第44話 鬼からのプロポーズ

 私の顔は少し上へと向けられてそのまま固定される。

 マーキングって一体どうやるのだろうと私は緊張の汗が流れた。


 雅さんはビビる私を見て微笑むと首元へ顔を寄せる。


「あ、あのっ暑さと緊張で汗臭いかもです…」

「汗の臭いはしませんよ。女狐の匂いはしますが」

「まっ、マーキングってどうやるんですか?」

「気になるのでしたら家に帰ってから再度して差し上げます。なので今は集中させてください」

「すみません」


 怒ったオーラを出しながらそう言われてしまえば黙らなければならない。

 これ以上雅さんを怒らせたら何されるかわからないのだから。


「……小春様は素敵な女性です」

「え?」

「だからこそ私なんかが縛って良いのかと常日頃思ってしまいます」


 雅さんは私の頬っぺたにあった手を下へ伝わせながら首筋を撫でる。


「全てが今更なのに小さな不安が積もるばかりです。おかしいですよね」

「雅さん…」

「でも耐えられないんです。小春様が他の者に、ましてやあんな奴に取られるのは」


 細く冷たい手は私の首にゆっくり添えられる。


「だから誓わせてください。小春様が私以外は考えられないって思ってもらえるような許嫁になります。これからも1番近くに居させてください」


 私は何も返せなかった。あれほど霧の中で決心したのに結局は詰まって声に出せない。

 しかし自分を情けなく思う余裕は無かった。


「小春様、お慕いして……いえ。愛しています」


 雅さんは私の喉にキスをした。突然のことで身体が揺れる。


 そしてキスは一度ではなく二度、三度と喉へ送られる。

 微かに聞こえるリップ音は私の鼓動を速くした。


「雅…さん…」


 五度目のキスが送られた時。雅さんは私の喉を優しく噛む。



 ——その瞬間、私の奥底で蔓延っていた何かが割れた気がした。



「女狐の匂いは取れましたかね?だいぶ私のフェロモンは付いたと思いますが」

「………」

「小春様?」


 雅さんは首元から離れて私の顔を覗く。

 また目が合えた私は止めどなく湧き出した感情と共に雅さんへ抱きついた。


「小春様!?まさか体調が」

「好き」

「今、なんて…?」

「……私もうちゃんと言えます。ずっと伝えたかったけどなぜか言えなくて」

「小春、様」


 私は近い距離で雅さんの顔を見る。これまでは逸らすことばかりだったのに、今はしっかりと見つめ合えた。


 震えないし怖くない。


 あと少し近づいたらキスが出来てしまう距離。私は静かに深呼吸してずっと言いたかった想いを届けた。


「私もずっと雅さんの側に居たいって思うくらい惚れています。誰よりも大好きです、雅さん」


 やっと言えた。そう思った瞬間、私の目から涙が溢れる。


 何かが割れた時から震えが止まった。

 その代わり今まで堰き止められていた雅さんへの愛が私の身体と心を埋め尽くしたのだ。


「もしかして解けたのですか?玉藻前の魅了が」


 雅さんは涙声になりながら私の頬を拭う。それが心地良くてずっとこのままで居たいと願ってしまった。


「本当、何が何だかさっぱりですけど……これで雅さんのものですね」


 私は片手で自分の喉を撫でる。少し凹んだ雅さんが付けてくれた跡。


 恥ずかしいけど愛おしい。嬉しくて笑えば雅さんは強く私を引き寄せた。


「怖くないですか?」

「怖くないです」

「何も小春様を掴んでませんか?」

「雅さんだけですよ」

「これからは触れられるのですか?」

「はい」


 まるで不安がる子供のように雅さんは問いかける。そんな姿にまた好きが生まれてしまった。


「小春様。愛してます」

「私もです」

「私も……何ですか?」

「えっ?」

「具体的に言わなければ伝わりませんよ?」


 耳元で聞こえる意地悪そうな雅さんの声。くすぐったくて身体が跳ねそうになるがグッと堪える。


「小春様?」

「………」


 ちょっとだけ勝てたと思った。でも最終的にはいつも通りひっくり返されるのだ。

 私は神楽家名物小春唸りで誤魔化そうとする。


 しかし雅さんは私からの言葉を聞くまで離さないつもりらしく、急かすように名前を呼んだ。


「先ほどは大好きでしたけど、私はもう少し大きな言葉が聞きたいです」

「うぅぅ」

「もう怖くないんですよね?」

「何で急に意地悪…」

「ふふっ。小春様と同じで今まで抑え込んでいたのが出てきたみたいです」


 やっぱり私の許嫁は一枚上手だ。顔から耳まで赤くなるが、観念した私は小さく呟いた。


「私も愛してます」


 この言葉は今回きりではない。これからは沢山伝えられる。

 恥じらいながらも、実感する嬉しさは雅さんにも伝わったようで幸せそうに笑っていた。

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