」と笑みを浮かべて、スパイスカレーを皿へよそった。仕上げに上からぱらりとふりかけたのは茶葉だ。

 スパイスカレーが野上の前に置かれると、菱田が悪気のない口調で言った。

「それにしても、野上さんがこんなオシャレなお店を知ってるなんて意外でしたね」

 先にグラスを傾けていた野上は言う。

「昔、ちょっとあってな。かれこれもう十五年の付き合いなんだ」

「美藤さんとですか?」

 温井がカウンターに身を乗り出すようにして野上を見る。

「ああ、そういうこった」

 手際よくパスタを茹でながら美藤が言った。

「お料理が出来たら問題を出しますね」

「問題?」

 葉沢が首をかしげ、美藤はくすりと笑う。説明は野上がしてくれた。

「ウミガメのスープって知ってるか?」

「ああ、水平思考パズルでしたっけ。シチュエーションパズルとも呼ばれているものですよね」

 根岸が返し、菱田がひらめく。

「ウミガメの紅茶ってそこから来てるんですね」

 感嘆の声を上げたのは葉沢と温井だ。店名である「ウミガメの紅茶」は「ウミガメのスープ」をもじったものらしい。

「紗千香ちゃんはウミガメのスープが好きでな。この店では美味しい紅茶や食事の他に、ウミガメのスープも楽しめるんだよ」

 姪っ子を自慢するような口ぶりで野上が言い、美藤が「そうなんです」と紅茶ハイを作って菱田へ出した。

「それはおもしろい。楽しみにしています」

 菱田の言葉に、温井は根岸へ視線を向ける。

「その、ウミガメのスープって何なんだ?」

「簡単に言えば推理ゲームですよ。問題があって、解答者ははいかいいえで答えられる質問をいくつかするんです。それで答えを探っていく、というルールです」

「へぇ、おもしろそうだな」

「俺はわりと好きですよ」

 明太クリームパスタとミートソースパスタができた。美藤が葉沢と菱田の前へ「お待たせしました」と置き、すぐさま次の料理へ取りかかる。

 彼女が取り出したのはアールグレイの茶葉を練りこんだ食パンだ。一枚ずつ丁寧にハニーマスタードを塗った後、新鮮なレタスを何枚か敷き、分厚いベーコンと輪切りにしたトマトを乗せてサンドウィッチにする。ホットサンドメーカーで軽く焼き目をつけ、包丁で二つに切り分ければ完成だ。

 いつの間にかセイロンとアールグレイも出来上がり、根岸はティーカップに注がれた紅茶の香りに驚いた。自分が知っているものとは違ったからだ。

 すると察したように美藤が言う。

「うちのアールグレイはキームンとディンブラの茶葉を使ってるんです。市販されているものだとウバなどのセイロンが多いですから、ちょっと印象が変わるかもしれませんね」

「そうなんですか、ありがとうございます」

 注文がそろったところで野上が音頭をとった。

「それじゃあ少し遅れたが、魔法捜査一課の設立に乾杯」

 軽くティーカップを持ち上げて乾杯の形だけを真似、それぞれに食事を開始する。

 根岸はゆっくりとアールグレイを飲み、イメージが塗り替えられていくのを感じた。さっぱりとした紅茶だと思っていたが、ここのアールグレイはまろやかでコクがある。香りも優しくて、まるで店主の人格を表しているかのようだ。

「このパスタ、ほんのりと香りますね」

 菱田が気づいたことを口にすると、美藤は嬉しそうに微笑んだ。

「パスタを紅茶で茹でているんです。レシピにはできる限り紅茶を詰め込んで、うちでしか食べられないものにしたくって」

 根岸はすぐに口を出した。

「BLTサンドも、食パンに紅茶が練りこまれていますよね」

「それだけじゃありませんよ。ハニーマスタードソースにちょっとだけ濃縮紅茶を足しています」

「道理でいい香りがするわけだ。すごく美味しいです、僕気に入りました」

 温井が目を丸くしてから言い、手にしたBLTサンドにかぶりつく。

 美藤は嬉しそうに微笑した。

「ありがとうございます」

「このカレーにも紅茶の粉末がスパイスとして使われてるし、紗千香ちゃんのこだわりが売りの一つなんだよ」

 野上が言い、根岸はメニュー表に記された値段を思い出す。一番高いのがスパイスカレーと紅茶リキュールだが、セットにして千五百円だ。安いとまでは言えないが、どちらかと言えば良心的な価格ではないだろうか。

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