第5話 【出現、ネガ・モンスター】

 もしかして、戻ってきてくれたの?

 あたしは涙を手でぬぐって振り返った。

 でも、そこにいたのは木葉じゃなくて、一人の男子だった。

「僕は、僕はもう、終わりだ……」

 ……たしか、木葉と同じクラスの――

「こんなにも長い間、学校に通わず……暗い部屋に閉じこもったり、町をフラフラうろつくだけの毎日。でも、もう勉強もしたくない、部活もやりたくない……何もしたくないんだ」

 そうだ、不登校になった優等生、坂本くんだ。

「な、なに? あたしに何か用?」

 彼は下を向いたままブツブツとつぶやいている。

「……詰んだ、僕は詰んだ。この先の人生に希望なんてない。あるのは絶望だけだ。なら……ならもういっそのこと」

 突然、あたしのうでをグッとつかんできた。

「痛っ!」

 かなり強い力で引っ張って、あたしをどこかへ連れて行こうとしてるみたい。

「ちょ……やめて! 離して!」

「いいから来い!」

 坂本くんの目が血走ってる。

 あたしは両足に力を入れて踏ん張って、必死に抵抗した。

 怖い! 

 なんなのよコレ、誰か、誰かぁ!

「――助けて!」

 そう叫んだ瞬間、風にゆれる銀髪が視界に入った。

「ケガはないか?」

「ソ……ソラ!」

 どこからともなく現れたソラは、坂本くんのうでをつかんだ。

「なんだお前は! 邪魔するな! 離せぇ!」

「お前こそなんだ? 女子に暴力ふるうなんて、ナンセンスだぜ」

「ぐわっ!」

 坂本くんの手があたしから離れた。

 その直後、あたしは誰かに引っ張られた。

「真白ちゃん、大丈夫っすか?」

「イロハ?」

「ソラ先輩、真白ちゃん保護したっす!」

「わかった。もう少し離れてろ」

 イロハに手を引かれ、後ろにあったジャングルジムまで下がった。

 坂本くん、一体どうなっちゃってるの? 

 それになんでソラたちがここにいるの?

 息を飲んで、ソラと坂本くんの様子を見ていると、

「……これは錯乱状態(バグ)だな」

 ソラがつぶやいた。

「離せ! 離せ!」

 坂本くんは、つかまれているうでを振り払おうとしてあばれ出した。

「僕はもうダメなんだ! 生きている価値すらない人間なんだ!」

 そう叫ぶと、左うでを振り上げた。

「ソラ! 危ない!」

 ブンッ!

 あたしが叫んだそのとき、坂本くんの左こぶしは空を切った。

「ぐむっ!」

 ソラは坂本くんの身体を地面に押し付けた。

 それはまるで、テレビドラマで警察官が犯人を取り押さえるみたい。

 すごい――

 目にも止まらぬ早技だった。

「くっ……そぉ! 離せ離せ離せぇ! 僕はもうダメなんだ! 終わりなんだぁ!」

「終わっていない。お前はまだ、始まってもいない」

「へ……?」

「お前は自分の才能にうぬぼれることなく、人一倍努力を積み重ねてきた。どれだけ自分を責めようと、その事実だけは変わることはない」

 不思議な光景だった。

 ソラが坂本くんをほめてる?

