第16話 相合傘

 その表情は私の心臓を強く跳ねさせる。時が止まったかのように見つめてしまった。

 しかし途中で雅さんと目が合った私は無意識に逸らす。


「ごめんなさい。桜花が勝手に…」

「いえ…」


 チラッと桜花が歩いて行った方向を見てみるけど、もう傘を差す少女の姿は見当たらない。

 逃げ足が早い奴め。


「とっ、とりあえず帰りましょうか。雨強くなっているし」


 傘は1本だけ。桜花は本当はこれを狙っていたのだろうか。


 でもこの言葉には表せないような空気感で恐怖や恥ずかしいなんて言い訳は出来ない。

 というかそれ以上に謎の感情に支配されていた。


「雅さん?大丈夫ですか?」


 でも雅さんは返事をしてくれない。動く気配も無さそうだ。すると視界の端で雅さんが小さく深呼吸する姿が映る。


「……小春様は」

「はい」

「ふっ、腹筋、見たいですか?」

「え?」


 珍しく言葉が途切れ途切れになる雅さんに目を丸くする。それと同時に問いかけの意味を頭の中でリピートさせた。


「腹筋?見たい?私が?雅さんの?」

「……覚悟は出来ています」

「な、何の覚悟ですか?」

「小春様が腹筋を見たいのであれば今この場で晒す覚悟は出来ています」

「ちょっと待ってください!?」


 私は慌てて雅さんのお腹に目を向ける。良かった、まだ服は捲られていない。

 

 私は止めるように手を伸ばしていれば雅さんは動かずに待ってくれる。


「この場では流石にダメです!いつどこで人が見ているかわかりませんし!それにお腹冷えちゃいます!」

「そ、そうですね。その通りです。失礼致しました」

「いえ大丈夫です……」

「ならば帰った時に」

「いやちょっと待ってください!?」


 雅さんは私に腹筋を見せる気でいるのか、その前提で進めてくる。

 でも私にはハードルが高い行為だ。

 桜花のように「きゃーかっこいい!」で終われない。


 もしそこに凶悪な腹筋が存在したらどうしよう。鬼族の身体の作りは全て人間と同じなのだろうか。

 見えている部分は人間と大して変わらないのだけど…。


「小春様?気分が悪いですか?」

「ち、違っ」

「ではなぜそんなに離れるのですか?雨に濡れてしまいますよ」


 どうやら私は自然と雅さんから距離を取っていたらしい。とは言っても傘から肩が出るくらいだ。


 雅さんは心配した声で私に近づこうとする。しかし途中でその足は止まり、また数秒の静粛が訪れた。


「……すみません。小春様」

「雅さん?」

「変に動揺してしまいました。まさか桜花ちゃんにあのようなことを言われると思ってなくて」


 すると傘は私の身体全てを覆うように傾けられる。


「少し距離感を間違えてしまいましたね。まだ小春様は妖怪を怖がっているのに」


 何も考えずに聞けば優しく包み込むような声。しかしその中に悲しみのようなものが混じっているのに私は気付いてしまった。


「…濡れちゃいますよ。雅さん」


 私に傘を傾けたことによって雨に打たれてしまっている雅さん。肩どころか頭まで傘の外だ。


 でも雅さんは入るつもりは無いらしい。首を横に振って私に傘を持たせようとしている。


「私は鬼族なので人間よりは免疫があります。気にしないで使ってください」

「雅さんが雨に濡れるのは辛いです」

「ふふっ。小春様は優しいですね。でも無理して2人で使う必要はないんですよ」

「雅さん」

「最近、私達の距離が順調に縮まったせいか調子に乗っていたみたいです。流石にここまで密着するのはまだ怖いですよね。気を遣えなくて申し訳ありません」


 いつもより早口で何かを誤魔化すような話し方。耳が赤く染まっているのは変わりない。

 それでも目は悲しそうに見えた。


「桜花の言葉に動揺しているのは私も同じなんです」


 私は呼吸がつっかえそうになりながらも傘の中棒部分を握る。

 そしてそのまま雅さんの方へ踏み出した。


「動揺して頭が馬鹿になっている今ならいけます」


 1本の傘が私と雅さんの中心に立つ。


 桜花が雅さんのスラっバキっな腹筋を知っていること。

 その流れに感化されて雅さんが私の前で服を捲ろうとしたこと。

 そして自分の距離感に反省して悲しみを誤魔化そうとしていること。


 私の脳内をバグらせるには十分過ぎる材料だった。


「一緒に帰りましょう?雅さん」


 私は握っていた手を下ろしていく。そして傘の持ち手部分にある雅さんの手を包み込んだ。


「今は、いつもより怖くないです」


 長い2秒間だった。そして初めて雅さんを可愛いと思った。

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