4 狛犬ちゃん

 葉沢はそっとしゃがみこんで目線の高さを合わせながらも、狛犬の目を見ないようにして声をかけた。

「怖がらなくていいよ、狛犬ちゃん。ほら、おいで」

 狛犬は壁に体を押しつけながらくるりと回る。他に逃げ場がないのだ。

「自分は今日、魔法使いになったばかりなんだ。だから、狛犬ちゃんのことはあまりよく分からないんだけど、怖いことはしないよ」

 そっと歩みを進め、近づいていく。

 狛犬はいまだに怯えて震えており、葉沢は片手を伸ばして下から近づけた。

 他の子と違って両親がおらず、施設でずっと育ったせいか、葉沢は動物が好きだった。犬や猫だけでなく、学校で飼っていた金魚や鯉なども孤独を癒やしてくれる大事な友だちだった。

「ほら、何もしないから。こっちへおいで」

 あの頃の気持ちを思い出しながら、葉沢は優しく声をかけ続ける。

 葉沢の手におそるおそると鼻を近づけ、狛犬が匂いをかいだ。その間も葉沢はじっとしており、狛犬がやっとこちらへ視線をやった。

 さらに近づき、葉沢はゆっくりと手を動かして狛犬の頬に触れた。びくりとした狛犬だったが、暴れ出すこともなく大人しくしていた。

「可愛いねぇ、みんなが心配してるよ。狛犬ちゃん、もう大丈夫だから一緒に戻ろう?」

 ついに警戒心を解いた狛犬を、すかさず葉沢は抱き上げる。

「よしよし、可愛いねぇ」

 しっかりと両腕で抱き、立ち上がってから振り返った。

「狛犬、確保しました」

「上出来だね、葉沢さん。じゃあ、一階へ下りよう」

「はいっ」


 戻ってきた葉沢の腕の中に狛犬がいた。狛犬は根岸を見るなり目付きを鋭くさせ、察した暁月が「根岸さん、外の人たちに知らせてきて」と指示を飛ばした。

 根岸は何となく不快になりつつ、すぐにセンターを出て狛犬が見つかったことを知らせて回った。

 無事に職員へ引き渡され、杉田が「ありがとうございました」と代表して礼を言った。

「いえ、捕まえたのは葉沢ですから」

「何言ってるんですか、根岸さん。根岸さんの推理がなければ、捕まえられませんでしたよ!」

 葉沢が声を上げ、根岸は少々呆気にとられた。

「あれは俺の推理じゃ――」

 言いかけた根岸をさえぎったのは暁月だった。

「いや、根岸さんの推理だよ。刑事、向いてるんじゃない?」

 にやりと笑いながらこちらを見てきて、根岸は視線をそらした。内心では嬉しく思ったが、顔に出すことなく話を進める。

「それより、魔力量の測定です」

「ああ、そうでしたね。えーと」

 杉田が準備のために動き出そうとすると、またもや暁月が口を出した。

「葉沢さんは320、根岸さんは580ってところかな」

「え、見ただけで分かるんですか?」

 目を丸くする葉沢へ暁月はにこにこと笑った。

「だいたいね。ついでに言うと、葉沢さんは幻獣に好かれるタイプで防御型、根岸さんはその逆。もっとも、特攻タイプだから当然だね」

 杉田も呆然としていたが、はっと我に返ってメモにそれらを書き留めた。

「ありがとうございます、善さん」

「気にしないで。あ、そろそろ講義の時間だ。戻らなきゃ」

 壁掛け時計を見て暁月が言い、歩き出しながらひらひらと手を振った。

「それじゃあまたね、葉沢さんと根岸さんも」

 根岸は頭を下げて返し、葉沢も一拍遅れて頭を下げた。

 彼の姿が見えなくなったところで、根岸は杉田へたずねた。

「あの、特攻タイプというのはどういった意味でしょうか?」

「ああ、えーと……おそらく、幻獣特攻という意味だと思います。幻獣によく攻撃がく、といったところでしょうか」

「なるほど。それで……」

 狛犬を探す役割を葉沢に任せ、根岸を離れた一階で待機させたのだ。さすがは純血の魔法使い、とっさの判断が的確だった。

「それにしても彼、すごいですよね。純血だと何でも分かっちゃうんですね」

 葉沢が言うと、杉田はほこらしげに微笑した。

「ええ、そうなんです。彼は魔法使いの中でも、トップクラスの実力者ですから」


 捜査一課へ戻り、二人が事の次第を報告すると野上は言った。

「幻獣特攻か、そりゃいいな」

 どういう意味かと根岸が問う前に、野上は続ける。

「実は今、菱田と温井に現場を回らせているんだが、そのうちの四件で幻獣の痕跡が見られてな。三ヶ月ほど前から都内で起きている連続変死事件だ」

 根岸と葉沢は表情を固くした。

「殺人事件として所轄の刑事が捜査にあたっているが、幻獣の痕跡があったものについてはうちで扱うことになる。幻獣の痕跡があったってことは、幻獣によって殺されたということだ」

「野生の幻獣、ですか?」

 おそるおそると葉沢がたずね、野上は首を横へ振る。

「それはまだ分からない。もしかすると飼い主がいて、幻獣に襲わせているのかもしれない」

 嫌な話だと根岸は思った。

 きっとこれまでにもそうした事件があったのだろう。魔法捜査一課が必要とされた理由も理解できた。遺族感情を思えば、未解決事件のままにはしておけないことも。

「いずれにしても、人に害をなす幻獣は捕まえる。飼い主がいればそいつもだ。そこで根岸、君が役に立つかもしれないな」

 野上がにやにやと笑いながら根岸を見る。期待されるのは勝手だが、根岸はねつけた。

「今朝も言いましたが、俺は魔法なんて使いません」

「自分が幻獣に襲われてもか?」

「……それは、その」

 言い返す言葉を探す一方で、捜査をしていく中ではそうした事態が起こりうるのを理解する。特に今回は人を殺すような幻獣だ。自分だけでなく市民を守るためにも、攻撃しなければならない場合もあるだろう。

 すると野上はふっと笑うのをやめて視線を外した。

「今朝も言ったように無理強いはしないが、考えておいてくれ。それと菱田と温井が戻るまで、君たちは魔法の教科書でも読んでいろ」

 野上は机の引き出しを開けると、ゴソゴソと二冊の教科書を取り出して二人へ差し出した。

「まずは理解だ。いざ現場で魔法を使う必要性が出てきてもうろたえないよう、基礎からきっちり頭に入れとけよ」

 また苦虫を噛み潰したくなる根岸だが、ため息まじりに受け取るだけにした。

「……はい」

「分かりました!」

 根岸と裏腹に葉沢は気合十分だ。目をキラキラと輝かせて教科書を見つめている。

 いつまでも魔法嫌いのままでいさせてもらえると思えず、根岸は早々に背を向けて自分の席へ戻った。

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