「……ねぇ、イロハ。なんでソラが坂本くんのことを知っているの?」

「あれはあーしらが坂本くんのこと、調査したからっすよ」

 そういえば、町の調査をするって言ってたっけ。

「坂本一樹(かずき)。お前が優等生と呼ばれるのは、人が遊んでいる時に勉強してきたからだ。これからも精進しろ。だから今は――」

 ソラは押さえつけている坂本くんの首筋を、右手で軽くトンっ、と叩いた。

 坂本くんはピクリとも動かなくなった。

「少し眠っていろ。次に目を開けた時、お前は悪夢から覚めている」

 カ……カッコよ。

 なんとなくキザだけど、めっちゃカッコよ。

 ソラは気を失った坂本くんの身体を調べ、「これか」とつぶやいた。 

 左手に何かを握りしめていた。 

 あれは、消しゴム? うん、そうだ。どこにでもある、ごく普通の白い消しゴムだ。

 ソラが手に取ろうとすると、それは坂本くんの手の中から飛び出した。

「真白ちゃん、あーしの後ろへ」

「……え? う、うん」

 急に真剣な表情になったイロハの背中越しに見ていると、消しゴムが宙に浮かび始めた。

 白かった消しゴムがどんどん黒くなっていく――

 そして、炭みたいに真っ黒になった。

「ねぇ、イロハ。あれは一体なんなの?」

「あれは『ネガモンスター』っす」

「ネガ……モンスター?」

 真っ黒に変化した消しゴムは、空中でプルプルと震えて、みるみるうちに丸くなり、ボーリングの玉みたいに大きくなった。 

 シャキンッ!

 そして、目と口が現れた。

「わわわっ――――?」

 真っ黒な消しゴムの目は、ギロリとソラを睨んだ。

「ゴム、ゴムゴムゴムー! 我の名はネガ・ゴムリン! 正体がバレてしまった以上、お前たちを生かして帰すわけにはいかないゴム! ここで全員消すゴム!」

 突然しゃべりだした真っ黒な消しゴム。

 ゴムゴム? 

 ネガ・ゴムリン? 

 いやいやいや! そもそもこの状況はなに? 

「ゴムゴムー!」

 ネガ・ゴムリンと名乗った(なんでわざわざ?)宙に浮く黒い球体は、ソラ目掛けて突進した。

 でも、ソラは軽い身のこなしでヒラリとかわす。

 その後も何度か体当たりをかわし続けていると、ネガ・ゴムリンは空中でピタリと止まった。

「その身のこなし……キサマただの人間じゃないゴムな!」

「ああ、俺たちは――」

 ソラは左手首にはめているスマートウォッチみたいなモノに触れた。

 次の瞬間、ソラの身体は光に包まれた。

「シェリフるだ」

 ひええぇぇー! なによコレ! 超カッコよ……じゃなくって!

 あたしはビックリした。

 だって、Tシャツとジーンズ姿だったソラが、一瞬で真っ白な制服姿に変身してるんだもん! 

 まるでアイドルの早着替えじゃん!

「あー、ソラ先輩、着替えちゃったぁ。じゃあ、あーしも」

 イロハは手首にはめているスマートウォッチの画面を触った。

 直後、イロハもソラと同じ白い制服姿になった。

「イロハ、そ……それって」

「どーすか? これはあーしらの制服っす! 男の子はパンツ、女の子はスカートっす!」

 イロハはスカートの端を指でつまみ、ヒラヒラさせながら「どーっすか? カワイイっすか?」と、制服を見せびらかしてくる。

「う、うん、カワイイよ」

「うひょー! 真白ちゃんにほめられちゃったっすー!」

「イロハ! 任務中にはしゃぐな。真白の警護に集中しろ」

「了解っす!」

「キサマら……シェリフだったゴムか! どうりでワガハイの攻撃をかわせるわけゴム!」

「……一つ、質問がある。お前をこの生徒に仕掛けたヤツは誰だ?」

「そんなこと言うわけないゴム! シェリフるだとわかった以上、もう手加減はしないゴム! ゴムゴムゴムゴムゴムゴム……」

 ネガ・ゴムリンの身体が更に大きくなって、バランスボールぐらいにふくれあがった。

「ゴムゴムゴムゴムゴムー! フルパワーゴム!」

 ソラは冷静な表情を変えることなく、腰に付けているホルダーから拳銃を取り出してかまえた。

「フッ……お前の技は体当たりだけか? バカの一つ覚えだな」

「いちいち……いちいち嫌みなヤツゴム! くらえ! フルパワーゴムリンアターック!」

 怒り心頭のネガ・ゴムリンは、ソラに向かって勢い良く体当たりを繰り出した。

「ポジティバー、安全装置解除。ターゲット、ロックオン」 

 拳銃から青い光が満ちあふれ出す。

 そして――

「セレスト・ブルーショット!」

 ――――ズドン!

 青い光のかたまりが、ネガ・ゴムリンの真ん中に当たった。

「ゴッ……ゴムゥ! ゴム、ゴムゴムゴム……ゴミュ…………ゴミュミュミュミュ――――」

 ネガ・ゴムリンは青い光のつぶと一緒に、まるで花火みたいに破裂して消えた。

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