願わくば...

光り輝くハム

願わくば...

 目の前にスーツ姿の自分がいた。少し不思議さを覚えたが、すぐさま、ここがビルの屋上ということに気がついた。この一瞬で得た情報量が多すぎて慌てたが、スーツ姿の自分はそんなことを気にも留めずに、僕に話しかけ始める。


「君の願いを、ひとつ叶えてあげよう。」


 そして、ぼくはベッドの上にいた。


 頭痛がする。気持ち悪い。こういう夢を見たあとは決まって体調が優れない。僕はおもむろに起き上がり、ゆっくりと一階のリビングに向かった。父が仕事をしに家を出たことと、母と妹がまだ寝ていることを確認し、昨日の夕飯で余ったお米でお茶漬けをつくる。冬に食べるお茶漬けが絶品なんだよなあ。

 ふと、先の夢を思い出す。願い...か。思いつかないな。すぐさま思い浮かばないってことは、僕は今、幸せなのかなあ。

 僕は、将来やりたいこと、いわゆる将来の夢というやつがない。一応幼稚園のころは、『星になりたい』という夢があったらしい。この前卒園アルバムを読み返してたら見つけた。当時の僕は星の綺麗さに惹かれてたのかな。もう覚えていない。

 気づけば結構時間が経っていた。もうすぐ家を出ないといけない。僕はまだ少し余っているお茶漬けの米を口へかき込み、制服へ着替え始めた。歯ブラシを加えながら、ベルトを締める。準備が終わり次第、母と妹を起こさぬよう慎重に玄関のドアを開けた。

 僕の家から通っている中学校までは、徒歩十分程度で着く。途中に歩道橋が二つあって、そこから見る道路の景色にはなんともいえない良さがある。そんな長所と裏腹に、この通学路には短所がある。それは、西門への道というところである。この学校へ入るには、正門もしくは西門、どちらかの門をくぐらなければならない。正門と西門は学校を挟み、真反対に位置していて、九割の生徒が...いや、八割五分ほどの生徒が毎朝正門を通る。つまり、誰かと一緒に話しながら登下校することができないのだ。...どうでもいいなこれ。

 学校に到着し、上履きに履き替えて階段を上り、廊下を歩く。道中、ふたりからおはようと挨拶をかけられる。普通におはようと返した。同じクラスの人だ。多分。名前は覚えてない。自分の席に座るや否や、

「おはよう、かいせいくん。」

と、隣の席の子が声をかけてきた。

「おはよう。今日も寒いね。」

この子の名前は知っている。伊戸巻くんだ。去年も同じクラスで、親友とも呼べる人物だ。

「かいせいくん、今日の放課後暇かい?ウチで遊ぼうよ。」

「いいけど、今日は用事があって午後五時半には帰らないといけないんだけど、それでもいい?」

「全然大丈夫だよ。」

 伊戸巻くんの家には、それはもうたくさんのボードゲームがあって、よく遊びに行ってる。行く度に新しいボードゲームが増えていて、毎回新鮮さを感じられる。けど今日は、もうすぐ使い切るシャンプーが午後六時に配達で届くから、それを受け取らないといけない。

 ふと、時計を見る。八時四十三分。(もうすぐチャイムが鳴るな。)そう思った矢先、勢いよく教室のドアが開けられる。

「おはよう、谷津出。朝練おつかれさん。」

「ん。おはよう」

 谷津出。バレーボール部に所属している。一応幼稚園から一緒だが、ものすごく仲が良いとは言い難い関係。

「あ、そうだ。3限に提出する数学の課題みせ」

「やだ。自分でやって。」

 間髪入れずに返答する。谷津出はため息をつきながら着席する。彼は毎回課題を写しに来る。部活で忙しいってのはわかるけど、やることはやらないと。課題をやらないってのに加え、授業中は寝たり、家では勉強しなかったりで、テストは毎回平均点以下。そんなだけど、彼はとても頭が良い。過去に、中間テストで赤点スレスレで先生や親にこっぴどく怒られてたが、そのあとの期末試験では、国数理社英の主要五教科すべて学年で四位以内で、数学に至っては百点を獲得する偉業を成し遂げた事がある。

 このふたりは、今、僕が最も仲が良いと思っている人たちだ。学校では、基本的にこのふたりとしか話さない。彼らと話してると、容易には思いつかないようなものや行動を見せてくれるし、僕は彼らのことを信頼してる。驚きと信頼。このふたつから生まれ出づるものは、好奇心だ。この感情は無くしたくない。



 話は飛んで、一ヶ月後。大きな出来事が起きた。朝のホームルームが終わったあと、全校生徒が体育館に集められた。最初はみんな、なんだなんだとざわついていたが、先生たちの神妙な面持ちを見たからか、すぐに鳴りを潜めた。少しして、二学年の学年主任がマイクをとって話す。

