第43話 九尾からの告白

 距離を取っていたのに、身長差もあるのに私は九尾の子供に押し倒されている。


 抵抗しようと身体を動かすけどピクリとも動かない。


「私はね、特別な物が好きなの」

「いっ…」


 掴まれた両腕に鋭い爪が食い込むくらい握りしめられる。


「小春はわかってないけど君は特別な存在。それはあの鬼女も知っている」

「どういうこと…?」

「後でいっぱい教えてあげるね。だから今は私に委ねて」


 段々と周りの霧が濃くなっていく。甘ったるい匂いが全身を駆け巡った。


「この霧は私の妖術が含まれているの。試作段階では霧を吸った妖怪達はみんな暴れちゃったけどね。魅了を超えた先に興奮があったみたい」

「まさか集団暴行事件って…」

「私の仕業だね」


 反省もしていない様子で子供は笑う。私は怒りで強く睨みつけるが何も効果は無いようだ。


 出来るだけ霧を吸わないようにと呼吸を抑えるが私はただの人間。

 運動もしないから肺活量が無い。


 だから逃げるという選択肢しか無いのに動くことすら許されなかった。


「なんでそこまでして」

「だから小春が欲しいんだって」

「私を貰ったって何も……い゛っ」


 子供は更に手の力を入れる。もう掴むなんてレベルのものではなかった。


「まだ意識がしっかりしている。やっぱり体内では変異が起きているんだ。凄まじい抵抗力だね」

「離し、て」

「嗚呼……本当に欲しいなぁ。愛してるよ鬼姫」

「っ……!」

「え」


 すると私の身体が燃えるように熱くなる。愛の囁きが引き金となった。


 次の瞬間には手の拘束を解いて九尾の子供を勢いよく突き飛ばす。

 そしてそのまま方向もわからずに走り出した。


「何で……っ!?意味わからない!意味がわからない!!」


 何であの子に“愛している”と言われて身体は喜んでいるのだろう。


 心では気持ち悪いと思っているはずなのに、鳥肌も冷や汗も現れない。


「嫌だ!嫌だ!」


 あんな奴に言われたくなかった。もっと言われたい人が私には居る。


 ここを出たら例え震えても、全身を包み込まれるような恐怖が襲っても絶対に言ってもらおう。

 そしたら私も同じ返事を返すのだ。


「小春」


 しかしそんな決意を薄れさせるように肩を掴まれる。


「お願い来ないで!」


 私は鋭い目つきで振り返ればそこに九尾の子供は居なかった。

 その代わり成長した九尾の女性が私を引き止めている。


「……玉藻前」


 自然と浮かんだ相手の名前を呟いた時、私の脳内には忘れていた記憶が蘇った。

 幼少期の私はこの女性に会ったことがある。


「小春は私から逃れられない。魅了が解けようと何度でも掛けにくる。効きづらいとわかっていてもね。……これが私からの愛の告白だよ」


 コクリと唾を飲み込む。するとどこからか強い風が吹いてきて辺りの霧を払った。


 それと同時に九尾の女性、玉藻前の姿も煙のように消える。

 私を遮るものが何も無くなった。


「幻覚…?」

「小春様!!」

「雅、さん」


 呆然と森の中に立ち尽くしていた私は大好きな声と共に抱きしめられる。

 時々触れていた冷たい体温が私の体に密着した。


「雅さん」


 霧の中でどれくらいの時を玉藻前と過ごしたのかはわからない。


 だけど会いたくて仕方なかった。なのに身体は小さく震える。


 それでも私は自分の本心に従って雅さんを抱きしめ返した。


「良かった…見つかって」


 耳元で雅さんの優しい声が聞こえる。紛れもなくあの空間で起きたことは夢では無かったのだと思った。


 私達はしばらくの間、お互いを確かめ合うように抱きしめる。

 相変わらず身体は微動していた。


「小春様。何があったのか教えてください」

「……玉藻前という九尾族に会いました」

「はい」

「私が欲しいって。特別だからって」


 雅さんは私の背中をゆっくり摩って落ち着かせてくれる。


 玉藻前に掴まれた腕も叩かれた頬っぺたも鈍い痛みが続くが、それを超える心地よさを感じていた。


「私、逃げられないみたいです。何度でも魅了を掛けにくるって告白されました」

「ならば共に逃げましょう。私は小春様のことを離すつもりはありません」

「……雅さん」

「はい」

「私って鬼の匂いがするんですか?」


 玉藻前は私の思考を置いて“鬼”や“変異”という単語を使っていた。

 それがどう繋がるのかは私は想像もつかない。


 雅さんはすぐに答えることなく黙っている。

 そして小さく息を吐いた後、身体を離して私の頬に両手を当てた。


「小春様からは私の匂いがしますよ」

「雅さんの匂い?」

「ええ。ですが今は狐の匂いが強いです。だから上書きさせてください」

「う、上書きって?」


 てっきり深い話をされると思った。私は目を点にしながら雅さんを見る。


 いつもみたいに自然と逸らしそうになるが、両頬を包まれているからかそれが難しい。


「妖怪はフェロモンというものを持っています。それを意図的に人間に当てるとマーキング状態となり、再度襲われやすくなるのです」

「襲われ……」

「ですがご安心ください。あんな奴のマーキングは私が消しましょう」


 もしかして雅さん怒っている?

 口調と表情は普段と変わりないが圧の強さが違う。


 私は身体と口角をピクピクと震わせながら上書きを待った。


 今の私に拒否権は無いし、玉藻前のフェロモンが消えるのならやってもらう価値はあるだろう。


「あれ?でもそしたら雅さんのフェロモンが私に付くってことですよね?」

「何か問題ございますか?」

「いえ何も」


 やっぱり怒っていた。心なしか頬にある両手に力が入っているような気がする。


「それでは小春様にマーキングさせて頂きますね」

「えっ、あっはい」


 確か雅さんの説明によれば妖怪にマーキングされた人間は同じ妖怪に襲われやすくなるらしい。

 ……襲われやすくなる?


「ま、待ってください。雅さん」

「申し訳ありません。女狐の匂いで鼻が曲がりそうなのですぐにでもさせてください」


 雅さんは怒っているのではなく“相当”怒っているようだった。

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