第5話

 自分の教室に戻ろうとしたとき、ふいに肩が叩かれた。驚いて振り向くと、怪しげな眼を向けている岡田が立っていた。

「他のクラスで何やってんだ?」

「あぁいや、ちょっと……」

 咄嗟に言葉出なかったが、岡田はそんなことは気にしない様子だった。

「まぁいい、ちょっと来い」

 そう言って教室を離れていくのを、進は追いかけた。今は使っていない空き教室に入ると、

 岡田はぶっきらぼうに口を開いた。

「昨日、マジで病院に行ったのか?」

 はい、と答えると、少し驚いた表情を進へ向けた。本気で行動に移すとは思わなかったのかもしれない。

 すると岡田は、少し膨らんだ封筒を差し出してきた。

 受け取ると、厚みの割に軽く、おそらく何枚かの紙があまり折り曲げずに入っているのだと分かった。

 表には宛先人と住所が書いてある。

 岡田の字は昨日のメモに書かれた字よりは幾分マシな程度であった。

 その宛先を見て進は思わず眉をひそめた。

「柳由貴子って、これ竜太のお母さん宛てですか?」

「あぁそうだよ。出し忘れてた書類があってな。それ、ポストに出しといてくれ。今ならまだ時間もあるだろ」

 本当に時間があるのか、スマホを確認すると8時20分だった。HRが始めるまで5分しかない。

「えぇ……どうして僕が出さなくちゃいけないんですか?しかも今?」

「柳のこと教えてやったのに、それはねぇだろ。恩を返せ、恩を」

 手のひらを上に向け、何かを催促するように動かすのを見て、進は呆れてしまった。

 病院のことを教えてくれたのは感謝しているが、それに対して恩を返せと言われるのは腑に落ちなかった。だが、ここでこじらせると、もっと面倒なことになるのは分かっていた。

「まぁ、出すのはいいですけど、後で良いですか?ちょっと僕も用事があって……」

 なるべく早い時間に、卓也と話をしたいと思った。竜太との関係性をハッキリさせたいという思いもあったが、それだけでは無かった。

 昨日の由貴子を思い出す。息子の安否だけで無く、何故自分の息子がこんなことになったのだと、正体の分からない悩みに今も苦しんでいる。もし卓也が深く関係していることが分かるなら、それは竜太と由貴子の為にもなることだと思った。

 しかしそんな進の気持ちを岡田は知る由も無かった。

「お前、質問とか文句ばっかりで面倒くせぇなぁ。なんで大人しく、はいって言えないんだ?」

 小さく溜息を吐く岡田に、進はハッキリと告げた。

「納得出来ないからです」

 そう返すと、岡田は思い切り溜息を吐いた。ガリガリと頭を掻く。

「何でもかんでも納得出来ないと動けないなんて、大人になったら、嫌でも飲み込まなきゃいけないことばかりだぞ。そういう所も今のうちに勉強しとけよ」

 それが世界の真理だと自信ありげに話す姿に、進は言葉を返せなかった。

 そのように生きていかなくてはいけない世界なら、大人になんてなりたくないと思った。

 自分の心にふたをして、奥底に閉じ込めることが正しいわけがない。

 自分は家族や学校に守られていると考えることもある。かといって大人の言うとおりにしなくてはいけないとも思わない。理不尽にも耐え、自分を殺さなければいけないことがあるなんて、自分には認められなかった。

 だがその気持ちを岡田に伝えるだけの力が、今の進には無かった。それが悔しくて、進は拳を握り締めた。

 何も言わない進を見て、岡田は満足そうに話を進めて行く。

「それじゃあ、頼むぞ。ポストは学校を出て左側にあるからな」

 教室の掛け時計を見る。HRの時間までほとんど時間がない。

「ほら、もう時間もあまりないから、急げよ」

 岡田が教室を出ていく。進がその背中を睨んでも、振り返ることは無かった。手に持っている封筒が、少し重くなったように感じた。


 進も教室を出て、階段を下りていく。教室へと向かう生徒とすれ違い進に気付いても、特に気を留めなかった。

 昇降口に着き、自分の下駄箱へ向かう。その途中、一カ所だけ下駄箱の扉が開いているのに気が付いた。上手く閉まらなかったんだろうと思い代わりに閉めると、表面にあるネームが目に入った。

『須賀卓也』と書いてあった。思いもがけない名前に息が詰まった。病院の前で会ったことがフラッシュバックする。

 続いて由貴子の悩ましげな表情と、竜太の頼りなさげな笑顔が浮かび、脳裏に張り付く。封筒を持つ手に力が入る。もう片方の手で、卓也のロッカーに手を掛ける。開けると中には学校指定の上履きがあった。放り投げられたかのようにひっくり返っている。

 玄関を見る。温かな日差しがあるだけで、そこにはもう誰の気配もない。

 背中にジワリと汗が伝うのが分かった。つばを飲み込むが、のどが渇いてうまく呑み込めない。


 嫌な予感がした。


 急いで靴を履き替えて、外に出る。駐輪場に行こうとして、カギが教室にあるのを思い出す。だが取りに行く余裕はなかった。一刻も早く、この不安を取り除きたかった。

 駐輪場を横目に、走って校門に向かう。校門を出て、右へ曲がると、病院への道を走り出した。


 後ろでチャイムが鳴り始めた。岡田からの依頼を思い出し、持っていた封筒を見る。進は

 岡田の依頼など、もう頭には無かった。制服のポケットに押し込むと、クシャっと音が鳴った。

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