「えー、皆さん。今日はとても残念なお知らせがあります。二日前、二年生の、太棘葵さんが...」

 これは驚いた。

「交通事故で、亡くなりました...。」


 その後の先生の話は覚えてない。覚えてないというか、聞いていない。ただぼーっとしてた。太棘さんは去年同じクラスだった人で、伊戸巻くんの幼馴染だ。あのふたりのとてつもない親しさは、去年の様子から見て取れる。クラス替えのあとだって、休み時間に階段を上り降りして話に行くほどだった。が、それだけだ。とくにこれといったショックはない。彼女とは数回しか接したことがない。まあ、いい気分にはならない。

 けど、伊戸巻くんは違うだろう。彼はその後、ずっと暗い顔だった。当たり前だ。給食のときも、いつもと違って黙食に徹していた。それも、視線が下へ向いており、その目は死んだ魚の目のそれと同じようなものだった。

 そんな彼に、僕は、声をかけてあげることができなかった。悲しんでる人を慰めるのが苦手。自分の言葉ひとつで慰めたいが、かえって傷つけてしまうのは嫌。話しかけない方が彼のためになる。この短時間で理由がこんなにも思いつく。だから仕方ない。


 違う。理由が思いついてるわけではない。言い訳を思いついてるだけだ。自分を騙して、結局は自分の頭を撫でている。自分の過去の行動に、嫌悪感を抱かないように。悲嘆しないように。後悔しないように。

 次の日、谷津出はいつも通りだった。いや気持ち大人しかった。他のみんなも同じだ。みんな伊戸巻くんをチラチラ見る。みんな、彼と太棘さんの仲の良さを知っていたからだろう。伊戸巻くんの出方を伺っている。彼を傷つけないように。いや、僕と同じだ。みんな、第一に自分自身を傷つけたくないんだ。日本人ってそんなもんだよな。

 そんな伊戸巻くんの顔には、いつもの笑みはなく、かといって昨日のような絶望の眼差しもなく、ただ、真顔だった。一日中。話しかけるのが怖い。おはよう。そんな言葉すらも発しづらい。

 長時間隣に座るも会話をすることがなく、僕は耐えきれなくなって、そのときは別のクラスの、同じ小学校だった友達に会いに行った。思えば、僕は伊戸巻くんと楽しく遊びたかったわけではなく、誰かと楽しくしたかったんだろう。別に誰でもいい。伊戸巻くんだってそうだ。そうに違いない。

 そんな日々が三週間程度つづき、ついに伊戸巻くんは逃げるように学校に来なくなった。誰も彼に接することを頑張ろうとしなかったからだ。伊戸巻くんもその努力をしなかったからだ。そもそも、太棘さんが交通事故に遭わなければ。『人間がこんなに脆く、弱くなければ』こんなことにはならかった。

 気づけば、最近はそんな悪い言い訳ばっか考えてるな。正しくないだろ。自分が伊戸巻くんに話しかけなかったからだろ。『僕が伊戸巻くんを照らす星になっていれば』良かった、それだけだ。気づけば、後悔していた。


 その日の夜、またあの夢をみた。スーツ姿の自分がいた夢だ。また、自分が座っていて、ひとりで喋り始めた。

「ここ数ヶ月、君のことを観察してたよ。すごい変わってるね、君。見ていて飽きなかったよ。よし、君に再び問おう。ひとつ、願いを叶えてあげる。君は何を望む?」

 彼は僕に喋る隙も与えずに話した。正直、胡散臭い。願いを叶えるってのは本当なのか、それともこれはただの僕の妄想なのか。考えるのも面倒くさいな。ええいままよ。とりあえず空気を読もう。ロールプレイングってやつだ。

「でしたら、願わくば、僕や僕を取り巻く人たちを、幸せにしてください。」

 とっさにでた願いがこれだった。

「いいよ。けど、そういう抽象的な願いは嫌いなんだよねえ。まあいいか。じゃあ、幸せにしてあげるねー。おやすみー。」

 そう矢継ぎ早に言われると、僕の視界が真っ暗になった。本当にこんなんで幸せになれるのか。

 するとすぐさま、気持ち悪い感覚に襲われた。手足の感覚はあるが、なんだか、みずのなかにいる感じがする。思うように手足をうごかせない。目をひらくことができない。かなしばりってやつかなあ。ああ、なんだかつかれたな。ねむたくなってきたなあ...。」


おやすみ。



「いやーどっと疲れたなあ。幸せにしろってなんだよ。幸せとはなにかを結構考えたけど、幸せって不満を感じない状態って捉えることができるよね。それだったら、あの男の子が生活の中で強く願ってたふたつの願いを叶えることで都合よく済むから、ラクできちゃう。ラッキー。ホント、幸せ者だなあ。俺もあの子も。よし、全人類を脊椎動物門から棘皮動物門に変更できたし、あとは地球を水で満たせば完成〜。これでやっと、長年悩んだ戦争や災害の心配もおさらばだ。ハイ、仕事終わりっと。」


ひとで 【海星】 棘皮動物門ヒトデ綱に所属する動物の総称。五本の腕を持ち、扁平な星型の五角形をしている。ウニやナマコなどと同じ棘皮動物のため、再生力が高く、『半分に切ってもすぐに再生して二匹のヒトデとなって生き延びることができる。』また、心臓や脳を持っていないため、『ヒトデには感情が存在しない。』故に、人間のように絶望や後悔などを感じない。

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