第四章 世界の終わり <異人の歌姫編④>
第三十話 残された謎
ストーカー事件から一週間が経過していた。東銀では
異人喫茶での抗争事件が発端となっており、あの事件はネットニュースに取り上げられた。死者一名、負傷者三名らしい。
当事者の龍尾のシンユーや、龍王の後藤がどうなったかは分からない。
異人喫茶オーナーの八神は先日見掛けたが、怪我らしい怪我はしていなかった。店内は順半壊には届かない程度の被害を受けたが、既に営業しているようだ。
シュウやシャーロットも現場に居合わせたが、自分たちの名前が掲載されることはなかった。その場にいた者は警察や
シュウは便利屋店内のカウンターに座りながら、東銀座通りを往来している観光客を眺めていた。
(暑い中、ご苦労なことだな)
シュウは気怠そうに伸びをしながら、そのように思った。治安が悪化していると言っても、それは異人街の深層部のことで、表通りを歩く観光客が被害に遭うことはない。
最近の東銀は、黒い制服を着た協会員、剣を携帯しているアルテミシア騎士団、
一般人には分からないが、異人街に住んで長い住人には、街全体を包んでいるぴりっとした緊張感が伝わっている。シュウもそのように感じていた。
その時、ガラス戸がガラガラと開けられた。入ってきたのは妹のリンとシャーロットである。外はねボブのリンとロングヘアーのシャーロットは対称的な雰囲気だが、仲の良い姉妹に見えなくもない。
「兄さん、戻りました。東銀で目立った動きはありません」
リンとシャーロットは昼食の買い出しに行っていたのだが、ついでに街の雰囲気をチェックしていたようだ。シャーロットが笑顔でシュウに駆け寄ってくる。
「シュウさん! お腹空きましたか? すぐに準備しますね」
相変わらずふわっとしたワンピースが似合っている。今日も柄が違うが、何着持っているのだろうか。
「二人とも、暑い中お疲れ様。シャーロットさんもそんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ」
シュウの言葉に笑顔で頷きながら、リンとシャーロットは給湯室へ入っていった。
あまりシャーロットと仲良くすると、リンが不機嫌になることがあるが、それにも慣れた。二人は互いに微妙な間合いを守っているようにも見える。
(あの事件から一週間か……)
結局、シャーロットを地下室へ監禁した白石武彦がストーカーだったようだ。シャーロットが本人から聞いたので間違いはない。
しかし、シャーロットは被害届を出さなかったのである。彼女は笑顔で「別に何もされませんでしたから」と答えた。
当の白石は正気を失っていて話にならない。弛緩した笑顔を浮かべながら、虚空を見詰めている。これでは責任能力を問われ不起訴になる可能性が高い。
シャーロットは白石の症状は薬物の精神障害だと言っていた。シュウは過去に何人かそのような人を見てきたが、確かに症状が似通っているように思える。
皆で話し合って出した結論は、正気を失った白石をそのまま放置し、救急車を呼ぶことであった。
薬物事件に巻き込まれたくはなかったし、廃墟なので監視カメラもない。救急車が来る前に、その場を離れた方が良いと判断したのだ。
何よりクライアントのシャーロットがそのように望んだので、それに逆らうつもりは毛頭なかった。
異人アイドルの「カリス」がスキャンダルを嫌うのも理解できた。そこに矛盾はない。
白石が運び込まれた病院にチェンが偵察へ行ったが、彼の症状は改善していないらしかった。
リンとシャーロットが仲良く会話しているのを聞きながらシュウは今後のことを考えた。
――謎が全部解明されたわけではない。
龍王の後藤は明らかにシャーロットへ殺意を向けていた。シュウを無視してでも彼女を殺そうとしたのである。
これはおかしい。白石の依頼はあくまでもシャーロットの拉致であった。
(もともと血の気の多い組織だからな)
そう片付けることもできる。龍王は龍尾と比べると過激な武闘派だ。日本人も少ないし話が通じる相手ではない。
シャーロットはにこにこしながらアイスコーヒーを運んできた。
「シュウさん。どうぞ」
「ああ、ありがとう」
彼女は嬉しそうに、シュウの横に座る。すっかり馴染んだシャーロットは最近雑用を手伝おうとしてくるのだ。
そう、事件は解決したが、シャーロットはまだ便利屋金蚊(べんりやかなぶん)の上の賃貸に住んでいるのである。
ストーカー事件の報酬は既に受け取っている。色々あったが、無事やり遂げたのだ。
ただ、龍尾と龍王の抗争が起きそうな今、すぐに帰してしまって大丈夫だろうか……、という不安はある。
それに関してはリンとチェンも同意見で、シャーロットは金蚊に残っているのだ。
そして、シャーロットの悪夢は続いているようであった。事件解決後も、うなされている夜があり、そのたびにシュウは部屋へ駆けつけた。シュウは彼女を放っておけない。
(今は元気そうだけど……。辛いことがあったんだろうな……可哀想に)
ちらっと視線を送ると、シャーロットは姿勢良くカウンターに座り、東銀通りを眺めていた。彼女が受付をすれば売り上げが伸びそうな予感はある。
シュウも悪い気はしないどころか、嬉しく思っている。
(まあでも、シャーロットさんはカリスだからな。住む世界が違う。俺では釣り合わない)
シャーロットは来週にでも帰ってしまうだろう。今は警護を延長しているだけだ。それが終われば、この関係も終わってしまう。
(あーあ。当分シャーロットロスに悩まされそうだ……。夢をありがとう)
シュウは一人ブルーになっていた。シャーロットはじっとシュウを見ながらこう言った。
「……シュウさん。私、カリスを引退して、一般人に戻ろうかな。未練もないですし」
それを聞いて、シュウは思わずアイスコーヒーを吹き出しそうになった。
「ええ! そ、それはファンが悲しみますよ! ダメッすよ!」
狼狽するシュウを見て、シャーロットは可笑しそうに笑い、「ふふ。冗談です」と舌を出す。
シュウとシャーロットは、端から見ると仲良さそうに、じゃれ合っているように見える。
その様子をリンは後ろから見ていた。いつもの通り無表情だが、複雑な思いを抱えていた。
(兄さん、楽しそう……。でも)
胸中にはシャーロットへの嫉妬と兄の心配が半分ずつあった。リンは本能的に感じているのである。
――まだ事件は終わっていない……と。
リンは溜息をついて昼食の準備を始めた。その表情は暗い。
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